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Ice Age Generation (3)〜時代のせいか、お前のせいか〜

* 本編は、就職氷河期世代を考察するシリーズ『Ice Age Generation』()()の続きです。


「時代のせいにするな。お前の努力が足りなかっただけだろう」

と言い返されて傷つくくらいなら、何も言わずに耐えているいる方がマシだ。そう思って無言を貫いてきた氷河期世代は多い。

確かに、氷河期世代であっても就職できた人はいた、というのは事実である。同世代の中に就職できた人がいた以上、うまくいかなかったのは単に本人の努力や実力が不足していたからではないか、という声は、特定の世代だからと言って避けられるものではない。またそうした声を内面化し、自分を責めてきた人も多い。

自分の惨めな現状を認めるのは辛い。だからこのどん底の世代には、なんでもない振りをして耐えてきた人がとても多い。世代全体としてもお金がなく、地位も低く、生活も不安定な上に自信もないため、自己主張もあまりしない。新自由主義の台頭と就職難が重なったという時代背景もあり、自己責任という言葉を最悪のタイミングで突きつけられた世代でもある。そもそも、みんな今日を生き延びるのに精一杯すぎて周りを気にかける余裕がなく、ただただ疲れ果ててしまっている。そうしてただひっそりと生きているという特徴がある。そして時々、なんでもない振りをし続けられなくなった誰かが自爆テロを起こし、「またあの世代か」と言われてきたのが氷河期世代なのである。

では本当に、この世代で底辺に落ちた人々の不幸は、本人の努力と実力が足りなかったせいなのか。時代に原因を求めるのは間違っているのだろうか。

私自身は1979年生まれの氷河期「どん底」世代の一人であるが、自分の周辺を見回しただけでは、必ずしも悲惨な状況は見えてこない。私は地方の出身だが県立の進学校に通っていたため、同級生の多くは教員などの公務員になった。医師、弁護士、薬剤師などの国家資格を取った人や、地方銀行など堅い仕事に就いた人も多かった。そのため就職状況が極端に悪かったという印象はない。

また、社会人になってから取り引きのあった出版・メディア業界は、華やかな社会的強者の集まりであるが故に、お金も自信もなくひっそりと生きているよう人は、世代に関係なく視界には入ってこなかった。だいたい、私が取り引をしていた人たちは、結果として「就職できた」からそこにいたのであって、できなかった人たちを目にするはずがないのである。

ただ、そうした社会の一部分だけを切り取ってきて、頑張れば就職できたのではないか?などと言うつもりは全くない。この世代が直面した雇用情勢の厳しさは、一部の恵まれた人たちが繕ってきた表層からは到底推し測ることなどできないほど深刻だったと私は想像しているからだ。

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