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女ことば、男ことばの違いと限界。

同じ日本語でも地域によってさまざまな方言がありますし、年齢やカルチャーによって言葉遣いや語彙選びはかなり幅が出るものですが、その違いは男女においても顕著かもしれません。

今はむかしのように、男性は男ことば、女性は女ことばという教育を受けるわけではありませんし、飛行機の機内アナウンスなどでも「ladies and gentleman」といった呼びかけはなくなりつつありますが、それでも慣例によって、男ことば、女ことばは随所で残されているといえます。

オリンピックなどで優勝した男性選手が表彰台でガッツポーズをしても問題ないのに、女性選手が同じようなポーズをとったらはしたないといわれたり、子育てで子どもをしつけるのに父親は厳しい言葉を使っても許されるのに、母親が同様の言葉遣いをすると違和感を与えるといったこともあります。

女ことば、男ことばにはそれぞれ良さがあると思いますが、相手に明確に自分の意思を伝えたり、考え方や見解の相違を厳しく指摘したり、叱責したり苦言を呈するような場面では、やはり女らしい言葉や言い回しにはある種の無力感がつきまとうものです。



平野卿子著『女ことばってなんなのかしら?「性別の美学」の日本語』(河出書房)では、女ことばの歴史的な変遷や現在的な意義について触れつつ、その限界や性差別的なカルチャーへの影響について考察されています。

柔らかくて周りを和ませ独特の愛情を感じさせる女ことばは、女性的な魅力を高めたり社会的な秩序をほどよく調和させる効果がありますが、男ことばとはうらはらの限界を背負っています。

笑顔で礼儀正しくふるまい、相手の意をくみとったり、その場を和ますことには長けた女ことばは、それゆえに謙遜やへりくだりというポジションから抜け出すことが難しく、堂々と自己主張したり、明確に相手に異論をぶつけるのには適さないのです。

言霊という言われ方をするように、言葉は人間の心や行動の源泉でもあります。女ことばの限界は、ただ単に言葉遣いの問題にとどまらず、広く社会における女性の生き様やポジションにもむすびついています。



たとえば、部下がとんでもないミスをして厳しく叱責して反省を促すことが必要な場面で、上司であるあなた(女性)は、女性ゆえに女ことばやそれにともなうカルチャーの壁に直面することもあります。

単純に言葉遣いに苦慮するだけでなく、部下が男性の場合はさらに女性→男性という人間関係の問題も顕在化するケースもあり、表立っては表現されないにしても、上司という側面以上に「女性」というポジションで人目にさらされることにもなります。

育児や家事、介護や地域活動などの「ケア労働」の場面では抜群の効果を発揮し、また老年になってからの過ごし方においても周囲との調和や癒しを与える効果がプラスに作用する女ことばは、こと権利義務がぶつかり激しく利害調整を迫られるビジネスシーンでは、ときにむなしいほどに無力化してしまうものです。



この点、同じ言葉遣いであっても、日本語を英語に置き換えたら躊躇なく発言できるというケースもあります。必ずしも語学が堪能でなくても、海外旅行などにおいては、しばしばそのような場面で気分がリフレッシュできたとう感想は聞くものです。

それは、英語が持つ日本語とは異なる合理的で論理的な特徴もさることながら、ふだん慣れ親しんでいるカルチャーからいったん距離をとって自己表現することの効果もあると考えられるでしょう。

今は女性の時代、女性活躍推進といわれながら、無意識のうちに女ことばが立ちはだかってマイナスに作用しているような場面も、実際にはかなり多いと思います。



今年正月の能登半島地震の際、あるテレビ局のアナウンサーがあえて「命令口調」で視聴者に避難を呼びかけたことが話題になりました。このようなとっさの判断と行動は、男性、女性にかかわらず、大切なものだと思います。

女らしさ、男らしさの特徴や良さはもちろん残しつつ、ビジネスの場面などにおいては、必要以上に女ことば、男ことばの違いが意識されすぎることのないよう、みんなが合理的でフラットな関係で過ごしていきたいものです。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。