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「幽霊」とともに生きること、ウチナーンチュ大会の沖縄で舞台「イミグレ怪談」を見た

沖縄・那覇の国際通りを歩いている人の3分の1は、幽霊なのだという。

えっそうなの。巷でささやかれ続ける都市伝説だそうだが、ちょうど那覇を訪問している私は、夜のホテルの部屋でなんだかぞわぞわっとしてしまう。
でも幽霊ってなんだろ?

10月30日に那覇文化芸術劇場なはーとで見た舞台「イミグレ怪談」は、ほの暗い舞台に3人の役者が登場する。一人はラオスに住んでいるらしいがタイにもやたら詳しい男性で、もう一人はボリビアに移住した親類をもつ女性、もう一人は……?の男性だ。

3人は同窓会に集まった同級生なのかな、と思いきや、どうも話がすれ違う。お互いが見えていたり、見えていなかったりするみたいだ。それぞれが独白調で語る長いストーリーは、とても興味深く、鬼気迫るもので、目が離せなくなる。

で、結局あの3人は誰だったのか。
作・演出の神里雄大さんは、本作の公開にあたってこんな言葉を寄せている。

「見えない隣人――幽霊や妖怪は日常に潜んでいる。わたしたちの隣人と言ってもいい。存在するかしないか、そんな議論は不要だ。見える人にしか見えない存在。見たくない人は見えない、とも言い換えることができる。ちなみにわたしは見たことはないが見たい。見えないものがいたっていい。そういう『見えない隣人』が、もしも国や地域を飛び越えたらどうなるだろう?と考えたのが今作の構想のきっかけだ。(中略)」

チラシ記載のノートより

3人は幽霊だったのか。わからない。でも、なんとなくわかったのは、そういう「幽霊」たちと、私はいつも一緒にいるんだな、ということだ。

まったく違う時代に、違う経験をして、違う場所におもむいて、またそこから帰ってきて、あるいは帰ることができずに。日本語を忘れて、あるいは今でも覚えていて、あるいは学んで身につけたのに笑われて……。

パレードで国際通りを歩くペルーの参加者

そういう人たちが私たちの周りには、目に見えようと見えまいと、たくさんいる。ふと、ベトナムなどから日本に来て働いている実習生らの境遇にも、思いが至る。

午後3時に舞台が終わったあと、国際通りまで歩いて行くと、ちょうど「世界のウチナーンチュ大会」のパレードが始まっていた。1世紀にわたるという移民の歴史のなかで、世界中に推計42万人いる沖縄出身者(県系人)が5年に一度、故郷・沖縄に帰ってくるお祭りだ。

1990年に第1回が開かれ、コロナ禍による延期をへてこの10月、やっと第7回が開かれた。神里雄大さん自身も、沖縄からペルーへ移住した先祖をもち、リマで生まれ神奈川県で育った。この大会にあわせて、那覇での舞台公演を企画したのだという。

30日に国際通りであったパレードには、20の国・地域からおよそ3000人が参加しているとアナウンスがあった。海外からやってきた人だけでも二千数百人にのぼるという。

出身の沖縄の地名を書いたのぼりを掲げ、ハワイ音楽をウクレレで演奏し、フラを踊る人、ブラジルのサンバのリズムで笑顔をふりまく人、インドネシアの民族舞踊を踊る子どもたち、ドイツのビールをかたどった帽子をかぶった人らが、拍手の中を歩いていた。沿道にはたくさんの人が集まって手を振っている。見ていたらなんだか涙が出てきた。

なぜ涙が出るのだろう。

ある男性にお話を聞いて、ああそうか、と思った。男性は祖父母が沖縄から渡った先のブラジルで育ち、ウチナーンチュ大会に参加するのは3回目だという。「どうしてブラジルで沖縄県人会の活動をしたり、何度もこの大会のために帰ってきたりするの?」と聞くと、こう話した。「日本にいたらブラジル人だし、ブラジルにいたら日本人だから」。

小さな子どもを連れたアルゼンチンの参加者

この言葉は、たとえば在日韓国・朝鮮人のかたをはじめ、いろんな国・地域の出身の親や祖先をもつ人たちが語りつづけてきた言葉だと思う。その言葉がとても説得力をもって胸に迫った。

ああそうか、ウチナーンチュ大会に戻ってくれば、おかえり、と拍手や笑顔で迎えられる。世界中で自分と同じような思いを抱いてきた人もみな「ウチナーンチュ」。自分がよりどころとし、核として信じてよい場所がここにある。

おじいおばあがそれぞれの国・地域へ渡ってからの時間のなんという長さ。その間にはぐくまれた、かの地とこの地への深い愛情と誇り。国の壁など関係なく共有するウチナーの一体感。それをドドドとすべて感じるから、パレードに涙が止まらなくなるのだろう。

インドネシアの参加者

もちろん、沖縄だって、つねに誰にとってもパラダイスだったわけではないだろう。私は25年ほど前から、沖縄でフィリピン人男性と出会い、結婚してフィリピンに渡ったウチナーンチュの女性たちにお話をうかがってきた。中には外国人との結婚を家族に反対され、勘当されたという人もいる。昔は集落外の人と結婚するだけでも「よそ者扱い」されたものだ、という話も聞いた。

ペルーの参加者

誰もがにこにこして対立しないパラダイスなんて、どこにもないのだろう。たとえば少子化や円安や機能しない政治など問題だらけに見える日本に嫌気がさして、ニュージーランドやカナダに移住したいなあ、なんて空想したとしても、移住した先にもそれぞれの日常があり、個々の人々の思いがある。違う人間同士が暮らせば、どこでも、あつれきもよろこびもある。他人の気持ちはなかなか見えない。どんな人がどんな思いをして生きているのか、気づかずに私たちは生きている。

つまり、海外に渡航歴があろうとなかろうと、沖縄でも東京でもリマでもマニラでも、私たちはみんな「幽霊」と一緒に暮らしている。それがこの世界なのだ。でも想像力をもつ人間ならば、見えない存在に思いをはせることはできるんじゃないか。舞台「イミグレ怪談」から私はそんなメッセージを受け取った。

開会式の司会はジョン・カビラさん(配信ウェブより)

この舞台にはいくつかの種類のお酒が登場する。dot architects による居心地のよい舞台装置がすばらしいこともあって、見ているとものすごく、一杯飲みたくなる。まずは沖縄土産のお酒を飲みながら、家族と話したくなった。

舞台「イミグレ怪談」(神里雄大/岡崎藝術座)は12月15日~19日に、東京芸術劇場シアターイーストで東京公演があるほか、京都でも公演がある。また見に行きたいな。

神里雄大さんのnoteでもイミグレ怪談について書いていらっしゃいます。


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