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サバイバー

物心がついてから長いこと、生きづらくて仕方なかった。10代の終わりから30代にかけてはずっと鬱々としていてしぬことばかり考えていたし、実際に薬を飲みすぎて病院に運ばれたこともあった。
育ってきた家庭環境は金銭的にはそれなりに恵まれていたものの、仕事が忙しく休日しか家にいない父親はアスペルガー、専業主婦だった母親は過干渉、戦時中に全盲になった厳しい祖母が同居、しかも近くに堅苦しい価値観を振りかざした年寄りの親せきが何人も住んでいるという最悪の環境。幸いなことに大学時代に実家を離れることができたからなんとか生き延びられたようなものの、あのまま実家にいたら破滅の道しかなかったと思う。

紆余曲折あってようやく実家を離れられたのが18歳のときで、でもそこからようやくよちよち歩きを始めた私の人生はもうすでに手遅れのことも多かった。祝実家卒業の18年間と同じぶんだけ回復の道のりもかかって、36歳ぐらいになるまで自分の意思が本当はどれなのかもわからなくなったりした。

親元を離れてから自我と自分の価値観というものを探し始めたわたしは、まずは自分が生きている”世の中”というものを知ろうとした。わたしの”世の中”に対する価値観の70%は親がわたしに刷り込んできた思い込みの価値観でしかなかったのだ。物事を調べるという発想がなく、偏った強い思い込みでありとあらゆることを干渉してきたわたしの親は、独特に歪んだ価値観でわたしたち子どもを育ててくれた気がする。おかげで社会に放たれてからはずいぶんと自分の考え方と世間のズレの大きさに悩まされたものだった。

生きづらさを抱えて当然のように鬱になり、それがどんどん重くなって引きこもりにもなったしパニック障害にもなった。付き合ってきた彼氏たちには激しく依存しまくってきたし、仕事も長続きしたことがないし、人生とは底に落ちてから這い上がるまでの道のりただそれだけなんじゃないかと本気で思っていた時期もある。

そんなわたしがなんとか社会復帰できて、しかも結婚して今は子どもまで育てられているのはもうただシンプルに、今の夫との出会いがあったからだ。

関西で一番の大学を出るぐらいの勤勉さを持っている夫はやはり複雑な家庭環境をバックグラウンドに持っていたが、真っ当で健全な価値観と考え方を持っている人だった。わたしはそれをロールモデルにして自分を再構築しようとしてきた。その健全な考え方はわたしを癒し、諭して、高みに押し上げてくれた。

それはとてもシンプルなものばかりだった。「人の目を気にしなくてもいい。よそはよそ、自分は自分だから」「大事なことは目の前の物事を大事にし、それをしっかりとこなしていくこと」余計なものがいっぱいついた価値観で生きていた自分は目からうろこがぽろぽろ落ちた。世間体を気にしてか人とよく比べられてきたので、つい人と比べてしまって人並みにできない自分に失望し、卑下してきた。その考え方を修正できるまでの道のりは本当に長かった。

40歳も過ぎる頃になるまで鬱との共生は続いた。アラフィフの今になってようやくもう鬱ではないと言える。子育てで一番に気を付けていることは親の呪いを子どもにかけないこと。それだけは本当に、念を入れてやっている。

出会いとか運とか縁とかいうのは本当にすごくて理屈では説明できない。自分が生きていて、出会える人と一生出会えない人がいるのはなぜなんだろう。その偶然の産物は個人の運命を左右しすぎるけれど、わたしが今、生き残っているのもその偶然のおかげかと思うと人生結構綱渡りである。