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「友情」と「是々非々の立場で対応すること」は両立できる #白い巨塔

先日、杏子目線で切り取った「白い巨塔」の感想を書いたので、今日は約束通り、財前の外科医としての才能に惚れ込んでいた里見と、いついかなる時も医師としての良心を失わない里見を心から信頼していた財前の話について書きたいと思う。

ネタバレします。

***

「白い巨塔」は様々なテーマが重層的に横たわって流れていると思うのだけど、その中でも今回のドラマの中で印象的だったものをいくつかピックアップしてみようかな。

財前の外科医としての圧倒的才能に惚れ込んでいる里見

<3話>
里見「あらゆる検査をしたんだが、どうしても確信のある診断ができない。これ以上の診断を求めるとなると財前、君を置いて他にはいない」
財前(ニヤリと笑みをこぼす。里見に認められていることに嬉しさを隠せない様子)
<3話>
里見「彼は僕が一番信頼している外科医ですので」
<3話>
里見「先日も僕の患者を手術してもらったのですが、腹部超音波検査で僕が見抜けなかった膵癌を財前はダイナミックCTでひと目で見抜きました。悔しいですが脱帽です」

誠実な人柄の人に、忖度や嫌味ではなく、フラットな気持ちで褒めてもらえたら誰だって嬉しいよね。


いついかなる時も医師としての良心を失わない里見を心から信頼していた財前

財前は自分の野望を達成するためなら、嘘をつくこと、周りの人たちを恐喝することや弱みに漬け込むこと、賄賂で陥落させることも厭わない人であるのに対して、里見はいついかなる時も医師としての良心を失わない姿勢を最後まで貫く。
それは時として財前を窮地に立たせることとなるが、それと友達としての親愛の情は全く別のものであってちゃんと両立しているのだ。

財前と里見の友情を見ていると、相手のことが好きだから、信頼しているからといって、感情的に盲目的に相手の全てを肯定するということが一切ないことに気づいた。
常に是々非々で、良いものは良い、悪いものは悪い、と。

これ、自分は出来ているかな?と振り返るとちょっと自信がない。
友達だから、相手のことが好きだから、相手の全てを受け入れよう、相手に悪いところがあってもなんとなく目をつぶって飲み込もう、受け入れよう、という行動になりがちなような気がした。
もちろん悪いことを承知の上で受け入れることが絶対ダメなわけではない。一緒に地獄に落ちる覚悟をするという選択があっていい。

でも、里見は医学者としての信念が軸にあるので、その道から外れていく財前を容赦しない。

<2話>
里見「いや…僕は無理をしたり妙な画策をしたり自分の良心を失ってまで教授になりたいとは思わない」
<4話>
里見「お前は佐々木さんがあのように亡くなったことをもっと謙虚に厳粛に考えるべきだ。現に僕に約束したPET検査もしなかった」

財前「君こそ言葉に気をつけろ。僕の処置が誤っているかどうかは今後の裁判が決める事であって、お前にとやかく言われる筋合いはないんだよ」

里見「財前…お前と僕とは医師としての在り方が全く違う」

財前「ああ、そうだな」
(ケースに入った万年筆を差し出す)
財前「ドイツのお土産だ。こんな感じで渡したくなかったよ」
<4話>
鵜飼教授「だが、それによって一人の前途ある有能な教授が学問的生命を断ち切られるかもしれないんだぞ!」

里見「僕の証言が財前教授の不利になる証言になったとしても、佐々木さんに対する財前教授の医師としての態度は許されるべきではなかったと思います」

侃侃諤諤やりあったって、ちゃんととっておきのお土産(お揃いの万年筆)は買ってくるし、ちゃんと渡す財前。
医師としての在り方が全く違ったって、お互いへのリスペクトが根底に流れる二人。

<5話>
財前「浪速大は信用できない。本当のことを言ってくれ。俺は医者だ。自分の命は自分で決める。生きるのも死ぬのも俺なんだ。信用できるのはお前だけなんだ。
俺は…お前に治療を頼みたい。そして執刀は東先生に頼んでくれないか?」

自分の出世のための嘘で塗り固めてきた財前が最後に頼ったのが、最後まで懐柔することができなかった、裁判で自分に不利な証言をした里見という皮肉。
浪速大を去るという、良い環境で研究を続けるという立場を失ってまでも、自分の医師としての良心を貫いた里見の行動が、里見自身の信頼性をより高める結果となった。

一見、財前の行動は支離滅裂で、都合が良くて、自分勝手に振舞っているように感じるけど、流れでドラマを観ていると全く矛盾を感じなかった。
流れるように、最初からそうなることが決まっていたかのように里見の元へ足を運ぶ財前に迷いも躊躇も感じられない。
そしてそんな財前を拒絶することなくまっすぐ受け止める里見。
ここ、このドラマのクライマックスでしょ?
お互いがお互いのせいでボロボロになっているはずなのに、二人の間に流れる空気は信頼と安心感で満たされていて、これが「友情」なのだなーと。


財前に何も求めなかったのは里見とケイ子とお母さんだけ

大学病院内の権力闘争を描いているドラマだから、周りが敵ばかりなのは仕方ないけど、一見味方に見える人たちも結局財前のことを全く信用していなかった。表面的には財前が相手を一方的に利用しているように見えるけど、結局相手も自分の欲望や野望のために財前を利用している場合ばかりで、お互い様の関係だったのかな、と。

最初から最後まで財前が信頼していたのは里見とケイ子とお母さんだけで、それぞれに共通していたことは、財前に対して何も求めていなかった、ということ。いつも財前を心配し気遣い励まし、時には厳しい意見を述べてくれたということ。

たった3人だけか、と思うかもしれないけど、私は3人もいて良いなー羨ましいな、と思った。
自分の人生に心から信頼できる人が1人でもいたらとても幸せなことだと思うし、3人もいたら万々歳じゃないだろうか。
財前はとても幸せな人だったと思う。


権威から離れてようやく医師としての良心を取り戻す東教授

浪速大学で教授の席に座っているときは、その権威にがんじがらめにされて目が濁ってしまっていた東教授も、浪速大から離れ、憑き物が落ちたように穏やかになった様子が観て取れる。
権威の渦中にいるって恐ろしいね。

<5話>
東教授「皮肉なもんだね。色々あった我々がこうして財前くんのために集まっている。一人の人間の命の前には、どんな経緯も理由にならない。わかりました。手術を引き受けます」

ようやく医師としての良心を取り戻す東教授。

もう一つ、東教授と財前の心温まるこちらのシーン。とてもお気に入りです。

<5話>
(手術後、麻酔から覚めて)
財前「先生、ありがとうございました」
東教授「毎日診察にくるよ
財前「執刀してくれた医師が診てくれるとこんな気持ちになるのですね。ホッとします。初めてわかりました」
東教授「もう少し寝なさい」
財前「はい」(穏やかな笑み)

開腹したものの腹膜播種によって手術不可能と判断され、そのまま閉じられたという状況。外科的アプローチは絶望的と財前自身が一番わかっているのにも関わらず、この穏やかなやりとり。

「毎日診察にくるよ」
という優しい寄り添い方。
これです!私が求めているものは。
もう治らなくても、ただ死を待つだけだとしても、いや、もう死を待つだけだからこそ、治せない前提で毎日来てくれると言ってくれる東教授。
死を前にして、人が最後にできることはこれしかないのではないでしょうか。

私は医師ではないので、死を前にした大事な人に何もできませんが、
毎日電話するよ、
毎日お見舞いに行くよ、
私はずっとずっとあなたの側にいるよ。何も心配しなくて良いよ。
そう伝えて、そう行動するだけだと。

東教授から大事なことを教わった気がします。


大河内教授の医師としての矜持

裁判での大河内教授、カッコよかったなあ。これも忘れられないシーンの一つです。

<4話>
大河内教授「病理解剖とは、一つの生命の帰らぬ死を次の人の人生蘇らせる尊い手段である。心ある臨床医なら死因に少しでも疑問があれば遺族に解剖を勧めるのが当たり前で、あなたのように病理解剖を医者の学問的興味によるものと決めつけるような軽率無礼な方は、医学のなんたるかを何もご存知ないと思う」


「白い巨塔」が教えてくれたこと

1) 「友情」と「是々非々の立場で対応すること」は両立できるということ。

2) お金や便利さも大事だけど、やっぱり人生の豊かさは「いかに信頼できる人を持てるか」に尽きるということ。
少なくとも私は自分の人生にそういう豊かさが必要だと思ったので。

***

追記:
ドラマ放映後、たまたま本屋に寄った際に山崎豊子さんの著作が並んでいるコーナーを見たらおそらく「白い巨塔」が並んでいたと思われる部分だけごっそり本が抜かれており、ドラマを観て原作を読みたくなったファンが購入したのだなあ・・・と推察。やっぱり映像化の影響力ってすごいな、と痛感。

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