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家族

新潟から、地元岩手へ引っ越した。
約10年間の一人暮らしで、私はたくさんの荷物を抱えていた。一人暮らしは、なんでも自分で揃えないといけない。友人や周りの人から借りられるものなんて限られている。

岩手では実家に住むので、荷物をかなり減らさなければいけなくなった。
まずは家電はいらなくなる。キッチン用品も掃除道具もいらない。持っていくのは、私の服や本、細かな日用品くらいだ。

物を処分するというのは、本当に大変だと思った。家電を捨てるのにはお金がかかった。こたつ、座椅子、布団、ハンガーラック、ラグなども粗大ゴミとなるためお金がかかる。燃えるゴミ、燃えないゴミも有料袋が必要になるので何枚も買った。合計でいくら使ったかは考えたくない。
まずは、捨てるかどうか決めるのも簡単じゃない。まだ使えるな〜〜、思い出がいっぱいだな〜〜という気持ちとの戦いである。

あまり引越し準備の進んでいない状態で引越し3日前となり、母が新潟へ来た。
母はどんどん捨てて、どんどん段ボールに詰め、ものすごく動いてくれた。ただ、捨てるのを決めるのも私で、捨て方を調べるのも私で、母はなんでも私に聞いた。
私はだんだんとその質問にイライラした。
見ればわかるじゃん!さっき言ったじゃん!当たり前じゃん!などなど、言いまくった。怒らなくていいようなことで怒って、母もムッとするし言い返してくる。
私がイライラしすぎ、怒りすぎなのはわかっているけど、でも母も悪い。本当に見ればわかることだし、さっき言ったし、当たり前のことばかり聞く。聞けば答えてくれると思っている。思ったことをすぐ口にしていいと思っている。その気遣いのなさにも私は怒っていた。これから先、毎日一緒にいることになるのに、コミュニケーションじゃやっていけない!とも言い放った。
こんなにイライラするのは、私がおかしいのだろうかと寝る前に冷静になって考えてしまう。他の人にはこんなに怒ることないのに、家族には怒ってしまうし、それが止められなかったりする。厄介だな、と思う。家族は、やっぱり厄介だ。

言い合いを繰り返しながら、どうにか引越し準備を終えて、業者に回収してもらうことができた。私が捨てたくない!と言った本棚は、結局母の言った通り積むスペースがなく3つとも全て捨てることになった。母が言った通りばかりで、私はそれも面白くない。けっ!と思うけど、それはもう言わなかった。

引越し作業を終えてからは、特に言い合いもなかった。普通に話して、笑ったりして、イライラもしなかった。なんでもしてくれる母に感謝したし、これからも仲良く暮らしたいなと思えた。暗くなると運転が怖いという母も夕方まで頑張って運転してくれて助かったし、無事に実家に着いてからもテキパキと夕飯を準備してくれる姿にさすがだな〜と思った。相変わらずいろいろ質問されるけど、別に気にならない。返事は適当だけど、でも普通に会話ができた。

引越しのような非日常では、お互いに気をつけないとすぐに傷つけってしまう。ただ、そんな非日常を乗り越えていくのが家族だと思うし、家族だからこそ傷つけ合いながらも過ごすことができるのだと思う。引越しだけじゃなく、誰かの死や、誕生、さまざまな節目を家族と過ごしてきた。これからも家族と過ごしていく。地元に帰り、実家で暮らすことで家族という単位をもっと強く意識する。
一人の集まりであること、家族だから理解できるわけじゃないこと、許せるわけじゃないことを知っている。それでも一緒に生きていく。一緒に生きていきたいなと思う。

母が「暮らしを、一緒に擦り合わせていこうね」と言う。その通りだと思う。

また、これから日常の繰り返しだ。日常を柔らかく、優しく、明るく過ごしたい。何もないようで、全てあるような。大切なものは全てここにあるような暮らしを。この懐かしさと、窮屈さが漂う、地元で、実家で繰り返していく。

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