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この寂しさと苦しさの元は"期待"だった。


「いつも寂しそうだよね。」と以前付き合っていた彼氏に言われたことがある。そう、私はいつも寂しい。根強い寂しさがあるということは気づいていた。そしてそれが、母に向けた寂しさであることも。




育ってきた環境

私の家は共働きで、小学生の頃は所謂"鍵っ子"だった。母の帰宅は夜遅く(多分20時くらいだけど小学生の私にはすごく遅く感じた)。母は父の3歩後ろを歩くような人で、いつも父をたて、私はずっと家の中では父が1番偉いと思っていた(姉は全く思ってなかったらしい笑)。父も忙しく、子供ながら母は父を構っていたように思えた。



記憶

鮮明覚えている記憶がある。
小学5.6年生の頃。学校から帰り、夕方16時くらい。西日の差す部屋でテレビを見ながら、友達が外で遊んでいる声や音を聞いていた。私は1人。すごく寂しかった。それが人生で初めて知った孤独だったのかもしれない。あの時の音も、色も、景色も匂いも、私は鮮明に覚えている。


待っていたのだ。母の帰宅を。友達と遊べばいいのに、私は寂しさを埋めることを母に求めていたのだ。私は母に構って欲しかった。母が仕事から帰ってきた時が、すごく嬉しかった。「わがままだ」と父や姉から言われて育った私は、母に構って欲しいため、わがままを包んだ聞き分けのいい人間に育ったと思う(ほんとうは今でもわがまま要素が強い笑)。



あの頃と同じ苦しみ

最近、好きな人と会う約束をし、仕事で会えなくなったことがあった。「仕事だから何時くらいから会える。」最初はそうだったが、まだ終わらない、まだ終わらないと延びて延びて。結局相手から、今日は無理そうだと連絡が来た。まだ終わらないと連絡が来る間も、私は彼に会えることを待っていた。なんだかすごく寂しくて、苦しくて。でもそれが彼に向けたものではないことも少し気づいていた。一旦泣いた後に、良い機会だからその苦しみがどこからきたものなのか探ってみた。



やっぱり、昔の寂しさだった。寂しくて、なのに母は居なくて、苦しい(母は健在です)。そしてその苦しさは、母に向けた"期待"だった。
ずっと待っていれば、母は帰ってくる。もちろん遅い時間になれば帰ってくるから、私は待つ。



そんなことを私は、まだ繰り返しているんだ。



終わり

期待することが、私の苦しみを作っていた。以前の私を繰り返すことで、苦しみの末の喜びを他人に求めていた。だから比較的忙しい人を今までもよく好きになっていた。もう昔の自分を繰り返すことはない。終わりにしよう。母に対する期待を終えよう。


"苦労は買ってでもしろ"は幻想で、苦労の先には苦労しかない。苦しみの先にあるのは苦しみだ。だから単純に明日喜びの自分でいたければ、今日を喜びの自分で生きるしかないのだと思う。そしてその喜びは他人に期待するものではなく、自分で作り循環させるものだ。



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