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「誰かに何かを贈る」という行為について

昔から「お土産」や「プレゼント」というものに興味がなかった。
もらうのも、渡すのも。

そもそも旅行に行くことも行楽地に行くことも少なかった、ということも影響していると思うけど、その土地の銘菓もご当地グッズもそんなに心惹かれなかった。
自分が欲しいものを買い求めることはあったが、友人がそれをもらって喜んでくれるかどうか自信がなかったし、自分が欲しいと思えない無難なものを購入してわざわざ友人知人に配る気持ちにもなれなかった。

社会人になって、会社勤めして、長期休み明けにみんなが一斉に旅先や帰省先のお土産(だいたい個包装された日持ちするお菓子)を配りだす姿にちょっとびっくりしたが、これは社会人としての一つのマナー、もしくは、社内マナー(ローカルルール)なのだ、と割り切って私もその風習に倣っていた。
が、プライベートでは相変わらずお土産のやりとりをすることは少なかった。

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最近になって、「誰かに何かを贈る」という行為について深く考えるようになった。
「お土産」じゃなくても、記念日じゃなくても、ちょっとしたモノを用意して大切な人に贈るという行為に、「モノ」の価値以上の「温かい気持ち」を感じたからだ。

きっかけは、私が仕事のことで落ち込んでいた時に、大好きなお友達が「ちょっとしたモノ」をわざわざ郵送で贈ってくれたことだった。
「光浦醸造」のハート形の乾燥輪切りレモンが入ったティーバッグセットだった。


個包装を開けて、中に入っているティーバッグとハート形の乾燥輪切りレモンを見た時の気持ちの高鳴り、高揚感。
とにかくビジュアルが可愛い!国産レモンの爽やかな香り!

お気に入りのティーカップの中でハート形のレモンが揺れ動くたびに、心の中の刺々がほどけて、温かい湯気と香りに癒される。萎んでいた心が穏やかな気持ちで満たされる。

封を開けるところから、紅茶を飲み干し、そのあとの余韻を楽しんでいる間ずっと送り主のお友達のことを考えていた。
私のことを気遣ってくれた彼女の気持ちと、この贈り物をすぐに梱包し、メールで愚痴った次の日に配送する手続きをしてくれた彼女の行動力を。

私の仕事の悩みが根本的に解消されたわけではなかったけど、私のつまらぬ愚痴を受け止め、寄り添ってくれた彼女のことを。

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「贈り物」ってこんな幸せな気持ちをもたらしてくれるんだって、この歳になって気づかされた。

今まで「そのモノ自体の価値、値打ち、珍しさ、価格、品質」とか「自分がそれを欲しているかどうか」でしか「贈り物」の価値を計れなかった私、本当にさもしい。

送り主の気持ちを推し量ることが出来ていなかった自分、ゲスの極みだな、と思う。
もしかしたら、形骸化されていた社内のお土産配りの中にも、「いつもありがとね」とか「これ食べて一緒にがんばろ!」とか、そういう優しい気持ちが込められているものがあったかもしれないのに。

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そして、私も「誰かに何かを贈る」という行為を少しずつ実践中だ。
幸せな気持ちを共有し合えたら嬉しいし、優しい気持ちで繋がれたらハッピーだ。
「形」から入っても意味ないよ、って言われそうだけど。
とりあえず「形」に自分のその時の気持ちをそっとのせてみることにしている。


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