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国際男性デーと「男の生きづらさ」

11月19日は、国際男性デーです。ここ数年は特に男性を取り巻く社会問題などをテーマとしたさまざまなイベントが増えてきていますね。3月8日の国際女性デーと比べると、まだまだ知名度も社会的な取り組みも小さいといえますが、それでもじわじわと認知度や問題意識が高まりつつあるのは、男性のみならずすべての人にとって有益なのではないかと思います。

今までの社会の構造は、基本的に男性がマジョリティで女性がマイノリティであるという認識を前提に成り立ってきました。このような構造は多くの人にとって容易には揺るぎがたい事実と考えられてきたため、社会におけるジェンダーをとりまく課題としては、もっぱら女性がクローズアップされて取り上げられるのが常套であり、男性をとりまく問題がピックアップされるような機会はごくごくまれでした。



分かりやすくいえば、女性が女性であることによってこうむる不利益や生きづらさは広範に認められ、社会的にも改善に向けて取り組むべき課題だと受け止められてきたのに対して(とはいえその取り組みはまだまだ道半ばであり本質的な改善がなされているケースは少ないといえますが)、マジョリティである男性がそのジェンダーゆえに抱える問題というのは基本的に課題とするにはこと足らない次元にあり、個々の事情や背景にともなう個人的な出来事だと受け止められがちだったといえます。

このような構図は、男性特有の問題を抱える人たちにとって好ましくない状況であっただけでなく、それと同じくらいの意味合いにおいて女性ならではの生きづらさを感じる女性たちにとっても言葉にならない苦悩や閉塞感に結びついていたようにも思います。なぜなら、女性をとりまく問題はあっても、男性をとりまく問題はないという構図は、そもそもマイノリティとしての女性の位置づけが暗黙の前提とされており、男性の悩みや苦悩はない=男性のマジョリティゆえの加害者性はある程度許容せざるを得ないという意識に結びつきがちだからです。



もちろん何でもかんでも男性が「男の生きづらさ」を主張すればよいとは思いませんが、そもそも子どもの頃から男だったら泣くな、弱音を吐くなといって育てられてきている多くの男性にとっては、男性特有の悩みや葛藤について自己開示できないことの方が大きな問題なのであり、基本的には被害者妄想が強すぎて困るというようなケースはごくごくまれなのだと思います。実際、男性が弱音を吐く姿をみて、「男のくせに情けない」というよりは、「素直に弱みを見せてくれた」と前向きに受け取る女性も少なくないようです。

「男らしさ」の同調圧力に染まる→女性に対して優位性を持とうとする→ハラスメント要素が拡大する→男性自身も生きづらくなるといった「負のスパイラル」を巻き起こすことから適度の距離をおくためにも、悩むべきことはおおいに悩み、弱音を吐くときには素直に弱音を吐き、泣きたいときには感情に任せて泣くことが必要なのではないかと思います。男が泣いたからといって、彼女や妻や娘や女子友から見下されるわけではなく、むしろ無理なく距離が縮まる時代なのではないでしょうか。


学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。