「言語化できない日々を僕自身が肯定できるように」

こんばんは。アキミツです。


お休みしていた「月一note執筆」を再開していくことにしました。
「月一」と言っていたのですが、今回は「2ヶ月」ほど空いてしまいました。理由は最近、自分に起こった様々な「変化」に対して身体や心の不安が重なって自分が自分について行けなかったから。その結果、自分の仕事や人生と深く向き合う時間になっていました。

「コロナショック」などの外的影響も大きな要因です。その結果、仕事が減り「これからどうしようか...」と思ったというのも動機ですが、その前から悩みの種はそこら中にウイルスの様に蔓延していたのかもしれません。今回からの執筆はそんな「言語化できない日々」をできるだけ綴れたらいいなと思います。


「瀬戸際男子の憂鬱」って?

ずっと「たぶん、今日も窓際男子」でしたが、いつかどこかのタイミングで人は「人生の瀬戸際で、勇気を持って立ち向かわなければいけない場面に立つ」事もあるのではないでしょうか。これは僕の完全な原体験を基にしているのですが、その瀬戸際で揺れ動く感情って上手く言葉にできない。だからこれから出来る限り垂れ流して書いていこうと思っています。それでは聞いて下さい。


プロフィール**

1991年2月大阪府岸和田市生まれ。大阪市在住。
Webメディア「Blind Up.」編集長。現在は「建物づくり」を通じて課題解決を行う不動産会社に週3日所属し、受託で企画・制作・Webディレクターをしてます。2013〜2018年まで「企画・制作」を軸にWebディレクター業・スペース運営・採用広報に従事。2018年7月に職業不適合のため退職、同年9月27歳より自分の活かし方と役割を見直すためフリーランスとして独立。


先月、2月21日に「29歳」を迎えて。**


29歳ってもっと大人で、「何か」できている人だと思っていました。でも高校生とか大学生の頃くらいから、逆に変わったことを探す方が難しい。むしろ「できない」事がどんどん増えて学ばなければいけない事が日に日に増えている様に思います。


僕は3年前(26歳→27歳)にこんな記事を書いていました。


振り返ってみると、当時から模索し続けているのは「ワークスタイル」です。少なからず「当時」より「今」やれている事も増えてきました。

▶︎「2018年」2年前...
⒈会社員とフリーランスの中間を行き来しながら「複業的に働く」という実験をしていきたい。

⒉いま、勤めている会社と協力して「雇用や仕事を通じて循環が生まれる生態系やコミュニティ型コワーキングスペース」をクラウドファンディング等を使って作ろうと計画しています。

⒊自分の職業や生活拠点に生きがいを感じられない人が自分らしい生活や働き方ができるかもしれないと「もう一度勇気を出して踏み出せる」Webメディアを作りたい。

▶︎「2020年」2年後の今...
1.「週3日」で無理せず所属しながら、複業フリーランスをしています。
それでも正直、週3日以上コミットしなきゃいけない時期もあります。が、この働き方を理解してくださっている職場環境に出会えています。ただ常に存在意義を問われ、「らしく」を作るための「責任」を求められています。

2.当時、勤めていた会社は退職しました(笑)
ですが「雇用創出できる生態系や経済圏が生まれるコミュニティ型コワーキングスペース」を作る事はしたいなと思っています。日々、最適解を探し続けたいと思います。

3.まさに今運営しているWebメディア「Blind Up.」が「それ」です。
生き方・働き方を模索する人向けにWebメディアを1年ちょっとが経って運営しています。ただ、現状ここで経済圏を生める様なものにしている訳ではなく、現在はあくまで「コミュニティ」として運営中。年内は人にフォーカスし続けて、来年度から企業さまや地方自治体との協業ができる様にします。


最近、兵庫県尼崎市から大阪市に引っ越しました。**


兵庫県尼崎市杭瀬にあるアーティスト向けシェアハウス「シェアアトリエバンビ 」から「大阪市」へ2月末に引っ越して(引越し何回するねん笑)、パートナーと同棲を始めました。慌ただしい中での移動だったので、まだ暫く尼崎・大阪間の行き来は変わりませんが、一旦は大阪方面の割合が増えそうです。


元々がシェアハウス暮らしだったので、人と暮らすことへの不安はありません。ただ一つ屋根の下で、自分の部屋がない生活はすぐには慣れず。なぜなら「孤独の確保」がすぐにはできなかったから。外界との接触を断って、ただ集中できる場所をどう確保するか、それが課題だった様に思います。


ただ人は月日が経つに連れ「自分以外」と日々暮らしていくことにちゃんと「適応」していけるのだなとホッとしました。もちろん、パートナーによる僕への配慮や僕自身がパートナーへの配慮ができている(できているのだろうか…汗)上での適応が徐々に出来ている気がします。


何より「相手の価値観への尊重」「日々の感謝と反省」をちゃんと言い合えていることがかなり大きいのかもしれません。落ち込んでいる時はとことん相手に寄り添う。お互いに適度な距離感を大切にする。それに時間がかかろうが、価値がなかろうが。結果的に僕自身が一番救われている様に日々感じているのです。


最近は僕の激減して落ち込んでいる時も、そっと一言。

「大丈夫。じっくり落ち切ってから這い上がればいいんだから。別にあなたの収入に期待してないし(笑)そもそも焦ってもいいことないでしょ。だからまずは深呼吸してリラックス。それから目の前のことを一所懸命やることだよ。ほらっ。」

パートナーがいて良かったと日々思う。なんだろう、いつも感謝しかない。


今期は「資本主義」と向き合う。**

フリーランスになってから約一年と少し経ち、確定申告を無事終えました。
激動で変わらず大変な一年だったと思うのですが「ギリギリ生き残れた」って感じでした。

ある時一気に収入が減ったり、また増えての繰り返しで何とか生き残って。その中でずっと「不安」は付きまとう。

だから出来るだけ吟味・検討をする事案を減らすために、大切な人を守るために、お金は稼がなければいけない。無理は禁物、だけれど胃がキリキリする様な経験も適度に必要なんだと思う。

必要に駆られて僕は動き出すことができる程度の可能性を残して。


今まであまり話した事なかった家業「カーペット加工業」。**

創業社長は僕の祖父。元々農家の出から大工になり、大工から地の土地を生かして大阪府岸和田市で業務用カーペットの製造や敷物加工を手掛ける会社として起業。そして2008年に祖父が倒れ、父親が2代目社長になり、現在に至ります。


12年の月日が過ぎ、事業をどうするか、という話をずっとして来なかった。というか自分が持ちかける気持ちすら「最近までなかった」という方が正しいかもしれません。


ちょうど昨年末、工場の機械を償却するタイミングになり「彬光がやりたい事があるならやればいい。」と突然言われてから、暫く考えられずにいた。そんな中、外的影響であるコロナショックを迎え、イベント関係の仕事が軒並み中止に。改めて人生を見つめ直すタイミングに差し掛かる。

自分がもし三代目として事業継承するなら「良いものを必要な人に届けること」を大事にした会社を目指したい。ってか、そもそも今は工場になーんにも残っていないからゼロベースで自分ができることから始めたい。その「時」に向けて覚悟も携えて来年度を迎えたい。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?