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肩書きそのものが持つ権力を自覚しておきたい

どんなに対等に接することを心がけたとしても、「医者」「社長」「役員」「教授」など、その人についている肩書きや立場は関係性を築くにあたり大きな影響を及ぼす。そして一方間違えるとすぐに主従関係や支配関係になる。

対人支援をしていると、それを認識しなければならない、と思う場面に多くぶち当たる。

どんなに気をつけようと、肩書きや立場の印象で人は見るし接する。「対等です」と言葉で言っても意味ないし、「なんでも言って」と言っても言いづらい。

もちろん例えば一対一の人間として接する中で人によっては、もしくは関係性によっては、肩書きは無意味なものになることもたくさんある。

が、それが仕事であり肩書きを立場を前提とした仕事である以上、どんなに頑張っても構造的に完全に対等にはなり得ない。

一方で、対人支援においては被支援者が不安なことを言えたり、支援者に疑問をぶつけたり、支援者のアプローチに違和感を感じた時に伝えられる関係性を築けることがとても大切。でもこれは超難しい。上司と部下の関係性もそうかも。「なんでも言ってね」と上司に言われても言いづらいものなんだろう。

たとえば、よく出くわすのは、「お医者さんにこう言われて...私はよくわからなかったのですが質問しづらくて」という声や、大学教授のインクルーシブ教育に関する非インクルーシブな研修にそれへの違和感を伝えられない場面。あとは、私が学校で働いている時にあった、学校に医師が巡回指導員として訪問し、医学モデル的な(服薬させたらいいんじゃない?)アプローチのみを学校に伝えて「医師の言うことは絶対!」と先生方がそのまま受け取ってしまう場面。そもそもそれぞれの専門性は違うし違って良いのに、「大学教授」や「医師」という肩書きで、「それは絶対」と思い込んでしまう。

もちろん、それを自覚することは大事。
一方で無意識に築いてしまいがちな主従関係や支配関係を少しほぐして適度な距離で最大限「なんでも話して大丈夫」な環境をつくるための手立てがオープンダイアローグ なのだな、と最近実感している。
人が自覚することに依存するのではなくて、自覚を促したり、自覚がなくても主従関係に陥らない仕組み。これ、考えたい。

しんどい状況にある人に「助けてほしいときはそう言って」と伝えてもいいづらいし、相手に大層な肩書きや立場があればなおさら言いづらい。そんな時に「助けが必要なときは言ってと言ったのに逃げなかったりSOSを求めなかったあの人が悪い」と言う風には私は思いたくないし絶対にそうありたくない。誰に対しても。これを忘れないでおこう。

写真はばあちゃん(96)の塗り絵作品。

#対人支援 #福祉 #障害 #関係性 #コラム #日記




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