ヨーロッパ自転車旅振り返り
旅への想い
「海外に行ってみたい!ヨーロッパを自転車で旅をしてみたい!」
純粋な想いからこの旅は始まった。
高校まで11年間野球をしてきた僕にとって海外に行く、日本を出るということは本能的な欲求だった。
その欲求に従い2023年3月、見切り発射的に行くことを決めた。
出発当日まではスポンサー集めや経験者に会うなど様々していたが、そのことはまた別でまとめておきたい。
ここにはきっかけやルートや日程など具体的な旅の行程と旅で起きた5つの奇跡を改めて記したい。
きっかけ
大学に入る前から海外に行きたいと思っていて、特に旅に出ることバックパッカーへの憧れがあった。ただ大学に入ってから、休学して旅に出ることまで考えてはいなかった。大学2年になり、授業やインターンなど様々良い機会はあったが、充実した日々を過ごすことができず(自分自身のマネジメント能力不足で)、日々悶々として苦しい時期が続いた。
就活や留学が控えている中、自分自身の未熟さと一般的な大学生活のペースに合わせられていない現実に苦しんだ。だから休学して自分を整えたい、しっかりペースを合わせたいと思った。今まで、上手くできていない日常が変わり、また新しくできると考えると少し気持ちが楽になった。
******
それから二つの動画に出会った。
ひとつは「The Alt Tour」ラクラン・モートンという自転車プロ選手がツール・ド・フランス(世界一大きな自転車レース)の裏でステージ全てを自走し、しかも衣食住全て自力で行うというチャレンジ。
もうひとつは、NHKの番組「自転車旅 ユーロヴェロ90000キロ」ヨーロッパ中を結ぶ自転車道ユーロヴェロを自転車で回るという旅番組。
ちょうど2022年の夏に東京から福岡まで自転車で友達と旅をしたこともあり、それらの動画を見た時に、同じようにヨーロッパを走ってみたい!と思った。映像に出てくる数々の絶景。ヨーロッパの海や山を自転車で駆け抜けたら最高だろうなと夢を見ていた。
そうなったら決めた!休学もすることだし、6月に行こう!
期限を決めないと動き出せないので、とにかく6月に行く!と決めて準備を始めた。
ルート
予定は6/20から9/20までの3ヶ月をかけて、スペイン、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、チェコ、デンマーク、オランダ、ベルギーの9カ国を回る予定を立てた。しかし実際は予算不足で6/22から8/21までの2ヶ月でチェコを抜いた8カ国を回ることになった。
たくさんの国を回りたいと思い、できるだけ多く走れるように計画した。特にこだわったのが、地中海沿いを行くことと、パリをゴールにすること。ヨーロッパは右側通行のため走る時に海が見やすいよう、必ず右側に地中海がくるように作成した。またシャンゼリゼ通りを走り、凱旋門でゴールしたら気持ちがいいだろうと思った。
5つの奇跡
ここからは、この旅で起きた5つの奇跡を通して、旅を振り返っていきたい。
初めての海外渡航。何もかもが新鮮で、ワクワクと緊張に包まれた自転車旅。奇跡はバルセロナに到着した初日から始まっていた。
1.Enrico familyとの出会い
成田を出発し、ドバイで深夜にトラジット。混み合った空港のベンチでうとうとを繰り返し、バルセロナ行きの飛行機を待つ。搭乗時間になり、疲れて重い身体を起こし乗り込む。何度か仮眠と食事を済ませると気づいたらバルセロナに到着した。
飛行機を降りた瞬間モワっとする空気が身体にまとわり、「これがスペインか」と到着早々に異国情緒を感じる。入国審査も簡単に終わりいざスペイン入国!
早速自転車を組み立てようと場所を探す。しかしどこで自転車を組み立てていいかわからない。インフォメーションカウンターのおばちゃんに聞いてみると、トイレの横の広い通路で良いと言われた。とりあえずそこへ向かい、場所を確認する。
少し広い通路になっていてあまり人通りも少ない。一方で少し先にはカフェがあるので、変な人に絡まれたり、スリに遭ったり、何かあっても大丈夫そうだった。海外渡航が初めてで、友人からも「スリには気をつけて」とたくさんアドバイスをもらっていたので、かなり警戒モードだった。
実際、とにかく荷物を取られまいとカートで塞いだり、人が通るたびにジロジロ見ていた笑。
そんなピリピリした気持ちの中ベビーカーを押した1人の男性がやってきた。
「何してるの?」
見た目は優しそうだったが、特段スリへの緊張があったので、ドキドキしながら返答する。
「…ヨーロッパを自転車で旅するので、自転車を組み立てています。今日がスタートの日なんです!」
「おーすごいね!実は僕もサイクリストなんだ。どこから来たの?」
「日本です。大学生です!」
「日本かあ、それでどこまで旅するの?」
「スペインからフランス、イタリア、ドイツなどヨーロッパを一周する感じです。」
するとまさかの返答が返ってきた。
「実はイタリアに住んでいるんだ。セレーニョっていう町。美しいコモ湖が近い!」
地図で確認してみると、ちょうどルートだったミラノから20kmくらい行った場所だった。
「ちょうどルートです!もしかしたら会えるかもしれませんね!」
その後Instagramを交換し別れた。
そうは言ったものの、正直なところ80%くらいは会えないだろうと思っていた。
だが、この時はその後起こる奇跡を知る由もない。
*******
それから約2週間後の出発前の朝。朝の身支度も慣れてきた頃だった。荷物を両手に階段を降りる。ホストと談笑してながら降りていた次の瞬間、階段を滑り、腰と両腕を打ってしまった。その瞬間は大丈夫と思っていたが、腕は日を重ねるごとに内出血が起こり痛みが増す。特に朝起きるとひどく痛んだ。
病院へ行くと、骨折はしてないが、10日は休息が必要だと言われてしまった。2ヶ月の旅で、10日のホテルに泊まるのは金銭的にも、精神的にも辛い…ちょうどその時初日バルセロナで会ったEnricoと連絡を取っていた。
事情を話し、今イタリアにいることを伝える。
すると…
「腕を休ませるために家に泊まっていいよ」
心から救われた気持ちになった。
本当にありがたかった。
電車でミラノからセレーニョに向かい、駅に到着。スタリッシュなサイクルウエアを身に纏い、洗練された自転車に乗ってやって来た。その姿がまるで神がやって来たように見えた。本当に会えたのか!!!バルセロナで会った彼に本当に会えたのかと何度も思った。旅初日に会った人、しかもスペインで会った人にイタリアで再会できるなんてそんなことがあるのか!興奮した。
Enrico familyのお家へ向かいお母さんのOrnella、お父さんのBruno、奥さんのSara、息子のChrisと対面、Enrico両親はイタリア語しか話さないが、初めはGoogle翻訳を駆使して会話をした。
それから4日間、スーパーに行ったり、街を散策したり、イタリア料理を振る舞ってもらったりとイタリアの家庭をプチ体験させてもらった。おかげで、腕の痛みも和らぎ、自転車のハンドルもしっかり握れるようになった。
滞在は基本的に両親のお家だったので、イタリア語のみ話す2人との時間が多くなる。しかし、ボディランゲージをたくさん使いGoogle翻訳に頼らず会話できるようになった。
この時言葉は通じずとも心がつながった感覚があった。
別れ際Enricoのお母さんOrnellaが涙を流して、自分も泣きそうになった。彼女はいつも底抜けに明るく、何か手伝おうとすると「座ってて!」と毎回言うほど優しくパワフル。彼女がいればどんな時もhappyな時間に変わる。
僕を息子のように可愛がってくれ、実際「第二の息子だよ」と言ってくれた。ヨーロッパを自転車で旅をしている、ただの日本の大学生のことをそんな風に言ってくれる。心の底から嬉しかった。
イタリアに第二の家族ができた。
2.ツール・ド・フランスの聖地「Mont Ventoux」へ
自転車旅12日目地中海沿いを進み、少し内陸に入ったアヴィニョンに滞在した。ここではWarm showers(サイクリストがホストの宿泊&交流マッチングアプリ)のホストMichelangeloのお家に泊まらせてもらった。
この日は連日の暑さと疲れで予定がきちんと立てられておらず、翌日に40km先のアルルという街に行くということだけ決めていた。そんな中、彼がディナーでまさかの提案をしてくれた。
「明日この山に友達とサイクリングしに行くんだけど、一緒に来る?」
見せてくれたのは真っ白な山の写真。
どこかで見たことがあるぞ…!
そう、その山こそツール・ド・フランスの聖地「Mont Ventoux」だった。
実はその山の名前は知らなかったが、存在だけは知っていた。それというのも、僕がこの旅をしようと思ったきっかけでもある、あのラクラン・モートンのチャレンジ(動画)で、その山を登っていたのだ。その動画を見た時、なんて綺麗な山で、景色を一望できる素晴らしい場所なんだと思っていた。いつかはこんな山登ってみたいなと思っていたが、具体的な名前や場所はよくわかっておらず、今回の自転車旅で予定には入れていなかった。
行けるなんて夢にも思っていなかったので、千載一遇のチャンス!もちろん「Yes!!!」と答えた。
まさかのことに前日から、本当に明日登れるのか!という興奮と、あれほど大きな山を登ったことのない自分が登れるのか!?という緊張が止まらなかった。
当日。実際、頂上までの道のりは約24km、1910m登るという過去経験したことのない距離と標高だった。前半は上りが緩やかだが、標高が上がるにつれ坂も急になっていく。木々もなくなり、風がものすごく強くなる。風速10m/sはあったのではないかと思う。
風が強く坂も急なので、ペダルを踏んでも踏んでも前に進まず、苦しみが永遠に感じた。
しかしMichelangeloが常に
「いいぞ!いいぞ!できるぞ!」
と励まし続けてくれたので、一度もペダルから足を外し、歩くことなく登り切ることができた。
頂上は相変わらず風が強く気温も低かったが、そんなことよりも登り切れた嬉しさでいっぱいだった。景色も麓をを一望でき、心と身体全てが解放された気分になった。
思いがけない機会に、最高の景色を最高の仲間と共有できたこと、それが一生の財産になった。
3.スポンサーがついた!
さらに地中海沿いを進む。映画の都カンヌを抜け、美しいビーチが広がるニースへ。実はこの地には憧れのサイクルウエアブランド「cafe du cycliste」の本店がある。フランス・ニース発祥のこのブランド。スポーティでロゴが大きく付いた従来のウエアとは一線を画し、ファッション性が高い独自のデザインが近年人気を集めている。また洗練されたウエアの中にも、ウビウオをあしらうなど遊び心があるところがかっこいいと思っていた。
しかし、いかんせん価格が高い!高すぎる!
ウエア一着で約3万円!!!
普段着も一万円以上するものは買わない僕にとって、3万円は壁が高すぎた。社会人になってから、お金を貯めて買おう。そう諦めていた。
とはいえ、せっかく本店に来たのだから、コーヒーの一杯とお店を一回りしたいと思った。エスプレッソとクロワッサンをいただき、ウエアやバックなどを見て回る。普段実物を見ることが難しい分、目に焼き付けた。
記念として店内を映した動画にcafe du cyclisteをメンションしてInstagramのストーリーに投稿した。
数時間後…
cafe du cyclisteからストーリーに返信が来た!
「このメールアドレスに連絡をください」
ん?どういうことだ?意味がわからなかった。
しかしとりあえず一言二言書いて送った。
すると…
「あなたの旅に必要なものは何ですか?私たちのブランドのものでしたら、なんでも用意できます。」
え!え!え!どういうことだ!?
スポンサーがついたのだ。旅に出る前にスポンサー集めをしていた。その時の経験から、どうにか自分でやり切ろうと決意していた。だからこそスポンサーがついたことは心の底から嬉しかった。
まさかのことだったが、サポートするという提案を断る理由はなかったし、憧れのブランドでもあったので、喜んで引き受けた。
提供してもらったウエアはコペンハーゲンで受け取った。早速来てみると、とても着心地がいい。体にフィットして着ただけで速くなった気分になった。
それからはほぼ毎日提供してもらったウエアを着てゴールのパリへ走り続けた。cafe du cyclisteのウエアを着て漕ぐ自転車は格別で、真のサイクリストになったと錯覚するくらいだった。(内心はいかんいかん調子に乗ってはいけない。まだ速く走れないし、マナーも完璧じゃない。精進せねばと自分を落ち着かせていた笑。)
スポンサーをしてくれたcafe du cyclisteには今でも感謝している。
この出来事がこの自転車旅に彩りを加えてくれた。
4.パスポートを洗濯してしまった…からの…
旅が後半に入り、オランダにいた時のことだ。
パスポートを洗濯してしまった…
痛恨だった。その日は大雨でびしょ濡れだったため、ホストにはすぐにウエアを洗濯させてもらった。
実はパスポートや財布などの貴重品は安全のため、常にウエアの後ろのポケットに入れていた。だから毎回取り出してから洗濯していた。
しかしなんということか、その日は何も取り出すことなくそのまま洗濯機に入れてしまった。ジャブジャブと洗われるウエアとパスポート。気づいた時には時すでに遅し…財布に入っていたお金やカードはもちろん、パスポート水分をたっぷり含んでいる。中の写真や文字は滲んでいないものの、ICチップが欠落してしまった。
調べてみると、破損したパスポートは再発行が必要とのことだった。
痛い…痛すぎる…
再発行にかかるお金、大使館への移動費、申請や受け取りにかける時間全てが痛い。旅の終盤に来てなんという失態を犯したんだと思った。
落ち込んでいても仕方がない。
とにかく再発行のために大使館のあるハーグへ向かう。
全く予定になかったハーグでの滞在。当日にホテルを予約し向かう。
信号待ちをし、出発すると1台黒いピストがスピードを出し先行していった。かっこいい自転車で速いので、追いかけてみた。
しばらく追いかけ続けると、スピードを緩めた。
「あっ追いかけてるの気づかれて、先に行って欲しいのかな」と思ったが、そのまま追いかけたかったので、
「先どうぞ!」
と話しかけた。ピストに乗った男性は逆に
「どこに行くの?」
「ヨーロッパを自転車旅していて、ホテルへ向かっているんです!」
すると
「うちに泊まりな!ホテルをキャンセルしな!お金を節約しな!」
突然のことにも程があり、一瞬理解できなかった。もう一度尋ねてみると、やはりうちに泊まっていきなということらしい。
出会った彼の名前はRowdy。今さっき出会ったばかり人の家に泊まって大丈夫なのか?という不安がある一方、泊まらせてもらえるなら、お金を節約できてありがたいという気持ちで迷った。
ただ、話をしていくと高校で物理の先生をしていて、彼自身もサイクリストらしい。しかも、「Friends on bicycle」という少額で宿泊できるサイクリストのためのコミュニティでホストしているよう。それであれば安心できるなと思い、厚意に甘えて泊まらせてもらうことにした。
夕飯も特製ナシゴレンをお腹いっぱいご馳走になった。本当にありがたい気持ちでいっぱいだった。
その後彼の勧めで、ビーチの夕焼けを見にいくことにした。
時間的もギリギリだったので、飛ばして向かった。いろいろ入り口はあったが、どこがいい場所なのかわからず迷っていると、どんどん日は落ちていく。
早くしなきゃと思い、とにかくここでいいや!とビーチの方向へ入っていく。なんとか間に合った。よかった。
ホッと一息つきながら美しい夕焼けを眺めていると、1人の男性から声をかけられた。
「◎$♪×△¥○&?#$!」
オランダ語のようで、何を言っているか全くわからなかった。
とりあえず英語でゴリ押ししてみる。
「ヨーロッパを自転車旅しています」
すると彼も英語で
「ワオすごいね!僕もサイクリストなんだ。Specialized S-works tarmac sl7(世界最高級の自転車一台約170万円)に乗ってるんだ!」
まさかのことにびっくりし夕焼けそっちのけで
「すごいね!!!」
と興奮しながら話した。
「明日はどこへ行くの?」
「Rowdyから教えてもらったおすすめ、ライデンやデルフトをサイクリングするんだ」
「明日は休みなんだ、一緒にそこをサイクリングしない?」
夕焼けを見にきたAndrewというサイクリスト。またまた出会いたてで、まさかの提案。不安もあったが、自転車の写真も見せてもらったし、大丈夫か。ここは思い切って行こうと決めた。
翌日パスポートの再発行の申請を済ませ彼と合流。
すると彼からまさかのプレゼントが…
Oalkly Sutroだ!
プロのロードレーサーが使うようなもの。まさかの出来事と自分には高価すぎるものでかなり驚いた。
しかし彼は、
「素晴らしい旅をしているんだからプレゼントだ」
と言ってくれた。
ありがたく受け取った。
そして自分で編んだブレスレットも一緒に渡してくれた。
それからサイクリングへ出発し、風車がある川沿いを抜け、古い街並みや牛や羊がたくさんいる牧場を駆け抜けた。荷物がない分、かなり軽く走ることができ、爽快な気分でペダルを進めた。コーヒーを楽しみ、またペダルを進める。いつもは予定の場所に辿り着かなければという思いが強いが、この日はリラックスして楽しみながらサイクリングをすることができた。
パスポートを洗ってしまってからというもの、気分が落ち込んでいたが、RowdyやAndrewとの素晴らしい出会いのおかげで、パスポートを洗濯"してしまった”というマイナスの出来事が洗濯"したからこそ"というプラスに変わった。
5.帰国当日なのに、輪行箱がない!?
ゴールのパリまでは毎日100km以上走り続けた。いくら寝ても筋肉痛が回復しない。毎朝起きる時は身体がバキバキの状態だった。それでも心を奮い立たせて、一漕ぎひとごぎ進めていた。
ツール・ド・フランスと同じようにシャンゼリゼ通りを走り無事到着。凱旋門もぐるっと周り、ゴールの余韻に浸る。夢に見た光景を前に、笑顔が自然と溢れてしまった。最高の気分だった。
パリに着いたとは言えやることはまだある。パスポートの受け取り、観光、そして帰りに飛行機に乗せるためのダンボールだ。
自転車を日本に持ち帰るためには、ダンボールや専用の輪行箱が必須。日本からスタートのスペイン・バルセロナに行く時は、TREKという自転車店でダンボールをもらってきた。
帰りももちろん同じようにダンボールを見つけなければいけない。
しかしここは異国の地パリ。どこに自転車屋さんがあるのかわからないし、ましてや自転車のダンボールを持っているかどうかなんて確証はない。
まずは近場の自転車店を3件ほど回って聞いてみる。しかしどこも個人店だったせいか、ダンボールを持っていなかった。
大きなお店ならあるかと思い、フランスの大型スポーツ用品店Decatolonに行ってみる。早速店員さんに話しかけてみる。
「自転車のダンボールを探しているのですがありませんか?」
「うーん」
上手く伝わらないようだ。
もう一度言ってみる。
「自転車の大きいダンボールを探しています。ありませんか?」
「あーあるよ。これだね?」
「そうです!それが欲しいです。」
「いいよ。」
思ったよりあっさり貰えることが決まった。
「そしたら来週の月曜日の朝に取りに来きてもいいですか?」
あと数日パリにいる予定だったし、今ダンボールをもらっても置く場所がないと思い、出発当日の朝に取りに行くことをお願いしてみた。
「大丈夫だよ。その日までここに置いておくね。」
「ありがとうございます!よろしくお願いします。」
この時何かわからないが、一抹の不安が残っていた。しかしまあ大丈夫かとそのままにしてしまった。これが後に大後悔することになる。
******
それから数日パリの観光、パスポートの受け取り、サイクリングを楽しんだ。
いよいよ出発当日の朝、予定通りDecatolonのお店へ向かいダンボールを受け取りに行く。
扉が開き、中へと進む。店員さんに挨拶。
「こんにちは。この間お願いしたダンボールを取りにきました。」
話しながら、「ここ置いておくね」と言われた"ここ”を見てみる。
ない…お願いした時にあったはずのダンボールがない。
あの不安が的中してしまったのだ。
「あのお、ダンボールは…?」
店員さんは焦った顔で辺りを探す。
「すいません捨ててしまいました…」
(えーーー!!!この間取っておくって約束したじゃん!)
心の中で叫んだ。
文句を言っても仕方がないので、「オッケー!」と言って切り替えた。
とはいえ昼過ぎには空港に向かわなければいけない。
時間がない。どうする!?
とにかく近くにある自転車屋さんと、大きなダンボールを持ってそうなお店を片っ端から訪ねてみる。しかしどこに行っても見つからない。
汗をダラダラにかきながら、途方に暮れそうになっていると、1人助けてくれるかもしれない人を思い出した。
それはパリでソーシャルライド(複数人のグループでサイクリングすること。主に社会的な繋がりを目的に行われている)に招待してくれた、サイクリングカフェ「Le peloton」のオーナーPaulだ。
実は帰国の数日前、パリでの滞在中、本場のサイクリングカフェに行ってみたいと思い、そのカフェに行った。
美味しいカプチーノをいただいた。Paulはその時たまたま店頭におり、ヨーロッパ自転車旅の話をすると、週末にソーシャルライドがあるから一緒に走ろうと言ってくれた。ソーシャルライドは初めてだったが、せっかくの機会だからと思い参加した。
当日はパリをぐるっと郊外まで出て回るルートで、参加者もパリに住む人やポルトガルに住む人など様々な人を繋がることができ、とても良いライドだった。
そのライドの別れ際、Paulが
「何かあったらすぐ連絡してこい!」
自転車の箱の話もしていたので、
「もし箱が見つからなくなったらどうにかしてあげるから」
と言ってくれていた。
今こそ頼る時だと思い急いで電話をした。
すると
「今すぐカフェに来て!渡すから!」
もう頭が半分パニックになった。「渡す!?どういうこと!?」
とにかく走って向かうと、とても立派な自転車を入れる専用のケースをくれた。
「次パリに来るときに返すので良いから、持っていきな」
泣きそうになった。自転車の箱がなければ帰れなかったし、もう諦め半分だったからこそ嬉しさとありがたさで気持ちがいっぱいになった。
旅を経て
旅から帰ってきてすぐは気づかなかったが、自信が少しついたように思う。そして少し堂々といられるようになったと思う。
僕はそもそも自信があるわけではなく、常に「これで良いのか?」と自分を疑ってしまう。それ故に、「自信を持って」何かをしたり、堂々することができず自分を卑下してしまうことが多い。自分を信じきれないからこそ、自分の想いを貫き通したり、思い切った行動をすることができない。
しかし、この旅を通して、できるどうかわからないが、やりたい!やろう!と思ったことをとにかく最後までやり続けることで自分を信じられるようになった。とにかくやると簡単に言っても、恐怖や不安、現実的に完遂するためのハードルなど困難はたくさんあった。スリなどトラブルに巻き込まれないだろうか?と怖くなったり、旅をスタートして3日しか経っていないのに、お金が足りるのだろうか?と不安になったり、ゴールのパリ到着まで日程的に足りるだろうか?だったりほぼ毎日何かしらの壁にぶつかった。
けれどその一つひとつに丁寧に向き合い、具体的に解決していくことで、どんな場面も乗り越えることができた。むしろ大抵のことはどうにかなると学んだ。困難にぶつかり、それを乗り越える。これを繰り返していくうちに次第に自分を信じられるようになった。「ヨーロッパを自転車で走りたい」という想いを貫き、それをやり切る中で生まれる壁をその都度超えていく。そんな経験が自分を信じられることに繋がった。
「自信を持って」や「自分を信じて」という言葉はよくあるが、このヨーロッパ自転車旅を通して、その意味を深く実感し、実際に少し自分を信じることができるようになった。
この旅をしてよかった!と心から今思える。
最後に…
ここまで約10,000文字を読んでくれた方、本当にありがとうございます。
もっと良い文章を書けるよう日々言葉を大切に過ごします。
今年2023年ありがとうございました。
来年2024年もよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?