大学嫌い#1

大学入学当時、私は希望に満ちた学生だった。大学生活は人生の夏休みと聞いていた。沢山の友人や私と気が合う恋人、そして教授に恵まれると信じて疑わなかった。でも今ではそのすべてが妄想であり、ほとほと私は人付き合いの苦手な人間なのだと知っている。

前提として、幼少期から学生時代までの話をしよう。
まず保育園、石ころと花を摘んで遊ぶような子供で、服はいつも姉のおさがりだった。おさがりって親は助かるのかもしれないが、着させられる当事者としてはとんだ迷惑である。姉は体が大きく、私は生まれた時ぎりぎり保育器に入らなかったが小さな子どもだった。姉のおさがりはどれも大きく、服はまだどうにかなるものの、靴が一番大変だった。私の足は大きな靴を履いていたせいで外反母趾になった。姉とは足の形も大きさも全く違うのだ。卒園が近くなった歳の頃、妹が生まれた。もちろん赤ちゃん返りをした。保育園の先生にも「甘えんぼうです」と誕生日カードや連絡帳に何度も書かれた。

小学生になり、生まれて初めて家と学校に「自分の机」というテリトリーを手に入れた。ランドセルを選ぶとき、今まで自分の好きな色なんて考えたこともなかったから姉と同じでいいか、とのんきな考えで赤にした。6年生で気づいたが、朱色だった。
小学校に入るとやたら好きな〇〇を聞かれるが、もちろん保育園ではそんなこと考えなかったので自分の好きな色や趣味、食べ物などがぱっとせず困惑した。好きな人もそうだ。幼稚園卒は恋愛に長けていて、保育園卒は恋愛なんてもの知らなかった。私は外で遊ぶことが好きな子どもで、極度の人見知りで、善悪のものさしがぶっ壊れていたので毎年問題を起こした。

中学、幼馴染という存在に気が付く。身近な異性。興味の対象である。もちろんお互いに意識した。周囲に押される形で付き合った。別れた。約3か月、特に何があるわけでもなく終わりを迎えた。この恋愛というパーティーがまだまだ未熟な時期に勝手にスタートし、そして終えてしまうことが付き合った当初から悲しかった。もう人生が交わることは無いのだろうけど、幸せでいて欲しいと思う。
別れた後、超陰キャ黒歴史生活の始まりである。人類誰しも、黒歴史を持っているだろう。学校ってマウス室みたいだな、と今になって思う。卒業は明るい未来、クラスメイトは全員友達、一致団結!こんなことを考えていた中学時代。本当に私は親の情報統制を受けて育ってしまったな。そもそもone for all, all for oneなんて中学で知った。日本語訳も然りだ。誰がそんなこと思いつくんだ。小説やアニメ、テレビといったいわば娯楽ともいえることを統制された結果、無知だけど純度50%みたいな私が出来上がった。
純度がなんでこんなに低いんだ!!
なぜかというと、小学校1年生の時にできた友達の影響である。ちなみにこの子と遊んだ記憶は小3からしか無い。こんな私を家に招き、エロ漫画を読ませた。これがゆがんだ性教育のはじまりである。ここは割愛するとして、今でもこの友達とはよく会う。性格は違っているが考え方が似ていて、一緒にいて心地いい。

そして高校。最高の高校時代。
最初の2週間、友達が出来ずに陰キャ生活をした。
友達が徐々に増え、クラスの9割は友達になった。
みんなでコンビニに通った。
朝から晩まで一緒にいて、みんなで一緒に帰った。
高校は不思議となんでもうまくいった。
作文に励み、賞を受賞した。
昔から変わらず、課題の提出期限を守ることがどうしてもできなかった。
生まれて初めてカップラーメンを食べた。感動した。
ゲームやtwitterなど、いろんな文化に触れさせてもらった。

そして、地獄の進学である。


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