大学嫌い#5

インターネットで困っていることを調べると、検索結果には「ADHD」と出てくる。当時の私は発達障害についてあまりにも無知だった。発達障害の診断って多くの人が当てはまるというし、生きづらいと感じるまでだらけてなまけて逃げ続けてきた人間が私、だとしたらどうしよう。でもなにかこの生きづらさに名前がついたら、私はいくらか生きやすくなる。そう信じて診断を受けに専門機関に赴いた。

診断内容はくもん(塾)の幼稚園児がやるような内容だった。様々な試験を行い、その結果から発達障害か否かを診断するというものだった。それから今までの生活で起こった問題点を質問され、エピソードを話した。

結果から言えば、私はADHDのグレーゾーンだった。妙に納得していた。今まで何とか生きてこれたし、これからもこの生きづらさを感じながら生きていくのだ。と思ったら、なんだか未来に希望もクソも無くなってしまった。なにが私を救うのだろうか。よく「個性」という言葉でグレーゾーンの人は片づけられがちだが、沢山のデバフを個性と言い表したところで誰が喜ぶのだろうか。個性って、貼られたレッテルじゃない。自ら纏う、自らを彩るものだ。

そんなこんなで2年生はいくつかの単位を落として終わる。

そして3年生。救いが現れた。



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