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マニラの熱風。WHO西太平洋地域事務局長選挙の舞台裏

10月16日。5年に一度行われるWHO(世界保健機関)の西太平洋地域委員会(WPRO)の地域事務局長選挙のためフィリピンのマニラへ。空港を出ると熱帯特有の湿気を帯びた風が頬を撫でます。私にとっては政府代表として参加する初めての国際会議です。

WPROは世界に6つある地域事務局の一つ。日中韓、ASEAN諸国、南太平洋の島嶼国など西太平洋の37の国・地域がメンバーとなり、感染症予防など地域の公衆衛生の分野で重要な役割を担っています。地理的に西太平洋に位置しない米国、英国、仏国も、旧宗主国としての歴史的経緯により一部の島地域を代表してWPROのメンバーに名を連ねていて、国際政治の奥深さを感じます。

世界的なパンデミックを通じて再認識されたWHO及びWPROの重要性。地域事務局長には、政策面だけでなく、人事権や拠出金の管理など大きな権限が与えられます。新型コロナ後、初めてとなる今回の地域事務局長選挙では、5つの国が推薦する5人の強力な候補が立候補を表明し、過去に例を見ない激戦となりました。

2023 WPRO地域事務局長の候補者たち

マニラ市内のWPRO本部で行われた初日の全体会議では、テドロスWHO事務局長による組織方針の報告や、ヤコブWPRO暫定事務局長による年間活動報告などが行われる傍ら、翌日の投票日に向けて、色々な場面で二国間のバイ会談や情報交換が活発に展開。どの国も国益をかけて少しでも他国の様子を知ろうと真剣です。

いよいよ投票日。5人の候補についてそれぞれ1時間、最終プレゼンと質疑応答が行われ、私も直接各候補の考えを質させて頂きました。その後議場が閉鎖され、「繰り返し最下位消去ルール」に基づいて投票が行われました。

投票が終わるまで会場は完全閉鎖。緊張の時間が流れます。

結果、新地域事務局長には、トンガのサイア・ピウカラ博士が選出されました。大柄の体躯に民族衣装を纏ったピウカラ氏は元々医師であるだけなく、トンガの保健大臣として新型コロナと闘ってきた豊富な行政経験も有しています。WPROの歴史の中で、太平洋島嶼国から地域事務局長が選ばれるのは初めてのこと。“It takes a village to raise a child (子どもひとりを育てるには村全体の協力がいる”という島の格言を引用して全ての関係者に涙を流して感謝する新地域事務局長に、私も心からの祝意を伝えると共に、日本としての全面的な協力を約束しました。

その夜のレセプションでは、ダグラス・マッカーサーやマルコス大統領も愛用した歴史あるマニラ・ホテルのボールルームで、様々な国の文化が入り混じるディープな懇親会。肩を組んで冗談を言い合う中で、今回の激しい選挙戦のしこりを乗り越え、新たな連帯を築いて行こうとする参加国の意識を感じました。

新地域事務局長に選出されたトンガのピウカラ保健大臣。握手もパワフルです。

今回、初めて政府代表として重要な国際会議に参加する中で、様々な学びや気づきを得ました。以下、特に印象に残った点を紹介致します。

1. 国際機関の重要ポストを巡る外交戦の熾烈さ

国内で生活していると、国際機関の役割やその重要性を意識する機会は決して多くありません。しかし、地球温暖化やパンデミックなど社会課題がグローバル化する中で、国連をはじめ様々な国際機関が世界的なルールづくりや多国間の合意形成において果たす役割は益々大きくなっており、その主要なポストの獲得を巡っては、国益を賭けた真剣な外交戦が展開されています。

実際にマニラでも、会議室での正式な二国間会談(バイ会談)だけでなく、朝の朝食時間、コーヒーブレイクの合間、レセプションでのちょっとした立話など、いたる場所、あらゆる機会を捉えて各国の代表団が情報収集と集票活動を展開していました。各国代表との会話の行間からは、各所でくり広げられている外交交渉の複雑さと奥深さが垣間見えます。

明確な立場を取る国、立場を明らかにしない国、複数の国に期待を持たせる国など、各国の利害関係や地域内での力のバランスなどにより戦略も様々です。候補者の資質が大事なことはもちろんですが、外交現場のリアリティは決して綺麗ごとだけではない、その重たい事実を改めて認識する機会となりました。

複雑な利害を背負ってどの国も真剣勝負です。

2. 国際医療分野における日本への高い期待と信頼

マニラでの地域委員会に参加して改めて感じたのが、医療分野における日本に対する国際社会からの期待と信頼の大きさです。世界一の長寿国である日本の医療技術水準の高さはもともと国際的に高く評価されていますが、これに加えて、これまでWPROでは多くの日本人が活躍してきました。国内の新型コロナ対策をリードされた尾身茂先生をはじめ過去に3人の地域事務局長を輩出しているほか、現在も14名の優秀な日本人専門家がWPRO本部で地域の公衆衛生環境の改善に貢献して下さっています。

太平洋島嶼国など、人口や経済力など国力に乏しい国では、感染症などに対応する医療資源が乏しい国も少なくありません。「日本からの技術支援で感染症を防ぐことができた」「日本政府の支援で病院を建ててもらった」各国の代表団とのやり取りを通じて直接こうした多くの感謝の声を耳にしました。日本人の専門家たちが海外で地球規模での課題に果敢に挑んでいることを誇らしく思うと共に、先人たちの地道で献身的な努力が日本の国際的信頼に繋がっていることに深い敬意と感謝の気持ちを新たにする機会となりました。

本部の壁にはWHO事務局長を務められた中島宏氏をはじめ、
西太平洋地域事務局長を務めた尾身茂氏、葛西健氏らの写真が展示されています。

3. 太平洋島嶼国を襲う苛烈な地球温暖化

マニラでは、これまで私自身があまり詳しく知らなかった太平洋島嶼国の方々と話をする機会を得ました。会議場の円卓で日本の横に座ったのはキリバスのティンテ・イテンティアン保健大臣。よく日焼けした精悍な顔つきの若き政治家です。雑談をする中で、「キリバスってどんなところ?」という話になり、Googleマップを開いて地図を示してもらいました。

キリバスには今も旧日本軍の砲台などが残存。機会を見つけて行きたい国です。

二等辺三角形の二つの辺だけが細く残ったような太平洋の環礁の形状にまず衝撃を受けました。「地球温暖化により年々海岸が削られ、島が狭くなっている」と切実な島の生活を教えてくれました。海面上昇により一日一日と住む土地が削られていく恐怖と緊迫感は、キリバスに限らず多くの太平洋島嶼国に共通する最も差し迫った危機です。現地の悲痛な肉声は、どんな報道よりも迫真性に溢れていました。

「いつかキリバスにも来てほしい。ここには多くの日本人兵士が眠っている記念碑もある。」とティンテ大臣。島と島を繋ぐ海上道路はNippon Causewayと呼ばれていて、1985年に日本の無償資金協力により建設されたもの。大臣自身も日本には感謝の思いがあり、いつか行ってみたいと話してくれました。地理的に隣接する太平洋島嶼国のことをあまりにも知らない自分の不勉強に恥じ入ると共に、温暖化という差し迫った課題に向き合うための国際協力の重要性を深く胸に刻みました。

むすびに

今回のマニラでの国際会議は、私にとって初めての政府代表としての経験でしたが、深い学びと感動を持ち帰ることができました。得られた知識や人間関係は、今後の仕事や日本の国際的貢献に繋げていきたいと考えています。この経験を活かし、健康と安全を守るための国際的な取り組みをこれからもサポートして参ります。

最後になりましたが、緻密な情報収集や、刻々と変化する現地での対応を柔軟かつ完璧にサポートして頂いた関係省庁のスタッフの皆様に、心から感謝申し上げます。

スタッフの皆様のサポートとチームワークに感謝!



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