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私が出会った死/1

小学3年生の夏、飼っていた猫が死んだ。

けいと。サバトラ模様のツンとした雌猫で、お世辞にも愛想があるタイプではなかった。外の世界が好きで、スーパーの総菜の魚料理も好きで、私のバイオリンケースに入るのも好きだった。

けいとは幼い頃に(猫の)母親と離れ離れになり、爪のしまい方だとか、人間を噛んではいけないとか、そういうことを教えてくれる人が(猫が)長いこといなかった。

そういうわけで、様々な運命を経て我が家にやってきた彼女は、しょっちゅう私の顔をひっかき、足を噛み、手を噛んだ。バイオリンだのバレエだのお嬢様風のお稽古を習わせてもらっていた割に、私は常に体のどこかに生傷をたずさえていた。

母は私が傷だらけなのを気にしたが、私は嬉しかった。一人っ子の私にとってはけいとは紛れもなく妹で、傷があるということは、彼女が私を姉だと思ってくれている証拠だったからだ。夜中寝ている時に暗闇から飛びかかってくるのだけは本当に怖かったけど。あと、外で捕まえてきた雀ちゃんの死体を見せにきてくれたのもちょっとやめてほしかった。気持ちは嬉しいんだけど…。

けいとは1年足らずの人生で死んだ。

木曜日の夜。バレエのレッスンが終わって母と車で家に帰ると、庭の片隅にけいとが倒れていた。

動物病院に連れて行って、車にはねられたのだろうと言われた。彼女は、口から血を流していたが、見た目には綺麗な姿だった。今思えば、もっとひどい姿になってしまっていた可能性もあったのだから、抱っこができるような状態だっただけでも良かったと思うべきだったのに、私は怖くて、「死んだけいとちゃんなんか見たくない」と言って、ちゃんと見てあげられなかった。

帰り際、病院の先生がリーフレットをくれた。「ペットが死んだとき」みたいなタイトルで、飼い主の心理として起こりうる状態が書かれ(自分自身を責めてしまうとか、ひどいときは死んだペットを責めてしまうとか)、死への向き合い方や心の回復に有効なリラックス方法が載っていた。あと、行政関係の手続きとか業務的なことも書かれていたと思うが、何分子供なので、そういう部分は読まない。

けいとが死んだ夜、非常に清々しい夢を見たのを覚えている。

冷たい屋内プールで泳ぐ夢だった。澄んだ水に、青い天井の色が反射した。私は両隣のレーンで泳ぐ他の選手に負けないくらい速く泳いでいた。25メートルのゴールの先に、母がパイプ椅子に座って待っている。息継ぎをするたび、胸の前で手を合わせているのが見える。もしも一等でついたら、母は褒めてくれるだろうか。

8月3日。お葬式をしたお寺は、山深い、とまではいかないが、家から1時間ちょっと車でかかる、自然の多い地域にあった。お坊さんがお経を唱えている間、近くで工事をしているらしい騒音がずっと鳴っていた。けいとは工事やトラックの通る時のような大きい音が嫌いだったから、さぞかし嫌がるだろうと思った。

その年の夏休み、私は毎日泣いて、毎日を傷つきながら過ごした。家のどこにもけいとがいない。抱っこしたいのに。撫でたいのに。あのフカフカの毛皮に触りたいのに。足の指を噛んでほしいのに。頬に引っかき傷を作ってほしいのに。

私は対処法を学んだ。

まず、彼女の死には何か意味があると考えた。「私の周りの同級生にペットを亡くしたという人の話は聞かないから、きっとこれは誰もができるわけではない、特別な経験だ。私の心にとって、重要な試練に違いない。」と、ここまでちゃんと文章にはできていなかったが、漠然とこんなことを考えた。

そして、気持ちを上向かせる方法を学んだ。死は重すぎて、辛すぎて、片時も忘れることができない。忘れることができないのだったら、もういくらでも明るい気持ちになるものを摂取しても問題ないはずだ。それで、私は家の本棚にあったギャグ漫画を繰り返し繰り返し読んだ。ちなみに、江口寿史先生の『すすめ!パイレーツ』である。平成生まれの私が、王貞治選手のナボナのCMのモノマネができるのはそういうわけである。

小学3年生の夏、私は8歳だった。私が生まれて初めて出会った「死」は、義理の妹といえる飼い猫の死だった。

  #ペット #死 #プール #すすめパイレーツ

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