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爪が切れない

まるで何もできなかった。
食べた皿を洗えなかった。
干した洗濯を取り込むことができなかった。
靴は玄関で揃えられなかったし、ゴミは決まった曜日に出すことができなかった。

人間として当たり前のことができなかった。
当たり前を作った人間にたまに腹が立つことがあった。きっと世界で一番最初に当たり前を作った人間は自分ができないことは当たり前の定義には含まなかっただろう。そんな都合のいい裏工作をしていただろう。チッ。

そんな何でもないことをぼやぼやと考えていた私は今年で30歳になっていた。東京の夏はどうやらエジプトよりも暑くなってしまっているらしい。エジプトに行ったことはないのだけれど、きっとこの夏を東京で味わってしまっていると、いざエジプトに行った際に「あれ、エジプト。思ったよりエジプトエジプトしてないな」なんて思うのだろうか。むしろ東京帰ってきた時には「お〜!ここがやっぱりエジプトっぽいやんな」的な。

頭の中で考えているときはいろんなことが同時並行して進んでいる。当たり前のできなさに辟易していた自分を憂いていたと思えば、東京より寒いエジプトが脳みそに喋りかけてきた。今はこうして総括してまとめている最中だけど、今度は首振りの扇風機があまりいい範囲で首を振ってくれないことが気になってしまっている。寝れるか、寝れないかの間に立っている私にとってはこのような外部の刺激はとても厄介だった。

いろいろな考えや思いが混ざり合って、余計眠れない。眠れていないのに、具合が悪いときに見る夢を見ているみたいだ。タチが悪い。
そんなものを振り払うように、ぐるっと体を回転させ寝返りを打つ。

「痛い」

隣で寝る彼女は、小さくそう呟いた。
彼女の綺麗な足首には小傷が多かった。

私は爪を切ることができなかった。


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