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いつもの自分で実家へ。

この春、退職するため有休消化をしている。社会人になってからこんな長期の休みは初めてだ。
休みに入り、さっそく実家に帰ってきた。
新潟〜岩手、車で6時間。車で帰るのは2回目だけど、1人で行くのは初めてだ。
一車線しかない磐越道にドキドキして、宮城の広さに心が折れそうになった。話し相手が欲しい!と何度も思ったけれど、ラジオとSpotifyに救われながらどうにか実家に着いた。
妹が東京に行き、両親しか住んでいない実家はやはり広くなったなーと思う。
「おかえり、おかえり」と母が私を迎え入れる。
10分後には仕事を終えた父が帰ってきた。「ただいま、おかえり」と言う。

テーブルに座ると、お刺身と酢飯と海苔が出てきた。父がコップとビールを持ってくる。漬物と煮物が出てくる。座っているだけで出てくることに、帰省の1日目は毎回驚く。高校生までは当たり前だったのに、一人暮らし9年目を終える今はそのありがたみが痛いほどわかる。
あれこれ話しながら手巻き寿司を食べた。あれも食べなさい、これも食べなさいと言われる。食後に父とビール片手にポテチを開ける。ご飯の後にお菓子を食べても怒られないのが大人のいいところだなと思う。
最近のことや今後のことは少し話して終わり。あとは思い出話ばかり。これは優しさだなとわかっている。

今回の帰省では「できるだけいつも通りの自分で過ごす」と決めた。私にとって帰省は楽しいだけでなく、家族との距離感とか、家族との会話とか、何かと気になることが多い。大好きだけど、一緒には暮らせないな〜と思う。大好きだけど。
実家にいる時は、1人で出かけるということがほとんどなかった。せっかく帰ってきたのだから家族との時間を大事にした方がいいと思っているし、車がないと移動できない土地なので親の車がないと出かけられない。何より、出かけるとなると「どこにいくの?」「誰と会うの?」「何するの?」といろいろ聞かれて、それに答えるのも嫌になっていた。親は別に悪気はなく、ただ心配していて、会話の一つでしかないのだろうけど、それに答えるくらいなら行かなくていいやと思ってしまう。
今回は、自分の車で帰ってきたことと、最初から「今回は1人で出かけるから私の予定は気にしないでね」と伝えておいたことから、友達との予定を入れたり行きたいお店を決めたりしていた。今までの帰省より圧倒的に気持ちが楽になった。

帰省して3日目、とても楽しく過ごすことができている。

友達と会ったり、1人でコーヒーを飲みに行ったり、洗車に1時間並んでぼーっとしたり。普通の時間だけど、それが心を支えている。
1人で出かけるからねと伝えておいたからか、あまり質問もされない。「いってらっしゃい〜、鍵はいつものところね」と気持ちよく送り出される。
母は玄関まで見送りをするタイプなので、毎回玄関まで来て手を振っている。

会う友達も限られていて、グループで会うことはほとんどないので、気持ちがとても楽だ。個別で会うに越したことはないなーと改めて思う。
母になった友達と、くだらないことが話せて嬉しい。飲みに行ったり、映画を見たり、買い物に行ったりしたいと言われて嬉しかった。もうそういう遊びはできないかなと思っていたけれど、いいのであればそうやって遊びたい。まだまだ遊ぼう〜〜と言えてよかった。

こうやって車で帰って来れることがわかると、これから帰省の機会が増えそうだなと思った。家族について考える、定年間近の親のことについて考える、自分が今後1人だった時のことを考える。家族のために生きていないとか、親の期待に応えなくていいとか、親子関係を楽にしてくれる言葉と出会ってきた。その通りだと思う。でも、私は、私の場合は、家族の幸せなしに私の幸せは語れない。成り立たない。親の期待はもうあまり感じない。ただ幸せに生きていって欲しいと思われている。愛されていることを知っている。だからこそ、家族と生きていきたい。距離はこのままで、家族と生きていく方法を探していきたい。

「家族みたいな友だち」に随分と助けられてきた。でも、友だちは友だちだ。みんなそれぞれ家族がいて、家族を作っている。その強さに友だちは入れない。わかっちゃったなーと思う。それがものすごく悲しく感じる時もあったけど、今はそれほど。それほどなのだ。わかっちゃったから。これはまだまだ言語化が必要。

今日も岩手は晴れている。
今日も母は私の心配をしている。
今日も父は仕事に行った。
家族が、生きている。
地元で、生きている。


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