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物語のある、万年筆が1本あれば。

わりと小さな頃から、万年筆を使う大人になりたかった。
きっと年賀状のせいでもあるんだろう、と思う。

子どもの頃の元旦は、年賀ハガキの束が郵便受けに届くのが楽しみで、届いたらすぐさま、家族の誰に宛てたものかによってトランプを配るように分類するのが楽しかった。

そしてこの作業は「大人の書いた手書き文字」をたくさん目にする機会でもある。ふだん見る大人の文字は、先生であればチョークや赤鉛筆、家族ならボールペンやサインペンで書かれたものが中心。
しかしたくさん届く年賀状の〈宛名書き〉の中には、子ども心に「何かが違う!」と感じる文字があった。

字がうまいとか、ヘタとかそういう話ではない。
文字が「強い」のだ。
さらに、筆致からにじみ出ている「その人感」。

「この文字と、ブルーのインクはきっと津川さんね」
「この人は味のある字を書くなあ」
「万年筆って、文豪みたいでステキ」

みかんの皮を剥きながら、箱根駅伝を見ながら、毎年聞こえてくる大人たちのそんな会話の断片から、どうやら私の気になる文字は “万年筆” なる道具で書かれていることが分かってきた。

そういう時間が、いつしか「万年筆で、自分らしい文字を書ける人がステキな大人」という価値観を、私の中に醸成していったように思う。

しかし万年筆への憧れは、30代を超えても実ることがなかった。
仕事に邁進するばかりで「趣きのある暮らし」とはかけ離れた毎日を送る私のような人間が万年筆なぞ使っても、道具負けするばかりでカッコ悪い、と思っていたからだ。

憧れに見合わない自分。
そのフラストレーションは、歪んだ形で現れた。
「仕事に邁進する」自分に合う、機能的でデイリーなペンを爆買いするようになったのだ。

ジェットストリーム、フリクション、サラサ、プラマン、エナジェル、シグノ、ユニボールエア、Vコーン……もっといろいろ。
取材でメモをとるときの筆滑り、黒の濃淡、インクの乾き具合、キャップ式かノックか、油性か水性か。

たぶん、というか絶対そこまで必要じゃない細かな比較に神経を張り巡らし、あれこれ試し書きをしているときの、ものすごい高揚感。
言うなれば、1本数百円の出費で「仕事道具にこだわる人」になったかのような「プレイ」をしていたのだが、当時の私はそこまで思い至らず、いたって真剣だった。

「もうわが家にペンはいりません。売るほどあります」
という夫の注意喚起も華麗にスルーし、ひた走るペン道楽の道。

しかし30代も後半に差しかかったあるとき、ついにエックスデーが来る。
今は亡き父が「これ、使うなら譲るけど」と、万年筆をくれたのだ。

それが、今日までずっと愛用し続ける1本。
地元である北海道・旭川の作家、三浦綾子さんの記念文学館が開館したとき、記念に作られた木製軸の万年筆だった。

金具部分には「MIURA AYAKO LITERATURE MUSEUM SINCE 1998」の刻印。

血は争えないとはよく言ったもので、父もペンにはこだわる人だった。

手元にはモンブランやらダンヒルやらの万年筆が数本あったし、デイリーに使う消耗品的なペンについては、書き心地を比較したなかで、自分の字体と強めの筆圧に最も合う、と結論を出した「ボールぺんてる」の黒を常に箱買いし、ストックしているような性格だ。

私にくれた万年筆も、いつか使おうと大切に持っていたようだが、愛用の万年筆がすでにあるなか、おろす機会を見つけられず、何年もケースに入れたまま。それならば、同じくペン道楽である次女に譲って、道具として使われたほうが万年筆にとっても良い、と考えたらしい。

14金のペン先には、北国の象徴である雪の結晶と「ANNIVERSARY」の文字が刻印されている。
メーカーはPILOT。

突然手元にやってきたマイ万年筆。しかも美しい。
実家を後にし、北海道から羽田に向かう飛行機の中で考えていたのは「インクは何色にしようか」と、そのことばかり。

着陸後、脇目もふらず羽田空港内の万年筆専門店『Shosaikan』に向かい、なめるようにインクボトルを眺める。
万年筆とインク、同じメーカーにするのが最も「そのペンらしい」書き心地になりますよ、とのアドバイスを受け、PILOTの『iroshizuku<色彩雫>』から〈 asa-gao 朝顔〉という色を選んだ。

自宅に着き、いそいそと万年筆の入った木箱を開ける。
ペン先をインク壷に差し込み、コンバーターでインクを吸い上げたら、手持ちのノートの中でもっとも紙質が良い一冊を取りだし、慣れ親しんだ自分の名前を書いてみた。

取り立てて力を入れなくても、ペン先がするりと紙の上を滑っていく。なのに、ちゃんと文字の太さにメリハリが生まれる不思議。とめ、はね、はらいの部分に浮かび上がる、インクの濃淡。

これまでの「文字を書く」行為は、もっと「実用」の延長にあったけれど、万年筆で書くことは、楽器を奏でるのに近い感覚がした。楽曲を弾けるようになることも大事だが、シンプルに音を出すのを楽しんだっていいのと同じ。書くことそのものから、もう楽しいペンなんだ、これは。

こういうことか、万年筆。
中年の心に、恋心が灯った瞬間だ。

キャップを開ける胸の高鳴り。乾くと微妙に変化するインクの色彩。紙の上に踊る文字から見えて来る、今の自分。理科の実験を思い出させるインクの補充作業。大好き、万年筆。

そんな純度の高い喜びを、近くにいる大切な人と共有したいと思うのは不自然なことではないはずなのだが、そこで事件は起きた。

10年前のSNS投稿にあった写真。付せんに書く行為ですらワクワクした。

わが夫に、わが万年筆をほんのちょっとだけ貸したところ、何がどうなったのか、愛してやまない美しい木軸にインクをべったり付けたのだ。

青インクの面影すらない、真っ黒なシミ。

ショックすぎて、そのときのことをあまり覚えていない。
悲鳴のような悲しみが内側からわっと湧き出したこと、夫に怒りをぶつけたエネルギーの残像は記憶にある。

しゅんとする夫を前に、長年万年筆に憧れてきた私の中の内なる子どもが全身全霊で怒り、慌てている。一方で、その傍らには大人の私がいて「わざとやったのではないのだから」と、なだめてもくる。

「言い過ぎたゴメン」と謝らなければ、とは思いつつ、まずはPILOT社に電話をしてしまった自分がいた。

「当社に送っていただくか、品川区にお住まいでしたら(当時)『銀座伊東屋』のペンケア窓口に持ち込んでいただく方法もあります」

翌日すぐに銀座に赴き、ペンケア窓口で万年筆を見せたとき、この件が夫の失態などではなく、ペンの中に「ストーリー」を生み出してくれたことを知る。

私の持ち込んだ万年筆をしげしげと見た修理担当の方が、
「あれ? これはもしかして、北海道の?」
と言うのだ。

え、ひと目で分かるなんてプロすぎるけど、そんなことあるのだろうか。

聞けば、目の前にいるその人は、伊東屋からすぐの京橋に本社があるPILOTから出向していた。しかもなんと、文学館からかつて記念品として万年筆の注文を受け、製作~納品までを担当したご本人だというではないか。

「いやあ懐かしいなあ。この万年筆を銀座で見られるとは思わなかったので嬉しいですよ。大丈夫。インクの跡はキレイに直します」

私もまさかだけれど、相手の方にとってもまさかの展開。
1か月も経たないうちに修理完了の連絡が届き、受け取った万年筆はシミがあったことなど誰も気づかないほど元通り。むしろ前よりも美しいのでは、と思うほど品よく磨きあげられていた。

この出来事から、もう10年が経とうとしている。
万年筆に気後れしていたあの日は遙か遠く、このペンは私の日常の一部になった。

亡くなった父の思い出に加えて、夫の「うっかり」がなければ出会うこともなかった「作り手」と「使い手」が銀座で重なった瞬間もまた、この1本のペンに愛着をもたらしてくれている。
私の万年筆の中にある、ささやかだけど、大切な物語。

PILOTのあの方に、直してもらったお礼を言えなかったのが、今でもちょっぴり心残りだ。



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