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LAに渡米して学んだ事とは?-Story⑥

こんにちは!
前回のストーリーではアメリカに渡米をして、自分の人生が少しずつ変わる瞬間までを記載させて頂きました。今回は実際にどのように変わっていったのか?どのような経験をしてきたのかを書いていきたいと思います。

◆ 世界で勝負するということ
◆ 水泳は人生のワンピースに過ぎない
◆ 2度目の引退。そして浮かぶ「起業」の2文字

◆ 世界で勝負するということ

まずアメリカでの主なライフスタイルが変わりました。
今までは朝から学校に行って勉強をして、街をブラブラして帰宅するだけの生活だったのですが、南カリフォルニア大学(USC)でのトレーニングが始まってからは、トレーニングをする為に午後から通える学校に変えました。UCLA付属の語学学校は学費が高かったことや学校の場所が住んでいる所から遠かったなど様々な理由が重なったのもあります。
USCに通うことになってからの生活は、基本的には朝からトレーニング、帰宅してご飯を食べて、午後から学校という感じでした。

※朝の霧がひどい時はこんな感じでした。

水泳の方も順調にトレーニングをこなし、感覚を取り戻していきました。
ただ、アメリカで自分の記録が無いのでいきなり大きな大会などには出場することはできず、まずは地元の大会に出て記録を作っていきました。今まで国際大会を経験したことはなく、海外の大会運営の違いにも驚きました。日本の大会だと招集場があり、そこで一人一人名前を呼ばれ、コース順に座り自分のレースを待っているのですが、アメリカは招集場などは特になく自分の出番が来たら各自コースまで行ってスタートの準備をし、レースが始まります。日本では入場からレースまで自分のルーティーンがあったのですが、そのルーティーンが全く通じませんでした。
そんな運営の違いや文化の違いも一瞬一瞬を楽しんでいたのを覚えています。

アメリカで自分の記録が出来てからは出場できる大会の幅も広がりました。地方の大会やUS National、US Open、ミッションビエホ国際大会などにも出場しました。結果もバラバラで、A決勝(1~8位)に残ったり、B決勝(9~16位)に残ったり、C決勝(17~24位)の時もありました。
初めてのUS Nationalでも貴重な経験をしました。試合会場がスタンフォード大学のプールだったので、チームメイトと大きなバンでLAから6時間程かけてパルアルトまで向かったり、レース前のチームメイトとの会話、まだろくに英語も話せなかったけど、必死にコミュニケーションを取ろうとしていました。

ミッションビエホ国際大会には日本から先輩が出場しに来ていたので、一緒に車で行って、そのまま車で休憩をしてレースに出るという結構タフな事も経験しました。実はこの大会が僕の最初で最後の国際大会で、何とかA決勝に残ることが出来ました。当時、アメリカまで視察をしに来ていた大学時代の監督にも「これで国際大会のファイナリストになった!と言えるな」と言ってもらったのを今でも覚えています。

◆ 水泳は人生のワンピースに過ぎない

こんな風に水泳では、お金を払ってでも出来ないような経験を沢山させてもらい、楽しくも学びのある時間でした。また水泳を通じて色んな国の人と関わることによって様々な価値観や考え方を学んだと思います。家族を大切にすること、自分の人生を大切にすること、自分の意思を持つこと、何をするのにも年齢など関係ないこと、水泳は人生のワンピースに過ぎないこと、チャレンジする人を応援すること・・・まだまだあるのですが、全てが当時の自分には凄く学びになりました。今では悩んだり落ち込んだ時には、その当時の学びを活かして全てをポジティブに捉えられるようになりました。

そんな水泳も2度目の引退の時が来ました。2012年4月のロンドン五輪代表選考会です。アメリカに渡米をして、もう一度本気で水泳をさせてもらうチャンスを貰って、ターゲットにしていた大会です。結果は日本代表どころか、自己ベストも更新できずに終わってしまいました。もちろん悔しくて、もっと出来たんじゃないか?と思うことも何度もあったのですが、結果が全ての世界、それが自分の実力でした。それよりも周りの人への感謝の気持ちが大きかったです。引退直後のFacebookにもこんな投稿をしていました。

◆ 2度目の引退。そして浮かぶ「起業」の2文字

引退してからも2012年の年末までLAに居ました。
それこそ、何をすれば良いのかも分からずに学校以外はダラダラしていたと思います。ニューヨークやヨーロッパに一人旅に行ったり自分探しの旅もしていました。ただ、当時はそんなことをしても本当の自分は見つかるわけもなく、想像力や経験値だけが増えた旅だったと思います。今思えば、結果的には良い経験になったと思いますが・・・

そんな自分が一番恵まれていたのは周りの人達です。先輩の紹介で日本からLAに遊びに来る大企業の社長さんや著名な方と一緒に遊んでもらい、色んな経験をさせてもらいました。一緒に同じ時間を過ごさせて貰っている内に沢山の事を学び、何よりもみんなの目がキラキラしていたのを覚えています。その中に出会う数ヶ月前に自分の会社を上場させたIT企業の社長も居ました。その時に自由に自分の時間が使えて、世の中の為になる仕事は素晴らしいなと思いました。そんな色んな人達に囲まれている内に自分の頭の中にもぼんやりと「起業」の2文字が浮かぶようになったのです。

このようにLAは自分に沢山の学びや経験、新しい価値観を与えてくれました。

本当はアメリカでの経験や生活などもこと細かに書ければ良かったのですが、書いていると凄く長くなりそうなので今回はこの辺にしておきます。
次回はLAからなぜ帰国し、起業に至ったのかを書いていければと思います。
引き続き、宜しくお願いいたします!


山本哲史(Akifumi Yamamoto)
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株式会社RASCAL’s
スポーツを軸にビジネスを展開しているスポーツベンチャーです。
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