先のことなんて、自分でもわからなすぎて①

この度、2012年から7年間お世話になった江東区を離れ、生まれ育った多摩の故郷へ引っ越すことにした。

引っ越しに至った背景を話すにあたり、この7年間について記しておきたいと思う。

初めての一人暮らし

説明会で一目惚れしたgCストーリー(当時サイベイト)への入社が決まって、大学卒業を目前に控え、22歳の誕生日を迎えた直後の2月、私はこの街に引っ越してきた。

暗闇も怖いし、シャンプーのとき目をつぶるのも背後が怖い、建物が古いだけでも何か出そうで怖いという、幼児並みの怖がりのくせに、「死ぬ気で働きたい!自分の命を最大限使って、世の中の役に立ちたい!」という思いだけは人一倍強く、実家からでも通える距離だったが会社から徒歩通勤できる物件で、初めての一人暮らしを決めた。

自分一人で毎日の食事から睡眠、その他の時間の過ごし方をすべて決められるので、どうしたらもっと仕事中の集中力が上がるか、もっと無駄な時間を省けるか、に日常のあらゆることを当てはめて実践した。

睡眠時間が短くても集中できる食事を知りたくてマクロビオテックのコンサルも受けたし、朝型を追求しすぎて20時就寝 2時起床を続けていた時期もある。毎日会社から帰宅するとストップウォッチをスタートさせて、ベッドに入るまでの時間の最短記録を目指したりもした(我ながら本当に頭がおかしい)。そのときの私は、幸い「怖さ」よりも「早さ」と毎日闘っていたので、暗闇に怯えることもなかった。

でも、そんな生活をしていても、唯一心のどこかに引っかかっていたのは、両親のことだった。

22年間生きてきて一度も、私の人生の道を勝手に決めたり、他の道を勧めたりすることなく、必ず全力で背中を押してくれた両親が、一人暮らしをすると決めた時だけは渋っていたのを覚えている。それでも、一度自分で決断したことをそう簡単には変えない私の性格をよく知っているので、強く止められることもなかった。

にもかかわらず、私の中に「いつか、この選択を後悔しないだろうか」という心の揺らぎがなかなか消えることはなかった。人との時間にはいつか終わりが来る。回数にして数えてしまうと怖くなってしまうほど、一緒に時間を過ごせるチャンスは限られている。頻繁に帰れる距離とはいえ、私はその時、両親という私にとって最も大切な存在との限られた時間を、自らの手で減らす選択をした。やむを得ず、ではなく、自らの選択で。

仕事に没頭する日々を送る中で、私は何度か体調を崩した。急性胃腸炎で点滴を打ったり、自律神経が弱って物が掴めなくなったり。その度に、真っ先に両親が駆けつけてくれた。子供を持った今ならわかる。父も母も、どんな思いで来てくれていたか。家で二人で、どんな会話をしてくれていたか。


その後、私は4年目の春に結婚を決め、3年間の一人暮らしを終えた。秋に結婚式を挙げたあと、5年目の春に妊娠がわかった後も変わらず働き、その年の年末に里帰りをして出産した。生後二か月の息子を連れて里帰りを終え、江東区に戻ってきたのが、ちょうど二年前の春。


②へ続きます。


#一人暮らし #卒業 #新社会人 #親元を離れる #両親  



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