エドワード・ゴーリー 『音叉』

★★★★☆

 6月から始まったエドワード・ゴーリーの新作3点連続刊行のラストを飾る本作。原題は『The Tuning Fork』。訳者はもちろん柴田元幸。

 いつものことながら、あらゆる点で安定したクオリティが保たれています。これまでのゴーリー作品が好きなら、楽しめるでしょう。
 ただ、解説でも触れられているとおり、話の筋はいたってストレートです。条理に添わないのがゴーリー節ですが、わりかしふつうの展開をするところがゴーリー的には異質です。ストーリー・テリング的にはふつうなんですけどね。
 異質の異質はふつうという、こんがらがった話です。

 今作もしっかりと脚韻を踏んだ訳になっています。
 僕のお気に入りは以下の二つですね。

「Her conversation and her dress
Alike inspired them with distress.」
(彼女の会話も服装も 等しく彼らを苦しませた)

「話といい 服装といい
 聞いても見ても 頭がキィィ!」

「頭がキィィ!」ですよ? 
 この原文からはふつう出てこないですよね。もう脱帽です。「頭がキィィ!」って。

 それからこれもいいですね。リズムが抜群です。

「The same thing happened, one by one,
 To all the rest. How was it done?」
(同じことが 一人また一人と 
 全員に起きた。いったいどうやったのか?)

「一人 一人と 非業の死
 誰の仕業か あな恐ろし」

 逐語的にはやや違っていますが、翻訳としてはぴたっと決まっています。

 このようにほとんど文句はないのですが、気になった点がひとつだけあります。

 ここまで韻を踏んできたのに、最後のページだけ脚韻を踏んでいないんですよね(散文訳と同じ)。
 原文ではfrightとnightで韻を踏んでるのに、どうしてなのでしょうか? うまい訳が思いつかなかったのでしょうか? それとも誤植? そこだけちょっと首を傾げます。

 ここだけ思いつかなかったというのは考えにくいので、個人的には誤植だと思ってます。根拠は何もないので憶測でしかありませんが、柴田元幸ならきっちり決めてくるはずです。
 実際のところ、どうなんでしょう? ううむ……。

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