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タジキスタン・パミール旅行記17 〜最終章 日本帰国〜

ホログを後にした私は、数日ぶりのパミール・ハイウェイを経由して無事にドゥシャンベに帰還し、Aさんとも無事再開することができた。今回の旅もいよいよ終盤。残る最後の難関は日本帰国である。

(前回の話および記事一覧)

ドゥシャンベ国際空港へ

2022年8月19日金曜日。ついに帰国日となった。

朝食後、おばさんに別れを告げ、Aさんと共にタクシーでドゥシャンベ国際空港へと向かった。

これで少なくとも当分はお別れになるドゥシャンベの街をタクシーの窓から眺めていると、Aさんにドゥシャンベの街の写真を撮らないのかと言われた。それで写真をいくらか撮ったような気がしていたのだが、今あらためて当時の写真を見てみると見当たらず、また撮った形跡も無い。ただ、おぼろげな印象は割と残っている気がする。

空港では、Aさんともお別れである。

移民・出稼ぎ供給大国であるタジキスタンでは、毎年多くの人々が、主に経済的な理由で(時としてその他の理由で)国を離れている。教育水準が高い一方で産業の乏しいパミールは、とりわけその傾向が強いだろう。Aさんも近々某国に移住する予定である。

次回タジキスタンに来た時には、おそらくAさんには会えないだろう。ネット上では一応つながっているし、某国で会う機会もひょっとしたらあるかもしれないが、対面で会えるのは今回が最後の可能性も低くはないだろう。

願わくば、いつかまたどこかでAさんに再開したい。

ドゥシャンベ国際空港にて、飛行機の機内より。この写真がこの日撮った最初の写真だった。

アルマトイへの空路

出国審査等は特に問題なく進み、飛行機は行きと同様に30分程度の遅れで空港を離陸した。

席は進行方向左側の窓側で、窓から地上の様子がよく見える。また、行きのソモン航空の飛行機は機内にモニター等は無かったが、今回のカザフスタン系のエア・アスタナはモニターもあり、今どのあたりを飛んでいるかが把握できる。

高度を上げてしばらく飛ぶと、窓から見える光景はパミール方面と思しき山々になった。どのあたりがホログの方向かは把握できなかったが、名残惜しさとともに山々を眺めた。

窓の下のほうには、何か大きな川のようなものが見えた。パンジ川はここまで広くなく、もっと向こうのほうだと思われるので、別の川だろう。

しばらく飛ぶと、山々はさらに高くなり、飛行機から見てかなり近い場所にあるように感じられた。パミールの最高峰は7000m級の山々であり、おおよそ11,000mほどの高度を飛ぶ飛行機からであっても、富士山よりもずっと近くに見えることになる。新鮮な光景だった。

飛行機の窓の光景は、やがて山岳地帯を過ぎ、しばらく飛んでカザフスタンのアルマトイに到着した。アルマトイの近くの国境を挟んたキルギス側には、イシク=クル湖という大きな湖があり、到着直前あたりに窓から見えないかと思ったが見えないようだった。

ドゥシャンベを離陸して高度を上げる。
パミール方面と思しき方面を望む。手前の大きな川はヴァフシュ川(スルホーブ川)か?
パミール方面と思しき山々を望む。飛行機は11000mくらいを飛んでいたと思うが、山々がかなり近くにあるように感じられた。
山岳地帯を抜け、平野に出る。多分キルギスあたりの上空(オシあたりか?)。
アルマトイ国際空港への到着前。アルマトイの街を望む。

アルマトイにて

アルマトイ到着後は、行きにアルマトイに立ち寄った時と同様、特に問題なくスムーズに入国できた。次のソウル(インチョン)行きの飛行機は夜に出発である。

日本に帰るにはPCRの陰性証明が必要である。可能ならドゥシャンベで取っておきたかったが、ドゥシャンベ帰還が一日遅れた関係でアルマトイでの取得となった。

空港のPCR検査所で、受付のお姉さんに陰性証明が得られるかどうか訪ねたところ、「特急コース」なるもので3〜4時間ほどで取得可能とのことだった。料金は日本国内で見る値段よりだいぶ安かったと思う。万が一陰性ではなかったらどうしようと悶々としながら、飛行機のキャンセル方法や航空会社への連絡手段などを調べつつ、一方で仮にホテル等に待機となった場合でも、アルマトイに滞在するのも悪くないかもしれない、でも帰国が伸びるならどうせならホログのほうが良かったな、と思ったりもした。

PCRの結果は陰性だった。それまで一貫して無愛想だった受付のお姉さんは、最後に笑顔で陰性証明を渡してくれた。

アルマトイ国際空港にて
アルマトイ国際空港より、キルギス方面の山を望む。これが今回帰国前に撮った最後の国外での写真だった。

日本帰国

ソウル行きの飛行機に乗ると、私の席に一人のカザフ人と思しきモンゴロイド系のお兄ちゃんが座っていた。お兄ちゃんに

「イズヴィニーチェ、ジジェーシ・マヨ―・ミェースタ(すみません、ここは私の場所です)」

とロシア語で言うと、お兄ちゃんは窓を指差しながら

「ヤー・ハチュー……(私はここが良い)」

と言った。私も窓際に座りたくて窓際の席を予約しているので、

「ヤー・トージェ・ハチュー(私もそこが良い)」

と言うと、席を譲ってくれた。

機内では、お兄ちゃんはしばしば身を私の前に乗り出し、窓の外の景色を眺めていた。私も、時としてこのお兄ちゃんくらいの積極性が必要なのかも、と思った。

機中泊の後のインチョン到着後は、関空行きの飛行機への比較的短時間での乗り継ぎである。インチョンでは何か飲み物が欲しいと思ったが、日本到着後に空港でペットボトルでも買おうと思い、何も買わずに関空行きの飛行機に乗った。

関空到着後、何か飲み物が欲しいと思ったが、降機後のエリアでは自動販売機類は使えないようになっており、他に水が飲めそうな場所も無かった。空港内には、入国前の検疫関係の多くの係員が旅客の誘導やら何やらにあたっており、噂には聞いていたが本当にたくさんの係員がいるなと思った。

係員との個別面談もあり、体調は万全ではないと伝えたが、家まで帰るのは大丈夫そうと言うとそのままOKとなり、日本入国となった。

ロストバゲージ

入国後の預け荷物のピックアップエリアでも飲み物が買える場所は無く、ターンテーブルから自分の荷物が出て来るのを今か今かと待っていたが、一向に来ない。やけに時間がかかるなと思っていると、やがてターンテーブルは停止した。

係員の人に荷物が出てきていないと言うと、調べてくれることになり、やがて係員の人の連れてきた担当のお姉さんから「ソウルでの乗り継ぎ時間が短く、荷物の検査が間に合わなかったので、ロストバゲージになった」との報告をもらった。最後の最後に久々のロストバゲージである(前回は、10年以上前にシベリアの某所に行った時に、荷物をシベリアではなくペテルブルクに送られたということがあった)。

ともかくも荷物の所在は判明しているので、インチョンから関空に届き次第自宅まで送ってもらうことになった。送り先等の手続きをし、荷物チェック用に鍵を担当のお姉さんに預けたが、それだけ飲み物にありつくのが先送りになるのが辛かった。

手続き後、預け荷物ピックアップエリアを出たが、そこでも自販機系のものはすぐには見つからず、関西国際空港駅まで行ってようやく自販機にありつくことができた。

帰宅

関空から自宅までも、特に問題なく帰ることができた。しかし、体調は再び悪化してきて、今までは無かった咳も出るようになった。

帰宅の数日後、ロストバゲージしていた荷物が無事届いたが、咳は依然として続き、親からもらったコロナの簡易検査キットを使ってみると、陽性との結果が出た。翌日あらためて病院でチェックしてもらい、やはり陽性とのことで、晴れて?十日間の自宅待機となった。

どこでコロナをもらったかは不明である。おそらくは帰りの飛行機の中で、体力が落ちて免疫が弱っているところをやられたのではないか、と推測したが、もっと前からかかっていたのかもしれない。帰国前のPCRは陰性だったが、どの程度の信頼性があるかはわからない。それこそ、ひょっとしたら日本出国前からかも……とも思ったが、知人の一人に「潜伏期間的にそれは無いと思う」とも言われたので、やはり、体力が落ちているところを帰りの飛行機でもらったのだろうか。

コロナのほうは、咳が出る他は症状はそんなに重くはなく、隔離期間経過後も咳だけはしばらく続いたが、やがて普段どおりになった。

あとがき

2022年8月のタジキスタン・パミール旅行から、本日(2023年3月)までに7ヶ月強の時が過ぎた。昨年9月から書き始めたこの旅行記も、ようやく完結となった。昨年の夏がずいぶん昔に思える一方、まだ半年強しか経っていないのかとも感じる。

この間、シュグニー語の勉強も継続し、実力はまだまだ全然ながら、少しずつは進歩していると思う。言語に関しては、最近はシュグニー語の他に、パミールのワハーン地区で話されているワヒー語にも少し手を出している。

今回のパミール旅行に限らず常に私を悩ませているコミュニケーション力不足も、まだまだ全然ながら、日々少しずつ改善してきていると思う。

私は今後も、パミールには足繁く通いたいと思っている。もちろん、時間やお金、他の旅行との兼ね合いもあるが、自分の人生にもこの世界にも何があるかわからないし、行ける時に行けるだけ行っておきたい。次回のパミール訪問は、とりあえず今年を計画している。

前回はパミールでの滞在はホログのみで、しかも後半は寝込んでいたが、次回はパミールのいろいろな場所を巡ってみたい。もちろん、ホログのいろいろな場所も再訪したいし、パミールの知人・友人たちとも再開したい。パミールの文化についても、そもそもパミールに興味を持つきっかけになったイスマーイール派についても、まだまだ知らないことだらけである。

私の人生の中で、パミールへの旅は始まったばかりである。

(終わり)

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