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きょうだい会#06(20240114)

自分語りの成功体験、失敗体験

これまで、開かれた対話への第一歩、などとお話ししてきました。

まず、「自分の内面を打ち明ける」
そして、「相手から反応を聞く」

という双方向のやりとりから、自分が気づかなかったことを発見することがあります。

◼️対話の「構え」
とてもシンプルなことなのですが、我が家の場合は、なかなか会話も噛み合わず、さらに自分の内面を打ち明けるということなど到底できませんでした。いま思うと、父と母が兄に寄り添い、私は家族と距離を置いてしまったことにも原因があると思います。

物事に取り組む時には、「構え」というのがありますが、わたしの場合は、そもそも「対話の構え」が身に付いていなかったのかもしれません。
まずもって、自分の内面に向かうという習慣がなかったのです。自分の弱さや卑屈さが邪魔をしていたのか、とにかくいつも自分を忙しくしていたのです。

母の晩年も、「多乃は仕事があるから…」と私に気を遣い、最期まで自分で食事の支度をしていました。娘はいつもピリピリと神経が張りつめていて、まったく頼り甲斐がなかったのでしょう。遊んでいるけど、遊びがない。

◼️自分の内面に向かう
昨秋から実家でひとり暮らしをしていますが、ここ数年のストレスから解放されて、しばし放心状態になっています。年末に風邪を引いた時は、元々虚弱体質なので、このまま野垂れ死ぬとヤバいな…と実感しました。

きょうだい会で自分語りを始め、みなさんの自分語りもお伺いしながら、あらためて自分自身のこころの歪みのようなものが見えてくるような気もします。まだ上手く言葉では伝えられないのですが、その歪みは確かに感じるのです。

これまでであれば、また習い事などを始めて忙しくしてしまうのですが、いまはあえて「何もしない」時間を大事にしようと思っています。そして、自分の内に向かってみようと試みるのです。

そうすると、静かに時が流れていることに気がついたりもします。

◼️自分語りは、土つくり(?)
昨秋、兄は実家をきれいに整理してグループホームに引っ越しました。何か引き継ぐことはないかと尋ねたら、「庭のプランターで堆肥を作っているから、適当に水を注いでかき混ぜておいて」と言われました。

それから私は、思い出すたびに、プランターの堆肥をかき混ぜていました。お正月に兄が実家に戻ってきたので、「堆肥がいい感じになってきたよ」と報告しました。兄は庭に出て、真っ黒に発酵した堆肥をかき混ぜながら、「じゃ、玄関の脇の植木のところに撒いておいてね」と言い残して帰っていきました。

兄は時おり、「土つくりを始めたら、土の中は、人間のおなか(腸)の中と同じことが起こっていることが分かった」と言っていました。慢性便秘(失礼!)の私なので、もう少し土をかき混ぜながら、あやかってみようと思います。

きっと自分語りも、何度も何度も繰り返しているうちに、「なんか、いい感じになってきた」と思う瞬間が来るような気がします。だから、何度も成功したり、失敗したりの体験をみんなで共有できるといいな、と思っています。

とりとめない話しになりましたが、
今年も一年よろしくお願いします。

秋野多乃へのサポートをお願いします。ココロが豊かになるような言葉を紡いでいきます。