界のカケラ 〜114〜

 ゆいちゃんと別れても悲しい気持ちではなかった。きっとすぐに会えると思ったからだ。

 掛け布団に頭をうずめていた私は、その状態で目の前にいる二人を見た。私の方を見ていなかったのが幸いで、二人とも下を向き合って無言の会話をしているようだった。

 ゆいちゃんと話した内容を教えてはいけないから、この二人と関わるのはこれが最後になるかもしれない。今の様子を見ている限りでは、もう心の傷も綺麗に縫われて治りかけている。まだまだ時間は必要だろうが、病院でできることはない。後は日常生活の中で、楓さんがお義母さんに頼ることをしていく訓練をしていけば彼女は立ち直れる。それと同時にお義母さんも救われていくだろう。

「今のお二人は本当の家族のように見えますよ」

 二人の様子に安心したのか、急に言葉が出てきた。考えてもいなかった言葉に私は戸惑った。

「ありがとうございます」

 二人とも息があったように同時に声が重なっていた。

「楓さん、今もあの時のように死にたいという気持ちはありますか?」

「いいえ。そんな気持ちはもうありません。
 だって、こんなにも私を思ってくれるお義母さんがいますから。それにこんな私にお節介を焼いてくれた先生がいますからね。そのおかげで私はようやく生きたいとまた思えるようになりました。

 きっと、自宅での不思議なことや先生との繋がり、この場があるのは主人と息子のおかげかもしれません。だからいつまでも悲しんでいてはダメだよって言っている気がします」

「そうですね。私もそう思います。
 これからは亡くなった二人のためにも、自分のためにも命が続く限り前を向いて生きていってください」

「はい。わかりました。
 四条先生、ありがとうございました」

 楓さんとお義母さんは椅子から立ち上がって、深々とお辞儀をした。その光景に私は涙が抑えられそうになかった。

「な、なんで先生が泣いているんですか?!」

 慌てた様子で二人が駆け寄ってきたが、本当のことを話せないことが、こんなにももどかしくて、悔しいものなのか。話したいけれど話せないゆいちゃんの気持ちは、きっとこんな気持ちだったのだろう。その気持ちを思うと、余計に涙が溢れてきて止めどなく溢れてきてしまった。

「すみま…… せん……
 楓さんが見違えるように前向きになっている姿を見たら、自然と涙が出てきてしまって……」

 感情が高ぶっていても、本当のことを話さないように気をつければ気をつけるほど、感情が生まれ続けてしまっていた。

「先生がいてくれたからです。

 先生を怪我させたあの日から噂が広まって、他の患者さんは怖がって話かけてくれませんし、お医者さんや看護師さんもビクビクして緊張しているのがわかりました。それらが毎日続いて、次第にどんどん気持ちが落ち込んでいきました。

 自分で蒔いた種とはいえ、誰も私のことを思ってくれないという気持ちが強くなって、自分でもどうしようもないくらい衝動的に騒いで暴れたくなっていました。それが今朝でした。

 先生が来てくれたときは驚きました。きっと怒りにきたのだろうと。でも立場上無理だから文句や皮肉を言われるのだろうと。だからそのタイミングで暴れるのもいいかと考えていました。

 でも、先生は怒らないで文句も言わずに私をまっすぐ見て、傷の具合と私の心配をしてくれました。私は戸惑いましたけど、嬉しかった……

 話を聞かれないために自分の部屋に無理やりにでも連れてきてもらえたこと。
 先生と話をして好きなお菓子が一緒だったこと。
 お互いの今まで経験してきたことを共有できたこと。
 お義母さんがここまで来てくれて、あの時の話を聞けたこと。

 全て先生が私のことを思ってやってくれたから、ようやく私は生きていこうと思えたんです。だから全部、先生のおかげです」

「そう言われちゃうと、もっと涙が出てきちゃうじゃないですか……」

「四条先生、私も同じ気持ちです。

 先生がご自分の部屋に楓さんを連れてきてくれなかったら、あの日のことを楓さんに話すことが出来ませんでした。この三人でいられる空間があったから話せたのです。

 きっと…… いえ。私と楓さんの二人だけなら話せなかったはずです。私たち家族のためにありがとうございました。先生は私たち家族にとってかけがえのない名医です」

「お義母様まで……」

「四条先生、私が退院するまで、退院して傷が完全に治るときまで主治医でいてくれませんか? 先生に怪我をさせてしまった私が言うのもおかしなことですが、先生に任せたいのです。
 ご迷惑でしょうか……」

「もちろんです! 最後まで私が責任を持って担当いたします。もうすぐ復帰できると思うので、それまでは他の先生ですが、復帰したら私が担当するように話を通しておきますね」

「ありがとうございます」

 笑顔でしっかりとお礼を伝えてきた楓さんは、もう何の心配もないように見えた。

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