表紙_

社会に出るために必要なものを沢山学んだ時間-Story④

こんにちは!
さて、やっと大学時代まで来ましたね。
高校時代までのストーリーを読んでいただいた方はありがとうございます。
まだの方はこちらから読めるので、是非時間のある時にでも読んでみてください。
自分の歴史を振り返ったことはありますか?-Story①
様々な変化が自分を成長させるキッカケになる-Story②
自分のマインドセットが作られた原点-Story③

◆ ドラえもん生活で修行の日々?!
◆ チームは日本一。でも自分は・・・?
◆ 水泳生活の引退。目指すはロサンゼルス

◆ ドラえもん生活で修行の日々?!

大学時代を一言で表すと…「修行」ですかね。
様々な意味が込められているのですが、肉体的にも精神的にも人生においても修行の4年間だったと思います。

まずは上京して入寮。初めて家族の元を離れての生活は何よりも親のありがたみ、家族のありがたみを身をしみて感じることが出来ました。水泳部の寮に入っていたので、朝晩の食事には困らなかったのですが、洗濯や下級生の寮の仕事に何度かホームシックになりました。(下級生の寮の生活に関しては、これから書いていきますね。)

※こちらは水泳部ではなく、大学のクラスメート

僕は日本大学に進学し水泳部に所属していたのですが、その当時は今のように何かあればすぐに問題になるような時代でも無く、体育会系の上下関係は当たり前だと思っていました。
今でもお酒の席になると話の種になるのですが、水泳部に入部すると新入生には「ドラえもん生活」と言うものが待っていました。
何かと言うと、寮の部屋は4人部屋で4回生、3回生、2回生、1回生の4人になっており、そんなに広くない部屋を上級生から順に各場所を確保していきます。布団を敷くスペース、タンスを置くスペース、テレビを置くスペース…そうすると自然と1回生の場所は無くなります。
そこでどうするかと言いますと、押し入れに布団を敷いて自分のスペースを確保するのです。良く言えば個室ですが、夏は湿気ですごく暑かったのを覚えています。ただ、それが嫌だったとか苦だったとかいうことは無く、すごく良い経験をさせてもらったというのが正直な所です。なぜならこのようにいつでも大学の話になるとネタに出来るから。多分、もう一生経験することは無いと思いますが…笑。

今では寮も僕たちが住んでいた時よりも格段に設備も整っており、各部屋に2段ベッドが入っているみたいです。少し寂しい気持ちもありますが、設備が良くなって生活環境、練習環境が整っていくのは素晴らしいと思います。
その他にも寮での仕事は様々あり、寮生活や上下関係に悩んだ時期もありましたが、おかげで忍耐力は人一倍ついたと思います。
寮生活での仕事や決まりなど、ここに書くと永遠に書けそうですが、長くなるのでまた会った時にでも聞いて下さい。

◆ チームは日本一。でも自分は・・・?

水泳の方では、僕が入部した2006年と2007年に日本大学は学生日本一になりました。チームが日本一になった事はすごく嬉しかったのですが、正直あまり個人の結果でチームに貢献できていなかったので自分自身では複雑な気持ちでした。
そんな中、中学から専門にしていた個人メドレーでも苦手種目が浮き彫りになり、水泳人生で2度目の専門種目の転向を行います。ビジネスで言えばピボットです。
なんの種目に転向したかと言いますと自由形の短距離です。(50m、100m)

実は、種目を転向する時に自分の中で1つの葛藤がありました。それは世界のレベルと比べた時に明らかに日本の自由形短距離はレベルが低かったということです。つまり、日本で勝っても世界と勝負できない種目に転向をするのか、もう少し世界と勝負ができる種目に転向をするのか、思い悩んでいたのです。最終的に僕はチームの戦力になれる自由形短距離への、云わば消極的な選択をしたのですが、結果的にはリレーにも起用して頂き、結果も残すことが出来、チームに貢献できたのではないかと思っています。当時、自分自身が日本で勝てるレベルでも無いのに何故そのような事を考えていたのかはハッキリと覚えていませんが、自分なりに悩んでいたことは覚えています。
もちろん、今は日本の自由形短距離も世界と戦えるレベルまで上がっており、2020年の東京オリンピックでは日本人選手が表彰台に登ってくれるのを期待しています。

そんな中、2008年の日本学生選手権(9月)が終わり4回生が引退をし、僕たちが最上級生としてチームを引っ張っていく番になりました。高校の時とは違い、大学生にもなるとそれぞれが考えを持ち行動をするのですが、時にはそれがチームに悪影響を及ぼすことがあります。また日本大学にはそれぞれ地方からトップスイマーが集まるチームなので強い個性を持ったメンバーも何人か居ました。そんな子供でもなく大人でもない、個性の強いメンバーを纏めるのは非常に大変でした。
しかし、そんな個性のあるメンバー同士でも気持ちが1つになる瞬間があります。それが日本学生選手権です。高校のときにも感じた、チームメンバー全員が1つの目標に向かって全力で頑張る時です。
僕自身も日本学生選手権を学生時代最後のターゲットの試合にしていました。もちろん狙っていた大会なので個人の結果としても大ベストを更新し、やり切った感覚がありました。また、それと同時にチームが1つになる瞬間の感覚や雰囲気は高校3年の夏と同様に今でも鮮明に覚えています。

◆ 水泳生活の引退。目指すはロサンゼルス

そんな大学4回生の日本学生選手権(9月)が終わり自分の中でも一度、水泳人生にピリオドを打ちました。引退です。当時はやり切った感覚がすごくあり自分の中でも達成感でいっぱいでした。ただ、それまで毎日プールに入っていた生活からいきなり何もしなくなる生活は肉体的にも精神的にもキツかったので、時間があればプールに行って軽く泳ぐ、そんな生活をしていました。
(ちなみに寮とプールは同じ敷地内にあり起きて数秒で泳げるくらい水泳選手にとっては恵まれた環境です)

10月、11月になると同期の皆は就活でバタバタしていたのですが、僕は就職する気はありませんでした。なぜなら留学しようと決めていたからです。本当は高校を卒業してすぐに留学をしたかったのですが、当時は根性もなく一歩が踏み出せずにいました。そんな経緯もあって、行くなら今しかないと思い留学を決意しました。行き先はアメリカのロサンゼルス。
みんなが歩む、大学を卒業したら就職をするという一般的なレールから外れた瞬間でもありました…

と、今回も2,000字を超えてしまいましたが、大学時代を早送りで振り返ってみました。
アメリカでの生活や僕がロスで何をしていたのかは、また次回書きたいと思います。
Story④も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回、宜しくお願い致します!


山本哲史(Akifumi Yamamoto)
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株式会社RASCAL’s
スポーツを軸にビジネスを展開しているスポーツベンチャーです。
http://rascals.co.jp

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