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シリマーの秘密 18 愛情 パウリーナ・テルヴォ作 戸田昭子 翻訳

春は進んでいくが、特に速いというわけではない。もうすぐ4月だ。父と母は、赤ちゃんのエコーを見るために病院へ出かける。そして、そのときに私をアンニーナの所へ連れて行くという。車の中は愛に満ちている。
「あなたには友達がいて、そこへ遊びに行くのね」と母が歌うように言う。
「ええ」私は唸る。
「気分はどう?」
 
わからない。今は、感情をどう言葉で表現したらいいのか、全くわからない。違う質問を投げかける。
 
「アンニーナのお母さんは、本当にアンニーナのお父さんが好きだったと思いますか?」
「おや、そんなことを考えていたのかい?」父は笑う。「アルヤの人生の愛について口を挟むのは、やめたらどうだ?」
 
私は、自分がそうしたいから口を挟むのだ、と言う。二人の母親がいる家へ行くのは奇妙だ。今、そのことを話してはいけないのだろうか?彼らは愛情のスペシャリストではないか。私は違う。
「わからないわ」母は言う。「人の事については話すのは難しい。もっとよく知らないと」
「あの人は普通の人に見えます」私は言う。
「アンニーナのお母さんは、普通の男性を好きではないのかもしれないわ」と母は想像する。
 
そこに何かあるのかもしれない。
「人生は一つの長いたばこ休憩みたいなものかもしれない、というのが男たちよ」母は続ける。「口をはさむのはやめなさい」
 
母は父に向って柔らかく微笑みかける。父は手を母の太ももに置く。こんな幸せそうな両親を最後に見たのは、 いったいいつだったろう?
私も、誰かにとって唯一の存在でありたい。深みがあるような人。私を千人の群衆から見つけ出してくれて、話に花を咲かせることができる人。
愛の話をする花
母は、アクスのような男子を示唆しているのだろうかと考える。アクスは私には単純すぎる男性だろうか?彼が大人になったところを想像してみる。子供の姿から、どんなふうになるのかを考えるのは難しくない。私は、大人のアクスは絵を描くのが嫌いで、おいしいものが好きだ、と確実に知っている。そういう人に悪い所があるだろうか?
 
私はアクスより前に、5つもミートボールをいっぺんに口に入れられる人に会ったことはない。アクスがいなかったら、私の発表を褒めるためだけに給食室まで走ってくるような人をどう感じたか、知ることはなかった。ありがとう、アクス。本心にそぐわない聞き耳をたてることがどういうことか知っていて、にもかかわらずそれがおもしろい、という。そんな風に思うということは、私はアクスを少し気に入っているのかもしれない。
 
「もし誰かがアンニーナの母に注意していたら、間違いをせずにすんだのかもしれない」と母が続ける。
「悪いことだったのですか?」私は尋ねる。
私はそうは思わない。
「私は普通の男性を愛することができます」私は言う。
 
「今日は心がおだやかだね」と父は言う。
「大事なことよ」母が続ける。
 
そこは、彼らは正しくわかってくれていた。よく考えられるように、我々自閉症の人間は、他の人々のように、同情を寄せることはない。反対に、何かを好きになると普通の人より深く感じるものである。
「アルヤの愛のことを心配するのはやめなさい」母は言う。
まるで私の考えを読んだみたい。母は、そういうひとだ。
心配してるわけじゃない、と私は誓う。それなら、アルヤの父はどうしているのか、と考えることができる。それも私には関係ない、と父は言う。でも、何が私に関係あって、何が無関係なのかをどこから知ることができるんだろう?自分と他人との間に境界線を引くのは難しい。境界線がどこまでなのか、わからない。時には、私は他人に近付き過ぎる。その場合、私は自分の道へと押される。どのように他の人が近づいてくるのか、どこから知ることができるのだろう?
 
 
だれか私に語ってくれるだろうか。
「何が自分にだけ関係あるのか?」
「私は他の人と一緒に何を分かち合えるのか?」
「何について仲間とだけ一緒に話すことができ、さらに深く進んで話せるのか?」
「孤独には何を含むのか?」
「誰のことが誰に関係あるのか?」
 
交差点に着いたとき、ちょうど信号が赤になった。
母はハンドブレーキを引きギアを離し、胸に手を置く。母は、私の目をバックミラーに探す。
「そう、アルヤはブラック・ピーターを相手にみつけたの」と母は付け足す。「彼女が新しい幸せを見つけたということで、幸せであれ」
信号がまた変わる。母はハンドルを握り、ちらっと見て速度を上げる。
 
アルヤのカップルの話は私たちにも関係あるように思える。少しだけれど。でも黒いピーターを見つけたというのは、どういう意味なんだろうか。
「アンニーナのお父さんは別に悪い人ではないのでしょう?」私は尋ねる。
「全然」母は強調する。「ただ、二人は、一緒にいることが合わなかったというだけのことなの」
 
一緒にいて良いのかどうかなんて、どうやって知るのだろう。
アンニーナの家の庭についたので、もうそれを考える時間がない。
 
犬が嬉し気に走ってきた。
黄色いゴールデンレトリバー。
アンニーナがその後ろにいる。
少なくとも、このふたりは、完璧にうまくいっている。
   アンニーナと黄色いゴールデンレトリバー
(外見がやさしそうに見える犬も、もちろん必要があれば歯をむき出す。アンニーナには個性がある。私はそこが好きだ)
挨拶を交わす。アルヤも外に出てきて、後ろに新しいパートナーが続く。大人たちは握手をする。驚いたことに、母も犬をなでる。新しいパートナーの名前はスティナという。犬の名は、ヴッフェ。
「いい名前」母はつぶやく。
それから、彼らはしばらくあれやこれやと言葉を交わす。大人がどうやって中身のないことを話すことができるのか、私は理解できない。車に戻り、角を曲がって行って去った。
さらば。ここから私の新しい人生が始まる。
 
アンニーナは2階建ての家を私に案内する。キッチンは黄色。リビングは赤。トイレの壁は本物の石でできている。
「誰が作ったのですか?」
「おとうさん」アンニーナが言う。
アンニーナが父を誇らしく、ウインクする。客として招待されるのは、素敵だ。それはまるで、祖母と私が一緒に話すことがたくさんあって、別れを迎えるまで住んでいた場所のようだ。
アンニーナの部屋は2階にある。すべて青くてきれいだが、乗馬とペンキのにおいがする。大きなマイナス点だ。窓を開けていいかと尋ねる。アンニーナは何も応じない。春ではないか。窓から鳥の歌が聞こえる。風がカーテンを軽くそよがせる。アルヤとスティナの小さなささやきが 行きかう車の唸る音に混ざる。私は自分の家にいるように感じる。
「あなたのお父さん、いい感じそう」アンニーナが言う。
「そうでしょう」同意する。「あなたのお父さんは器用なのね?」
 
アンニーナは、私の言ったことは正解だと同意する。アンニーナは毎週末、父親に会うと語る。それは少なすぎる。
「とても多くの人が離婚してる」私は言う。「お父さんのどこがいけなかったの?」
「知らない」アンニーナはため息をつく。「私にはわからない。世界中の父親の何が悪くて、母親が彼らから離れて、もっと大きな人生を探すって何なのか!」
アンニーナがこんなに悲しんでいるのが、悲しい。どう助けたらよいのかわからない。
「母は前よりずっと幸せそう」アンニーナが溜息をつく。
「それが一番大事なんじゃないの」私が尋ねる。
「母が幸せであることが?」アンニーナがたずねる。
答えたいが、何を言ったらいいのかわからない。
「幸せのない母親を見続けるのは、無理じゃない?」私は言う。
「そのとおりね」アンニーナは同意する。「もう充分ばかばかしい。でも私はそれに慣れることはできない」
 
アンニーナは窓から外をちらっと見る。庭は静かだ。
「どこに行ったのかしら」
「散歩かもしれない。小さい公園へ行ったかな?」私は思いつく。
アンニーナはげっと言う。
「気持ち悪」
「大人たちは用事があるんでしょう」私は言う。「何か他のことを話しましょう」
「アクスのことでもいい?」私は尋ねる。
「アクス?本当に?」アンニーナは笑う。
「いいと思うんですけど」私は言う。
「正直なところ、あなたには合わないと思う。」アンニーナは言う。
「どうして?」私は驚く。
「男は、内側は外から満たされるものなの」アンニーナは説明する。「アクスはそういう男子だよ」
「そこには空想がない、という意味?」
「正確には」アンニーナは答える。「あなたにはもっと価値がある」
「どうやってわかるの?」私はしつこく尋ねた。
アンニーナは考え込んでいるようだ。
「そうね。どうして私が知ってるんだろう」
 
アンニーナは壁をじっと見つめる。
「ごめんなさい」と彼女は言う。「今日は特にいい日じゃないの」
「別にかまいません」と私は言う。
 
私たちは黙って座った。
「発表は素敵だった」アンニーナは言う。
「有難う、前に、もうほめてくれました」私は思い出させる。
「でも、本当にみんな発表の後でほめてたのよ」
「どうしてみんなは私に直接言いに来ないのでしょうか?」
「もしかしたら怖いのかも」 
 
目がかすむ。怒りが膨れ上がる。
いったい私の何が怖いのか?
傷ついている女子の、何がいったい怖く見えるのか、誰か私に説明してくれるか?
 
「私の人生がどんな風なのかわかりますか?」私は尋ねる。
「あなたの発表のあとで、何か少しわかり始めた」アンニーナは言う。
「私もずっと殻に閉じこもって生きてきた。私はずっと母は父のことを愛していて、普通の家族だと信じていた。そして、バン!全部、ご存じの通り。全部単なる幻影だった。
 
壊れる家族の風船 
「わかります。あなたの国から、世界がどんなに狂ったように見えるか、今、わかります。皆がセリフを順に演じている。真実を話す人ははわずかです」
「人生は幻影よ」アンニーナは強調する。
「私もそう思います」「あなたが本当に感じていることを証明するために勇気をもって生きようとしないなら」
 
みんな、回り続ける回し車の中で震えている。とても深刻なふりをしている。それを彼らは現実と呼ぶ。私の現実は異なった種類のものだ。私は常に水槽の中のカメのようだ。
「それとも標本の蝶」アンニーナは言う。
「あなたのお母さんは、本当にお父さんを愛していたと思いますか?」と私は尋ねる。
「わからない」とアンニーナは言う。
 
アンニーナは、もう何もわからない、と言う。私は、彼らは少なくとも互いに本当に愛しあおうとしたのだと思う。私もどう感じているかを説明するのが難しい、と説明する。もしアルヤが私みたいなことを抱えていたらどうだろうか?あるいはアルヤが堂々と愛そうとしていたとしたら?(しかし終わらせなくてはならかった。愛していなかったのだから)
「私もときどき全力を尽くして努力して、誰かの知っている感覚をつかめると思います」私は言う。「自分をはったりでごまかすことはできる。ときには、単にとても幸せだと感じたい。そのときにはそれになりきります。恐ろしいくらい考え得るだけの幸せに、かぶりつきます。ひっくり返った脳を正しい場所に起き直すことができます。自分の感じることが正しいと思えます。
「あのグループは単なる芝居だった」
「たぶん、どちらも自分自身のためにやっていたんだと思います」
「よい両親であるために」
「両親は、それをずっとやっています」私は言う。「自分の感じることを置き換えて」
「父は母の期待に応えなかった」アンニーナは語る。「全然、こたえなかった。でも、指輪が指できらきら輝いて、やっと目を覚ました。そのときもう妊娠していた。私がおなかにいた。愛された赤ん坊よ、生きろってか!!」
「今は、愛すべき家族がいるじゃない」私は言う。「実現してます」
アンニーナはあまり話さなかった。母親アルヤによれば、父親ティモは彼女にふさわしくなかったという。
「どういう根拠で?」私は尋ねる。
ティモは、アルヤを見さえしなかった。全く見なかった。
「見てもらえないのってどういうことかよく知ってます」私は言う。
「でもあんたは、今は私の片割れになったの」アンニーナは言う。「あんたは私の母親じゃなくて、友達よ」
「確かにそうです。やってみます」
古い、聞いたことのある表現だ。それは父の冗談だ。
でも友達としてあることは難しい。今は他にアイデアが出てこない。
「他に何か欠点がありましたか?」と質問する。
アンニーナの父ティモは、アルヤの冗談にも全然笑わなかった。アルヤは楽しく過ごそうと、いろんな友達を家に招いた。ティモは見知らぬ人が好きではなかった。彼が一緒だと、全然話が回らなかった。おそらく同じ理由で、彼には友達がいなかった。
「アルヤは籠に閉じ込められた動物みたいに感じたのかもしれません」
「そうね」アンニーナは同意する。「ごめん、熱くなってしまって。これはどうにもいまいましくて。父は、どうしても相手を変えなきゃいけなかったのかな?」
「その時お母さんはどうしたのですか?」私は尋ねる。
「それは大事なの?」
「お母さんはバイセクシュアルなのですか?それとも熱烈に性的なのですか?」
「ちがう」アンニーナは笑う。
「母は過剰に社会的なの」
 
ドアがノックされた。アンニーナは驚いて跳ね上がる。
「来ちゃダメ」と叫ぶ。
「何かいる?ほしい?」アルヤが叫ぶ。
「ほっといてって」アンニーナは叫び返す。
そこからまた元にもどった。私達はそのあと何時間も座ってしゃべっていた。自分自身からの嘆く気持ちなく友達の隣に座っているのは、より簡単だった。友達でいるというのは、不可能ではなかったということだ。
「分かち合うのはいいことだよね」アンニーナは言う。
「ええ」私も同意する。「私たちはちょっと砂時計の砂みたいです」
詳しく説明する。
すなわち、自分のことを話すとき、それは少し流れ込む砂時計の砂のようだ。砂はまず私からあなたに流れ、次にあなたから私に流れる。お互いに自分の境界を守っていれば、すべてうまくいく。
同じ砂の中にありながら、私たちは決して混ざり合うことはない。ここはあなたの部分で、こちらは私の部分。どちらも境界を超えることはない。そのとき、すべては心地よい気分のままなのだ。
 

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