死に際じゃなかった。。
少し前の話ですが、祖母を亡くしました。
最後は施設に入っていましたが、老衰でした。
老衰だったので、少ーしずつ弱っていきました。
それでも意識はしっかりあるし、痴呆も軽かったので家族の事ははっきりわかっていました。
まとめ---------------------------
最期に会うだけじゃなくて、元気なうちに会っておこう
伝えたいことは、伝わるうちに伝えていこう
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もうそろそろかも、、
少しずつ弱っていったおばあちゃん。
もう長くないかも、、、って時にみんなで順番に会いに行きました。
遠方に住む子供、孫も、近隣に住む子供、孫も。
おばあちゃんはしゃべる事は出来なかったけど、横で世間話をしたり手を握ったりして、最後は「また会いに来るね~」と別れました。
当時はコロナ渦でしたが、少し落ち着いているときでした。
最後にみんなに会えてよかったなーと思ってました。
でも、私の番が回って来て会いに行ったとき、
あ、しまった、、今じゃなかった、、、と思いました。
この時間、元気いっぱいの時に作っとくんだった
もちろんおばあちゃんは、みんなが会いに来てくれて嬉しかったと思います。
でもみんなが会いに行ったときは、
座ることもままならないし、みんなの会話の輪に入る事も出来ない。
元気な時にこの時間確保しとくべきだった、、
そう思いました。
老衰で亡くなったのだから、先は見えていたんです。
もう10年後はいないんだろうな、5年後は元気かな。
そんな意識をし始めた段階で、
元気なうちにこの楽しい時間を作っとくべきだったと。
遠方にいる私の従妹(おばあちゃんの初孫)も、お願いして来てもらえばよかったと。
施設に入っているとは言え、一人でサポートをしている母(おばあちゃんにとってのわが子)を、もっと助けるべきだったと。
そしたら、おばあちゃんは
「嬉しい」だけじゃなく、「楽しい」という気持ちを持てたはずだと。
いよいよ最期に会いに行っても、一緒に楽しむ事って限られてくるんですよね。
あー、今じゃなかったよね、ごめんねー気づかなくて。
と手を握ってテレパシーを送りました。
久しぶりに握る祖母の手は細くて昔と変わらず冷たくて、すべすべでした笑
(きれいな手をしていました^^)
会いに行くのは元気なうちに
「親孝行、したいときに親はなし」
こんな有名な言葉があるくらいだから、きっと体験しないとわからないんですよね、この類の後悔って。
最期だから会いに行こうって当たり前に思う事だけど、
最期はまだまだ先だから、会いに行こうって
なかなかならないですよね。
でも、もし私の話を聞いて
「あ、今会いに行こう」
と思う人がいたら、その人の後悔はすこしだけ軽くなるんじゃないかなと思います。
会うのは元気なうちに、伝えるのは伝わるうちに、
わかっちゃいるけど、なかなかね
ここまで語っといて、何ちゅーまとめ方じゃい!と突っ込まれそうですが、これが本音じゃないですかね^^
みんな日々忙しくしてますから。
でも少し意識すると、普段の行動が変わってくるかもなーと思ってます^^
会っとかないと!と思った人はいますか?^^
最期まで読んでいただきありがとうございました♪
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