見出し画像

最近出会った、素敵な映画

なぜか、ここ数年、映画の情報にだんだんと鈍くなってきている。
確かに映画マニアではないし、好みもかなり偏っているから、そんなたくさん観てないけど、昔ほど常に「今は何をやっているを把握している」みたいな感じじゃなくなった。
ネットフリックスなど配信サイトが便利すぎたか、どうせ映画を観たければいつでも観れる心理が働いているかもしれないと、最近ふっと思った。

とある日、林修先生の初耳学の、役所広司さんの回を観て、『PERFECT DAYS』をはじめて知った。番宣って、やっぱり宣伝効果があるな…って思った(笑)。
「公共トイレ清掃員の日常」の映画って、どんなものだろう、単純な好奇心で興味を持つことなり、観たくなった。

しばらく忙しく、このことを忘れそうになったとき、noteでこの映画のことについての記事を見かけて、早く観なきゃ!と急いですぐにチケットを予約して、退勤後に職場の近くの映画館に観に行った。

映画を観るときは、いつもなるべく予告編を観ずに観に行ってる。
タイトルとメインキャストとメインビジュアルなど情報で、先入観最小限で観たい。もちろんキャッチコピーや番宣でもらう情報もあるのだが。

とにかく今回もあまり事前準備がないままで、映画館に入り込んだ。

こんな不思議の体験の映画は初めてかもしれない。
映画もそうだが、本や物語は「必ず何かしらが起きる」という、私たちは期待してしまう。「そろそろ来るかな?あ、ここ、何か起こるんじゃない?」
みたいな驚きを受ける準備をいつもしている。

でもこの作品は、何も起こらない。
何も起こらない中、ただただ主人公「ヒラヤマ」の日常とルーティンが繰り返して、規則正しい毎日の中の細やかな違いとちょっとしたことを味わい、ほっこりしたり、ちょっとクスッと笑ったり、少し悲しくなったりして、ヒラヤマの毎日を見ていく。

ルーティンだけど、ルーティンだけじゃない。
感情の揺らぎもあるし、毎日はどこかが違う。
変わらないものなんてない、一瞬一瞬がすべてが違う。

毎朝ヒラヤマが目が覚めた表情を見ると、「今日はまた新しい一日だ」とこっちまで伝わってきて、今日はどんな一日になるんだろうと、知りたくなって、この作品を延々と見られる気がする。

だからいつの間にか、「そろそろ来るかな?あ、ここ、何か起こるんじゃない?」から、「今日のヒラヤマさんの日常に集中しよう」に切り替えた。
今のこの瞬間を大切にすることを、映画を観ながら教われたと思う。


その日の帰り道は、とても上機嫌だった。
すっかり夜になったけど、夜空は晴れていて、なんだか周りのすべてが愛おしく感じてしまい、誰かにシェアしたい気持ちになる。

ヒラヤマはどんな過去があって、今に至ったのかは気になるけど、作品の中ではあえて詳しく言わないという捉え方もできるかと思う。どんな人でも、その人でしか知らない人生であり、私たちはどんな人でも尊重しながら接して、自分の今を大切に過ごすこと。

これは、素敵な映画に違いない。

まだ観ていない人はぜひ、劇場で観てみてください。


この記事が参加している募集

映画感想文

こんな文書でも読んでいただき、いつもありがとうございます!