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【小説】it's a beautiful place[19]例え汚れたってまた洗えばいいのだ。洗って乾かしてぱんぱんと叩いて布を伸ばして、あの管理人が作ってくれた物干しに干せばいい。

19
 
 急いで出勤の準備をして、私は店へと出た。美優はもうオーナーに店へは出ないと伝えていた。私は一人でLINDAへ出勤した。サリさんや他のスタッフは細かい事情は知らないようで、美優ちゃん残念だ、と私に言った。私は曖昧に笑い、その言葉を流した。店は人が一人減ったというのに盛況だった。私はほとんど寝ていない体をいつもより多く飲んだ酒で無理矢理に誤魔化して仕事をした。その日は何だか私にとっては苦手な客が多くて、私は更に疲れてしまった。疲れていると酔いが回るのが早い。随分と酔った私は、ふと、龍之介に会いたいと思った。

 私は龍之介の電話番号を知らなかった。けれど、龍之介が夜働いている店は沖永良部の電話帳に載っていた。そして、前に、週に四日はこの店で働いていると聞いた。確率は七分の四だ。そう思ったら、もう躊躇う気持ちはなくなった。店を出た後、今日は遅くなると美優に連絡をして私は和泊へ向かうタクシーへ乗り込んだ。

 和泊へと向かう道は相変わらず暗かった。見た事のない女が一人和泊に向かうのはタクシーの運転手には大分珍しかったようだ。私は何くれとなく話しかけられ、それに適当に答えた。揺れる車中の中、髪型と化粧を直した。初めて自分から会いに行く。私の胸はただそれだけだというのに高鳴って、いてもたってもいられなかった。

 龍之介に会えばこれからどうすればいいのかわかる気がした。はやる気持ちより車の速度が遅過ぎて、私は歯痒さに唇を噛んだ。そして、その瞬間、そんな風に龍之介がいると決め付けている自分に閉口した。いくら七分の四と言えども、もしかしたらいないかもしれないのだ。けれど、そんな筈はないと思った。根拠なく、私は、今夜は龍之介はいてくれる筈だと思っていた。

 厚い木の扉を開けると威勢のいい「いらっしゃいませ」が聞こえてくる。案の定、龍之介は黒のTシャツに長い腰巻型のエプロンをつけてそこにいた。

「奈都」

 私の顔を確認した瞬間、龍之介は大きく口を空けそう言った。私はカウンターに座りながら、龍之介の方を見てにっと笑った。

「飲みに来た」

 そう言うと龍之介は仕事を思い出したようで、慌てて私にメニューを差し出した。私はジントニックと軽いつまみを頼んで、店内を見回した。今日は平日の夜遅い時間のせいか客も少なく、スタッフも暇を持て余しているようだった。龍之介が私の前にグラスを置いた。

「びっくりしたわ。いきなり来るから」
「何か龍之介の顔が見たくてさ」
「あら。俺もよ」

 そんないつもの軽口を二人で交わす。全て本当だからこそ、軽い調子に口に出す言葉。私達はいつもそれで様々な事を迂回していた。私は龍之介の方を手で指して言った。

「いつもお店来てくれてるから、たまには私がおごる。龍之介も何か飲んで」
「いい、いい。俺はこの店ではいつでもただよ。大体、俺、もう仕事終わりっちょ。もう従業員じゃない」
「嘘、終わりなの。帰るの?」

 私は思わずそう聞いていた。きっとすがるような視線を送っていたのだろう。龍之介は顔をくしゃくしゃにして笑った。

「帰らんよ」

 そう言って、龍之介は着替えるから待ってろと私に言い残して、バックルームへと消えた。

 その言葉に、私は龍之介と始めて会った時のことを思い出していた。帰らんよ。龍之介は始めて会った時もそう言った。その時から既にこの気持ちは始まっていたのだと今は思う。知名から和泊まではタクシーで五千円近くかかる。往復で一万円。結構な額だ。けれど、今日の私はそんな事を一瞬たりとも考えられなかった。

 会いたかった。龍之介が何かを繋ぎ止めてくれるように思えた。そして、実際その通りだった。店のドアを開けて、龍之介を見つけた瞬間、私は自分の心を重くしていた全てがふわりと消えていくのを感じていたのだ。これ以上なんて何もない。龍之介が笑いかけて名前を呼んでくれるだけで、いつもいつでも私はそう感じていた。

 着替え終わった龍之介が私の横へビールを持って座った。私は再度グラスを持ち上げ、二人は乾杯をした。

「いきなり来るからびっくりしたわ」

 龍之介はビールを一口で半分以上のみ干しながら言う。

「いつもは私がそういう気持ちなんだよ。今日は逆だね」

 私はそれに笑いながら答えた。何時間か前まで、美優と、随分深刻な話をしていたというのにそんな軽口が叩ける自分が不思議だった。私はジントニックをもう一口飲んだ。

「お前、今日酔ってるだろ」

 龍之介が私の頭を叩いてそう言った。

「そんな事ないよ。いつもと一緒」
「そうは見えんわ。いつもと違う」
「そんな事ないよ」

 そう言った私に、龍之介は答えず、またビールを飲んだ。すぐに空になったグラスを持ち上げると、他のスタッフがまたビールを注ぐ。その間、私は龍之介をずっと見ていた。肘の尖った骨。そこから滑らかに続く前腕。手首の骨がやたらと目立つ。頤は骨の形そのままに耳へと続いている。ついこの前会ったばかりなのに久々に会うような気がした。そういえば、こうして二人きりで会うのはまだ二度目だ。何だか不思議な気持ちだが、でも実際にそうなのだ。

 そう思うと急に緊張してきた。今まで、東京にいた時はどんな有名人でもどんなに力を持った人でも気にせずにいられたというのに、私はたった一人の島の男に今、緊張していた。

「幸弘の事、気にしてるのか」

 自分の思考に沈んでいた私に龍之介がぽつりと聞いた。私はその言葉に顔を上げた。そうだ。龍之介は幸弘と友達なのだ。目の前にある事しか考えてなかった自分を恥じ、私は俯いた。幸弘も嫌な思いをしているに違いないのに、そこに思い至らなかった自分が恥ずかしかった。

「お前が気にする事ない。よくある話よ」

 龍之介の言葉は慰めに似ていたけれど、その口調が冷たく感じられて私はそれに思わず食ってかかっていた。

「よくある話って。そうかもしれないけど、美優はちょっと」
「島の男はそういうの慣れてるっちょ」

 私の言葉を遮りそう言うと、龍之介はビールをまた飲んだ。その横顔はいつになく硬くいろんなものを拒否しているように見えた。私はそれに何も言えず、ただ龍之介の言葉を待った。龍之介がもう一度ビールを飲んだ。そして、また話し出した。

「俺がなんで昼も夜も働いてるかわかるか」

 急に話が変わったように思えて私は龍之介をぽかんと見上げた。小さく首を傾げ、ううん、と答える。龍之介は少し悲しげに笑って、話を続けた。

「俺な、シュウと一緒に島を出たんよ。一緒に福岡行って、一緒に暮らしてた。楽しかったな。俺もシュウも修学旅行くらいでしか島出た事なかったから。何もかも新鮮で毎日遊び回ってた。そうしたら当然女も出来る。で、シュウは酷い女にひっかかって」

 龍之介はそこで言葉を切り、またビールを飲んだ。店内には奥の個室に二人組がいるだけで既に閉店のムードが漂っていた。他のスタッフはキッチンにこもり、誰も出てこない。低く流れている音楽の間で製氷機の音がかたんと響いた。その音に背中を押されるようにして龍之介はまた話し出した。

「付き合ってすぐ妊娠したって言ってさ。でも、それどう考えてもシュウの子供じゃないっちょ。シュウはいつも避妊ちゃんとしてたらしいしな。その女、シュウと付き合う前に別れたって言ってた男と実は続いてたらしくてさ、でも、その男にはそれ言えないってんで、シュウの子供にしようとして」

 私は龍之介の話を聞きながらシュウの事を思い浮かべていた。ちょこまか動くげっ歯類のような人なつっこいシュウ。可愛がらずにはいられないような無邪気さでいつでも龍之介にまとわりついていた彼に、そんなどろどろした話は全くそぐわなかった。私は龍之介やシュウと始めて会った時の事を思い出した。シュウはあの時も、騒がしいペットのようにきゃんきゃんと笑って盛り上がっていた。しかし、LINDAの後にいったクアージで、シュウは「飲み屋の女なんて信用できん」と強い口調で言ったのだ。あれはその時の事を思い出していたのか。私は、今ようやくシュウの気持ちを理解した。

 無言のままの私に龍之介が話を続けた。

「シュウも、それわかってたんだってよ。でも、シュウはその女、捨てられんかった。俺達、毎日遊び回ってたから貯金なんてない。で、その子供を堕ろす費用、シュウはバイト先から盗んだっちょ」

 そこまで言った瞬間、龍之介の体が重くなったように沈んで見えた。横顔が一気に十歳年を取ったかのように疲れて見えた。私は思わず龍之介の方に手を伸ばした。沈み込んだ龍之介を引き上げたかった。けれど、その手が届く前に、龍之介が私を見て、少し笑った。そんな顔するなよ、ともう一度笑って続けた。

「シュウも馬鹿でよ。そんなん必要なの二十万くらいだろ。だけど、女に言われて五十万も盗んで。もちろんバイトはクビよ。俺とシュウ、福岡でバイトも一緒だったっちょ。バイト先には俺が払うって言った。そもそも福岡行こうって言ったの俺だったしな。だからこうして働いてる訳よ」

 最後、龍之介はおどけたように腰に巻いたままのエプロンを広げて見せた。私はそれに答えることも出来ず、ただ龍之介を見ていた。そんな顔するなよ、と龍之介がまた言った。お前が気にするような事じゃないっちょ、と龍之介は私から目をそらし続けた。

「シュウは、今何してるの?」
「一応働いてるけどな。あいつ、その後参っちゃって体壊したのよ。今はだからあんまり働けん。静養中よ」

 どうして、龍之介がシュウの借金を払わなきゃいけないのか。私はそう思ったがそれを口に出すのは憚られた。龍之介の中ではそれは当たり前の事なのだろう。俺が連れてきたし、と龍之介は言った。傍から見れば龍之介に責任などない。けれど、龍之介は自分のせいだと思っているのだ。龍之介はそういう男なのだ。

 龍之介が、またビールを煽った。いつもは話さないような真剣な話をしている自分に龍之介も戸惑っているようだった。私は龍之介の喉がごくごくと動くのを眺めながら、どうしていいのかわからず自分もジントニックを飲んだ。勢いで全部飲み干してしまい、氷がからんとなった。もう一杯飲めと龍之介が言う。私はそれにこくんと頷いた。

 飲み物がもう一度運ばれてきて私達はまた乾杯をした。きっと私は相変わらず心配げな顔をしていたのだろう。龍之介は私の頭をぽんと叩いた。

「大丈夫よ。俺、そんなん今までいっぱい見てきてる。シュウも真二も幸弘も、皆惚れっぽいっちょ。知名の飲み屋の子に何度も泣かされてる。知ってるわけよ、島の男は皆。ここは内地から来た奴には夢の島で、それに皆浮かれてる。で、ついでにひと夏の恋でもしようかなって思う訳。それで島の男は痛い目見る。でも、それに乗った方も悪いし仕方ない訳よ。よくある話よ」

 よくある話。私はその言葉を悲しい気持ちで聞いていた。私達にとっては特別でも、確かに島の人間にとっては島はいつもの場所だ。そこに勝手に来て、島を楽しむ付属品の一つのように島の男とひと夏限りの恋をして、あぁ楽しかったと勝手に帰っていく飲み屋に勤める女達。私もそうだ。そして、それはよくある話なのだ。

 美優も、そして私も、龍之介の中ではよくある話の一つにカウントされているのだろう。ただ、この三ヶ月を楽しく過ごすだけの相手としてしか思われていないのだろう。私達にそれを責める権利はない。何故なら帰ると決めるのは私達なのだから。

 けれど、私は、龍之介にそのように思われたくはなかった。今までの誰かのようには思われたくなかった。けれど、している事はそれと同じなのだ。私は違うとは言えないのだ。

 沈み込んだ私を龍之介は誤解したようだった。私の頭をもう一度ぽんと叩き、龍之介は言った。

「何、落ち込んでるのよ。お前が気にする事ないって。美優ちゃんの事はまた別よ。それで、誰もお前のことを嫌いになったりせん」

 龍之介は今度は悲しい笑いではなく、いつものあの日に焼けた顔をくしゃくしゃにするような笑顔でそう言った。私はやはりその笑顔に見惚れた。誰もお前のこと嫌いになったりせん。そんな風に言えるから、この笑顔があるのだと思った。

 大好きだ。私は初めてその言葉を胸の内で組み立てて呟いた。私は龍之介が大好きだ。龍之介にとってはよくある話でも、私にとってはたった一つの大好きだ、と。
 
 タクシーを呼んでくれた龍之介と店の前で別れて、私は知名へと戻った。もはやどの店も閉店している時間で、マルも既に照明を落としていてあたりは真っ暗だというのに、龍之介はやっぱり光って見えた。私は何度も手を振った。龍之介も大きく手を振った。次はいつ会える、と聞きたかった。けれど、聞ける訳がなかった。昼も夜も龍之介は働いているのだ。しかも、あんな事情で。そんな中で会いに来て欲しいとは言えなかった。

 龍之介達はもう店へ来ないかもしれない。知名へと向かうタクシーの中で私はそう思った。彼らはもう美優と顔を会わせたくないだろう。もう私と美優が和泊の集まりに呼ばれる事もない。当然だと思いながらも私はそれに寂しさを感じていた。拓巳や幸弘の気持ちを考えれば至極勝手な事だと思いながらも、それが正直な気持ちだった。

 知名へと近付く程に気持ちが重くなっていく。許したい、と私は美優に言った。けれど、どうすれば許せるのか、私にはわからなかった。謝ればいいという話ではない。そして、拓巳か幸弘のどちらかと付き合えばいいという話でももちろんないのだ。私は、自分でそう言ったものの、どうすればいいのか途方に暮れていた。一体、何が解決と呼べるのだろう。一体、どれが正しいと言えるのだろう。

 ちょうど知名の町へ入った時、電話が鳴った。悠一からだ。出るとクアージも終わったし話したい事があると言う。私はじゃあ町体で、と言って電話を切った。

 町体に着くと、悠一はすでにそこにいた。砂浜へと続く階段に腰を下ろしてジュースを飲んでいる。私も先程自販機で買ったジュースを持ち、その隣へ座った。時刻は午前三時。昨日、悠一と別れてからまだ二十四時間もたっていなかった。あまりにもいろいろな事あり過ぎて、昨日が随分昔のように思えた。大変な一日だった。そう思いながら私は悠一にその後の事を手短に話した。悠一はそれを言葉少なに聞いていた。許したい、と私が言うと、悠一は驚いたように私を見た。信じられないというように首を横に振っている。私は、悠一に静かに言った。

「そりゃ、美優の事、悠一の立場からしたら許せないよね。そりゃそうだよ」

 悠一は膝に顎を乗せ、海を眺めながら小さく頷いた。私はそれを確認して話を続けた。

「でも、そしたらさ、今までって何なのって話になっちゃうじゃない。あれだけ楽しかったのに全部嘘だったのって。私は嘘にしたくないよ。だから今、美優が島を出るのも止めたの。私達、あとちょっとしかここにいない。でも、このままじゃ美優はもう二度とこの島に来れない。そんなの悲しいよ」

 一気に言って喉が渇いた。私はジュースを飲み、息をついた。知名の町から嬌声が聞こえてくる。そういえば、他のスナックに新しい子が入ったという噂を聞いた。今、知名はその子達が可愛いと話題で、大抵の客はそこに行っているそうだ。こうやって島の話題は移り変わっていく。新しい女が来て同じ事が繰り返される。

 私はあたりがまた静まるのを待って、悠一に言った。

「私は、もう一回、拓巳と悠一と四人で遊べるようになりたいよ。最初の時みたいにまた遊びたいよ」

 悠一は煙草を吸いながら知名の海を見詰めていた。あの時、砂浜で三線を弾いてくれた時の顔とはうってかわって横顔が固い。よく見れば、顎に無精髭が浮かび、頬も心なしかこけていた。きっと悠一もあれから寝ていないのだろう。憔悴しきった顔で、悠一は口を開いた。

「拓巳、ずっと泣きっぱなしよ」

 苛ただしげに煙草をもみ消し、話を続ける。

「でも責めないでくれって。美優ちゃんの事は責めないでくれって。あいつは本当にお人好しだわ。本当、昔っからそうだった」

 大きく息を吐き、空を見上げた。東の空はもう微かに白み、空はアメジストのような薄紫色だった。月が今にも消えそうなくらいに透明に浮かんでいた。雲がゆるゆると流れ、月を覆い隠した。悠一がばたんと後ろに倒れこんだ。

「空が綺麗よ」

 私も悠一に習って横になる。

「本当だ」

 私がそう呟くと、悠一はようやく今日初めて笑顔を見せた。

「俺は拓巳が羨ましかったっちょ」

 悠一が突然語りだした。

「あいつは惚れっぽいけど、いつも一途だからな。何も恐れんで好きな女に向かってく。俺、実は小心者っちょ。だから、拓巳みたいになかなか出来ん。馬鹿だなぁ、と思うけど、格好いいなとも思うわけよ、拓巳のそういう所」

 私は悠一の言葉に頷いた。

「だから、余計、拓巳を舞い上がらせて、それからすぐ思いっきり落とし込んだあいつの事、許せんかった。拓巳に対しても、忘れちまえって俺は正直思ってた。けど、拓巳はそんな風に簡単に忘れられるような奴じゃないわけよ」
「うん」

 私はそっと頷いた。忘れたい。そのようにどんなに願っても、忘れられない事があるのだ。

「だったら、最後笑って会いたいな。その方がいいに決まってる」

 悠一が私の気持ちを読んだように言った。

「うん」

 私はもう一度、頷いた。

 帰り道、家の前まで送ってくれた悠一に、私はにやりと笑ってこう言った。

「拓巳だけじゃなくてさ、悠一も相当お人好しだと思うよ」
「んな事ない。俺は触るもの皆傷つける男よ」
「何処が。相当、いい奴だよ」
「ばっか、それは作戦よ」

 私達はそんな風にいつものくだらない会話をして、手を振って別れた。一人で抱え込んでいた気持ちが悠一のおかげでふっと軽くなったのを感じながら、私はアパートの階段を登った。

 私と悠一は、二人の気持ちが落ち着くのを待ち、それから四人で会おうという計画を立てた。私はその間、美優とひたすら話すつもりだった。逃げた先からも逃げるようなやり方をしてはいけない。それは美優にも私にも言える事だった。私はこの島が大好きだ。そう胸を張って言えるようでいるために、後悔は何一つ残したくなかった。
 
 部屋のドアを開けると美優は眠っていた。明け方の光の線が幾筋も部屋に走っている。私はきしむドアを慎重に閉めてから部屋にあがった。化粧を落とし、寝巻きに着替え、冷蔵庫から麦茶を取り出し、ちゃぶ台に置いた。ちゃぶ台の上に一枚、紙が置かれていた。『奈都ちゃんへ』と宛名が書いてある。私は美優の方をもう一度見た。美優の枕元には何枚もぐしゃぐしゃになった紙があった。私は、ちゃぶ台の上にあった手紙を手に取り、開いた。
 
『奈都ちゃんへ
 
 口じゃ上手く言えなそうだから手紙を書きます。

 昨日、奈都ちゃんや拓巳や悠一と話して、私はすごく自分の事が汚く思えました。こんな汚い自分をもう見られたくなくて、だから一刻も早く消えたくて、島を出る事を決めました。私は、もう奈都ちゃんや拓巳達に許してもらえなくてもいいと思っていました。だから、奈都ちゃんが許したいと言ってくれて、私はすごくびっくりしました。

 私は、ずっと自分の事をおかしい人間だと思っていました。男の人と付き合うと、私がいつも一番最初に思うのはこの人はいつか離れていくって事でした。離れていくんだ、あんまり好きにならないようにしようっていつも思いました。だから、すぐに他の相手を作りました。そうすれば、一人が離れてももう一人がいるしって思えて安心できました。でも、いつも大抵、私が何人もの人と付き合っているのがばれて、すぐに終わりました。

 私はそれをずっと続けていました。それがなくなったら私には何もやる事がありませんでした。一瞬でも、もしかしたらこの人とずっと付き合えるかも、って思える瞬間が私にとって一番嬉しい時でした。でも、結局何処かで私のしている事がばれて、皆離れていきました。だから、奈都ちゃんも愛想をつかすだろうと思ってました。皆そうだったから。

 だけど、奈都ちゃんだけは、私に、許したい、と言ってくれました。私は、本当に驚きました。夢みたいでした。本当にびっくりしました。

 どうしたらそうなれるかわからないけど、私はそうなりたいと思いました。奈都ちゃんに許されるようになりたいと思いました。

 どうすればいいのかはいっぱい考えたけれど相変わらずわかりません。

 でも、私はそうなりたいです。

 奈都ちゃんに許されるような人間になりたいです。

 それだけ、言いたくて手紙を書きました。私と一緒に暮らすの、もう嫌かもしれないけど、私は奈都ちゃんともう少し一緒にいたいです。上手く書けなくてごめんなさい。読んでくれてありがとう。
                                    美優』
 
 寝ている美優の顔を私は眺めた。カーテンの隙間から朝の陽射しが差し込み、美優の色素の薄い顔を透明に照らしていた。汚くなんかない、と私は思った。汚くなんかないのだ、と美優を叩き起こして、声を大にして言いたかった。

 例え汚れたってまた洗えばいいのだ。洗って乾かしてぱんぱんと叩いて布を伸ばして、あの管理人が作ってくれた物干しに干せばいい。そうすれば、私達はまた洗いざらした白いTシャツになる。海風に大きく膨らみはためく白いTシャツに。

 逃げなくてよかったと思った。美優に対してではなく、自分に、だ。食い下がってよかったとも思った。相手が望むならそうしようと思う事は実は逃げの一種なのかもしれない。相手がどう思うかよりも強い自分の気持ち。わがままでも身勝手でも、きっとそれこそが本当の事だ。

 拓巳が持ってきたやたらと豪華な布団にくるまり、美優は静かな寝息をたてていた。私はそれを見て、それから自分の薄っぺらい布団を撫でて少し笑った。私は、美優の書いた手紙の裏に、大きく『了解』と書いて、眠りについた。

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私の作品紹介

忘れられない恋物語

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。