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不協和音のあたたかさ|Thelonious Monk

Monk's Music|Thelonious Monk


20代の初めにジャズを聴こうと、最初に手に取ったのはマイルス・デイビスでした。知識のない私でもジャズといえばマイルスみたいな事は知っていましたから。でも私にはあきらかに背伸びしすぎた感があった。最初はいいけれどアルバム一枚聞き終わると疲労感がある・・・自分の日常とマイルス・デイビスの音の世界はあまりに乖離していました。ではと、チャーリー・パーカーを聴いた。こちらは当時の私には元気な音すぎました。やはり疲れてしまう。めげずに、次にセロニアス・モンク(1917-1982 / ジャズピアニスト)のMonk's Musicを買った。これが愛聴盤になりました。ジャズの自由さをようやくこのアルバムを突破口にして少し感じ取りました。
今にして思うと、同時期にオルタナティブロックの『ソニックユース』や『ダイナソーJr』も聴きこんでおり、比較的この不協和音に近しい!?ものを感じたのかもしれません。なんにせよ、最初から耳馴染みがよくて、あたたかさを感じた。好き嫌いが大きく分かれるジャズの巨匠モンクですが、お聞きでない方一聴おすすめです。ぜひ病みつきになって頂きたい。

セロニアス・モンクのいた風景|村上春樹


モンク中毒者の集いし本

村上春樹さんもモンク好きと、この本で知り嬉しくなりました。
本の文中に「その(モンク)の音楽は、僕らの心のある部分を強く励まし、根源的に説得した」とあり、素晴らしい表現でモンクのことが書かれています。そしてnoteに自分にとってのモンクを書いてみたくなりました。

モンク好きになって歩む人生とは、本来旋律を乱し不安感を誘うハズの不協和音が美しく感じるという。脱線した美学の容認ができる豊かな人生だと思っています。
モンクは自分の音楽を生きた人です。その独自性は他に類似がない。そういう音楽家を通して自分が取り込んでいるものは、自分の好きという感情の大切さかもしれません。

目白の古道具坂田。はじめて行ったときは妙に緊張した。

それは後年、古道具好きとなり今はなき「古道具坂田」でデルフト焼きのかけらを見た時に美しいと思ったことに自分の中では通じています。それは平皿の一部でしかなく、おそらくは多くの人にとってはガラクタなのですが、そこに見出した美しさはどこか不完全さも感じるモンクの美しさと被り、自身の「好き」という感情が拡がった(励まされた)瞬間。
「美しさ」の感覚が一体どこにあって、その基準が何か?自分でもなかなかわかりません。でもどうしても惹かれる美しさは確実にあり、その感情はあたたかくも切なく、清々しい肯定感を感じつつ記憶には粘着性をもって残る。そのすべてにモンクの音は当てはまり、村上さんの語る通り、まさに「強く励まし」してくれる。それは初めて聴いてから20年以上経っても変わっていない今も孤高の音楽です。



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