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【新撰組 局長】会津に眠るLASTサムライ

新撰組は現代では誰もが知る幕末最強と言われた剣閣集団ですね。
幕末は現代日本のあり方を大きく左右する佐幕派、倒幕派の間で大規模な戦が勃発しました。

新撰組は佐幕派、いわゆる徳川幕府側の勢力として京都の治安維持を担いました(当時のお巡りさんですね)。

戊辰戦争では鳥羽伏見の戦いに敗れ、甲州でも敗れ、宇都宮、会津、
最果ての函館でも戦いましたね。
それぞれの地で隊士も徐々に離脱し、函館は副長の土方歳三終焉の地として知られています。

その土方の大将である局長、近藤は函館まで共に戦うことができず、
甲州での敗戦ののち、今の千葉県流山で新政府軍に捕まりました。

囚われた近藤は東京都板橋にあった板橋形場にて斬首となりました。
近藤の身体は三鷹市の竜源寺に埋葬されましたが、
首は三条河原に晒されました。
時代が時代ですが、残酷な処遇ですね。

しかし、その首は何者かに持ち去られ行方が分かっていないようです。

会津にあるこのお墓には、近藤の首が埋葬されていると言われています。
近藤の首を奪い返したのは、副長の土方、または三番隊組長の斎藤一とも言われています。

こちらが、会津の近藤勇のお墓に書かれている札です。

没後、160年近く経ちますが、今も語り継がれる新撰組。
もしかしたら、脚色されている部分もあるかもしれませんが、
私たちが知らない歴史に残されていない活躍も、
もしかしたらあったかもしれませんね。

武士よりも武士らしく生きた漢の最後。
会津にお立ち寄りの際は、近藤が眠るとされる
天寧寺の近藤のお墓にお参りに来てみてはいかがでしょうか。

隣接する愛宕神社からもお墓参りに行けます。
この愛宕神社も中々見応えのある神社です。
祭神:カグヅチ、イザナミ、ツクヨミ

石段すげ〜長いですが^ ^;

愛宕神社 石段(本日撮影)

天寧寺
福島県会津若松市東山町石山天寧208
アクセス:ハイカラさん・あかべぇ「奴郎ヶ前」下車、徒歩15分

最後までありがとうございました( ◠‿◠ )

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