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静寂は望みと共に


東急田園都市線、と言うらしい。
そんな、なんとなくハイソが香る名前の電車。残念ながら全く縁もゆかりもない人生である。

それがなかなか、どうしてこうして。
ひょんなことで渋谷(これも別の意味で縁のない)から件の沿線の列車に乗り込み、
珍しい用事から解放されたのは、昼を少し回った頃だった。

このまま帰宅しても良いけれど、せっかく無い機会だし、どこかに寄りたいような、帰りたいような。
なんて、途方に暮れる視界に飛び込んできた案内板。初めての、それでいて見かけた記憶のある名前。

そうだ、ここに行ってみよう。
用賀の上品な街並みと、砧公園の木陰道を通り抜けた先。木々のざわめきの向こう。


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世田谷美術館。
物静かで、それでいてどこか可愛らしい表情が、
木漏れ日とともに私を迎えた。


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SNSで話題になっていて、気になってはいたのだ。


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「作品のない展示室」
それが今回の展示会の冠する題。
このところの時勢で展示会予定が中止に追い込まれてしまい、
ならば、と、その建築、展示室そのものにスポットを当てた、非常に意欲的な催しである。

——なんて我知り顔で書き連ねたけれど、
私自身は建築に明るいなんてことは全く無くて。
なんとなくで巡った美術館の数だけが積み重なり、
今では内容も理解できない解説文を、小難しい顔で眺める演技だけが上手になってしまう有様。

まぁ芸術なんて、そのくらい気楽に見るくらいが丁度良いよね。
虚空への言い訳を並べながら入り口で検温を受け、
受付のお姉さんに案内されるがまま、進んだ角を曲がった先、


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わぉ、と思わず声が漏れた。
ちょっと、これは反則じゃないか。めちゃくちゃ好み。
一巡りしてのちに分かったのは、
この建物、徹頭徹尾、完全に好みだった(語彙力)。

印象的なコンクリートをはじめ、建物を構成する素材は比較的、硬いイメージのものが多いようだ。
その実どこか暖かく、居心地の良い造り。
そこかしこで景色を大きく映すガラス窓や、展示室の高く取られた天井、
彼らがその雰囲気に一役買っている部分も、少なからずあるのだと思う。

世田谷という土地柄もあって、
芸術というひとつの文化に、町自体が近しいところもあるそうだ。
そんな風土と人々に、寄り添う存在としての美術館。

なるほど。
洒落っ気がありながら気取らない、
この空気はきっと、そんな歴史が築き上げたものなのだろう。


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がらんどう、というのはある意味での迫力があって、
そこにあるべきもの、あるはずだったものがないという違和感は、
無という存在になって私たちに強く、訴えかけてくる。


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廻り終わってみれば本当に小さな建物で、
ミュージアムコレクションを眺めた時間を合わせても、わずか2時間足らずの行程だった。

静けさに包まれた展示室に、掲げられた1枚の解説。
そこには、この時期に本来開かれるはずだった展覧会の、その準備は既に完了していたこと。それを世情に鑑み中止したこと。その無念が綴られていた。

素人たる自分にはその感情を、
本当の意味で測り知ることなんてとてもできないのだと思う。

私が知り得るのは、
それでも、それでも前向きに進む意志が作り上げた、静寂の芸術。
歩みを止めずにいてくださった方々の尽力の先に、この凛とした景色が在るのだ。

願わくば、そう。
次の機会には、何気ない賑わいと共に在るこの場所に訪れてみたい。当たり前の日常に佇むこの建物を知りたい。

そんな明日が、いつの日か来ることを祈って。


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希望を繋ぐ静寂が、
ただ、そこに在った。




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