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死が異常に怖い私たちは本当の自分を生きていない

死ぬという事は、必ず訪れる事で誰一人免れる事はできない事は言うまでもありません。しかし私たちは、健康食品やサプリメントなどの健康法や生命保険などに関心を抱き、これさえ続ければ大丈夫だと思い、つかの間の安心を買っているのです。そもそも私たちは必ず死ぬのですから安心な存在ではないのです。
ただ長生きをする事が幸せだと思っている人は、本当は少ないのではないかと思います。長生きが幸せとイコールではないとどこかでわかっているとすれば、私たちは生きている間に何を求めているのでしょう。
結論を言いますと、どんな人生でも受けとめて、これで良かったんだと思えることではないかと思うのです。
「これで良かったんだ」「これで良かったんだ」とその都度受け止め、感情的に帰結できるという事です。未来に訪れるはずの幸せに帰結しようとしていると、それはきっと永遠に帰結できないように思うのです。
私たちはつい、未来へ先回りして物事を考えます。その未来に生きている保証などどこにもないのに。でもいつでも未来の安心ではない安心のために、今の意識を失い、未来にばかり意識を向けてしまいがちです。
安心思考は守りの姿勢ですから、挑戦する事もせず、ただ安心ではない安心のために生涯安心を追い求めて死んでしまうのです。私たちはそのような最後を迎える時、死ぬ事が本当に恐怖に感じる事でしょう。生きてきた事への満足感や手ごたえがないまま死を迎えるという事は、正体が分からない恐怖に襲われるような、そんなやり場のない気持ちになるのではないでしょうか。
逆にいつ死んでもかまわないと思える人というのは、きっと今に意識を向け続けて、これが自分の人生なんだと感情的に帰結している人なのではないかと思うのです。常に本当の自分と繋がって生きているので、満足で手ごたえがあり、それ以上のものはないという満たされた帰結を常にしていると思うのです。
死ぬ事が異常に怖い私たちは、もしかしたら自分らしく生きていないのかもしれない、と立ち止まって見る事も新たな視点として取り入れて行けたらいいのではないかと思うのです。

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