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異性から学ぶのは良いことなのに・・・

男女の垣根がかなり緩やかになってきた時代だといわれます。

女性は今まで以上に社会に出て活躍することが推奨されていますし、男性もファッションや身のこなしは中性化に向かっているのは間違いないですね。

男は男らしく、女は女らしくという発想にはもちろん賛否があると思いますが、最終的には個人の価値観や感性に帰着することを思えば、肯定か否定かという二元論にあまり意味はないのかもしれません。



女性が男性からどんどん学んで取り入れると、行動や人脈の幅が広がってより活動的に能動的に振る舞い、社会で生きていく上での基盤や厚みが増していくと思います。

男性が女性からどんどん学んで取り入れると、人間としてのしなやかさやありのままに他人と分かち合う感性が芽生えて、人格に丸みと奥ゆかしさができると思います。

どちらも本当に素晴らしいことですし、いろいろな分野で活躍している人たちは、自然とこういった異性から学ぶというアプローチを盛り込んでいる例も少なくありません。



でも・・・

実際の今の世の中の価値観では、こうした振る舞いや価値観はあまり好意的に受け止められているとはいえないでしょう。

まだまだ、女性が男性から取り入れようとすると、生意気だとか、らしくないとか、無理しなくても良いといった、一面的な評価を受けがちです。

同じく、男性が女性から取り入れようとすると、男らしくないとか、恥ずかしいとか、気持ち悪いといった、否定的な受け止めをされがちです。

とっても不思議ですが、この流れはそう簡単には変わりそうもありません。



いわば、今の世の中は「二重構造」になっているのだと思います。

男は男らしく、女は女らしくあることが規範として求められるし、それから逸脱するとネガティブな評価をされるのに、事業家でもクリエーターでもアーティストでも、実際には異性からどんどん学び取り入れることを実践しているという矛盾。

成功者だから、芸能人だから、音楽家だから、世の中と違った感性や文化を取り入れて活動することが許される、と考える人も少なくないかもしれませんが、本来、人間の表現や行動に職業や社会的地位は関係ないはずです。

なぜ、一般的には規範として許されないことが、一部の人たちには許されるかのようにみえるのでしょうか?



ずばり、自分という存在に不動の自信を持って、あえて他人に影響されずに、ぶれずに堂々と行動しているからではないでしょうか。

他人を寄せつけない社会的地位や成功体験があるから自分に自信が持てるのか、そうした自信を持って努力を積み重ねることでダントツの結果が出ているのかは分かりませんが、おそらく両方の要素を帯びているケースも多いのではないかと思います。

だとしたら、先に自信を持って行動することで、誰にも遠慮なく堂々と異性から学び取り入れることを実践すべきなのかもしれません。



男は男らしく、女は女らしくという規範は、日本古来からの普遍のしきたりだと思われがちですが、少なくとも明治以降と江戸時代までのジェンダー観はまるで違ったものであったことは間違いありません。

明治以降の規範がすべて無意味で行き過ぎだったとは断定できませんが、少なくとも日本の敗戦にいたるまでの男女二元論のユニットは、そろそろ根本的なアップデートが必要だといえると思います。

人間はお互いを意識し合い、助け合い、分かち合う生き物ですが、同時に牽制し合ったり、異なる個性を排除したり、無意識に同調を求める生き物でもあります。特に日本人はその傾向が強いといえます。



とにかく周りを気にし過ぎずに、男性はどんどん女性から学び、女性はどんどん男性から学ぶ。自分に自信を持ってこのスタンスをきっぱりと作り上げるだけで、顕著に結果は変わってくるのではないでしょうか。

同じであることのメリットや安心感以上に、異なることを認め合えないこともデメリットや不安定感の方が目立つ時代になりつつあるともいえると思います。

いい意味での不動心を持って、男性、女性にとらわれ過ぎない生き方を貫いていきたいものですね。この小さな勇気の積み重ねが、たしかに時代を変えていくのは間違いない気がします。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。