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商店街のアーケード撤去

商店街のアーケードという負の遺産

現在も問題になっていますが、これからもっと問題になるのが商店街のアーケードです。老朽化の問題が出てくるのはもちろん、そもそも管理者がいなくなってきています。

アーケードの修繕費は電気代は皆さんが思っている以上に高く、商店街に沢山のお客さんが来るならいいのですが、利用者がいない状態になるとない方がいいという話になってきます。

最近は撤去する商店街も増えてきていますが、これは本当にほんの一部。だからこそ、撤去できたところはニュースになっていたりします。

撤去には非常な労力と資金が必要になるので、中心市街地にある商店街だったり、本当に将来のことを考えた理事長・理事がいる商店街でなければできません。

大阪でアーケード撤去した商店街

実際に大阪でもアーケード撤去した商店街は少ないです。私が知っているところでは以下の通りです。

  • 今里新橋通商店街(東成区)

  • 南久宝寺商店街(中央区)

  • あびこ道商店街(住吉区)

  • 肥後橋商店街(西区)

  • 花園商店街(東大阪)

  • 阪急服部商店街(豊中市)

この中で関与したのは3つです。(ほんの少しだけですけど)

商店街のアーケードについて再確認

商店街のアーケードはそもそもなぜできたのかということです。

戦後は物流が今ほど整っておらず、生産量(供給)も不足していました。結果として、商品を調達することが大変で、お店も、商店街ぐらいしか買い物ができる場所がなかったので、山ほど商店街にお客さんが来ていました。

冷蔵庫もなかったので、保管できないです。そのため、毎日、主婦が食べ物を中心に求めて、商店街に来るしかなかったというのも大きな理由です。
(家庭用冷蔵庫は1975年【昭和50年】で普及率100%)

日本で最初にできたアーケードは1951年(昭和26年)の「魚町銀天街(北九州市)」だと言われています。

アーケードがあることが、力のある商店街の証だというような形になり、「ウチにも欲しい」ということで、日本中の商店街にアーケードが設置されるようになります。
特に大阪の商店街にはアーケードが多いです。

ただ、アーケードの設置費用は非常に高いので、自腹で商店街が全額を負担して作ることは中々難しいです。

そのころ商店街は一番人が集まる場所でしたので、宣伝の場所としても格好の場所でした。結果、政治家も大事にしていましたので、補助金も沢山ついたり、定額の借り入れでできるようなサポートもありました。

アーケードの建設においては個人が所有することは難しいので、基本的に法人の持ち物となります。商店街振興組合や協同組合という法人が一般的です。(商店街振興組合法:1962年【昭和37年】施行)

商店街自体は昭和30~50年代が全盛期と考えられていますが、実際には平成に入るころまでは言うほど悪い状況ではありませんでした。

ただ、平成に入りバブル景気が終わったころからは明らかに下降状況になりました。店舗への新規入店も減少することで空き店舗も増加していきます。

結果としてと以下の事象が発生しだします。

  • 後継者を継がせない商店の増加や新規参入がなくなることで、若い商店主が減り、組合活動の担い手が減少していきます。

  • 来街者の減少とコンプライアンスの高まりで、政治面でも補助金を出す余裕がなくなっていきます。

  • 商店街活動の意味自体の低下もあり、更に組合活動の担い手が減少します。商店街の出店者も減少します。

  • 残るのは、支える人がいないアーケード。

高齢者が多くなり、若者に負担が集中する日本の現状とほぼ同じです。

アーケードがない方が街は元気になる

最近はアーケードがない街しか活性化していません。
そして、ターミナルの一つ隣の駅・地域。大体、ガラが悪かったり、風俗店が多かった地域だったりします。家賃・管理費が安いので、若い人が出店しています。

大阪で人気のある(注目されている)地域は以下です。
一応、発展した時代の順です。前後はすると思いますが。

  1. アメ村・堀江(心斎橋の東隣)

  2. 中崎町(梅田の北東隣)

  3. 福島駅(梅田の西隣)

  4. 天満市場周辺(梅田の東隣)

  5. ウラナンバ・座ウラ(難波の隣)

  6. 蒲生四丁目(京橋の隣)

若干来ているなぁと思う地域は以下だったりします。

  1. 寺田町(天王寺の隣)

  2. 中津(梅田の北隣)

  3. 十三(梅田の北西)

  4. 九条(本町の二つ隣)

どこの地域もアーケードがない部分の方が盛り上がっています。

アーケード撤去はハードルが高い

とは言ってもアーケードの撤去はハードルがとてつもなく高いです。

  1. 費用面

  2. 心情面

一番の問題は多数の利害関係者がいるので、まとまらないということです。大きい商店街であれば、100人を超える場合もあります。
100人の立ち位置・考え方が違っています。

要素が多すぎるので、重要なポイントは箇条書きをしたいと思います。

■商店主側(組合)の要素

  1. アーケードは商店主の組合が保有している

  2. アーケードの年間の修繕費は非常に高い

  3. アーケード撤去に伴う個人の負担も大きい(壁面修繕・排水溝整備等)

  4. アーケード撤去の手続きが多い(電気・電話・ケーブルTV・行政等)

  5. 売上低下や仕舞屋が多くなり、アーケードのコスパが悪くなった

  6. 組合が資金を持っていればいいが、使い切っている組合も多い

  7. アーケード撤去による商店主個人へのプラスは小さい(全体では大きい)

■地権者側の要素

  1. アーケードをなくすと本質的に得をするのは地権者

  2. アーケードがあることで価値が高くなっている(家賃が高くなる)と思っている地権者の方もいる

  3. アーケードが不要になったら、現状復旧をするのが筋だろうという地権者の方もいる

  4. 地権者は基本動かない(何もしないでお金が入ってくるのが当たり前)

■行政側の要素

  1. アーケードの劣化による事故が起きたら困る(剥落・倒壊)

  2. 見栄えが悪くなり、地価減少・地域からのクレームが怖い

  3. 所有権は行政にないので、手を出せない。

  4. 撤去する場合の補助金は出しにくい(後ろ向きだという認識)

アーケード撤去の調整の流れ

大体、調整するのには複数年かかってきます。基本的には今のままがいいと思う人がほとんどです。(何も考えていないともいう)

アーケード撤去までのざっくりとした流れです。順番どおりでなくてもいいですが、以下の3つは絶対に必要ですし、時間が相当にかかります。

  1. 予算の確保

  2. アーケードの現況調査

  3. 合意形成

合意形成には弁護士を入れる場合もありますし、業者からの見積もりを取るだけでも時間、費用は相当にかかります。

大体の場合、関係者の利益が小さいこともあり、相当に地価が高い場所以外ではアーケード撤去を諦めてしまう形になります。

撤去できない場合の終末(今後、結構な確率でなる)

アーケードを撤去できないまま放置されることも今後増えてきます。
大阪でも東淀川区にある稲荷商店街はいい例です。

管理者である商店主がいなくなり、(実質的に)解散してしまい、アーケードだけ残されてしまいます。管理者がいなくなれば、そのまま放置されます。

アーケードは基本的に毎年の修繕に加え、20年に1度は大規模修繕が必要です。台風や地震などで結構壊れたりします。

完全に劣化してしまうと、天井部分の布が破れたり、ポリカが落ちたりして、骨組みだけ残ります。骨組みも犬の小便などで劣化が進みます。

アーケードが折れそうになると、周辺の住居の賃貸を躊躇されるのはもちろん、売買も進まず、結果的に地権者も損をします。

アーケードのゴミ屋敷化ですね。

周辺住民からはクレームが出るものの、行政代執行をしようにも、請求先がわからない形になってしまい、最終的には行政負担(住民税)になります。

まとめ

基本的に放置する形が一般的になるように思います。
誰も面倒なことをお金をかけてやるわけはありません。

アーケード撤去は実質的には投資なので、発展可能性のあるところしかできません。人口減少している中では実施する理由がありません。

最悪の場合は劣化して、中心市街地ごと廃墟化するというところも出てくるでしょう。

こんなことを書きながら、中小企業診断士として関与したいかと言われれば、あまりやりたくなかったりします。面倒だし、お金もほとんど入りませんから。(関わることになれば、もちろんやりますが)

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