夏

とうとう

 忘れられない光がある。

 工場は暗い。日が入ると紙が痛むのだという。
 師匠も暗い。というより、無口だ。静かに竹を削り、紙を張り、筆を滑らせる。彫り物のように皺の深い老人が、暗い部屋でそうしているのは不気味だった。
 火を灯さないんですか。何度か聞いた。幾度目かで忍び寄る影のような、低い声が答えた。「軽々しく言うんじゃねえ」
 思い出して、割竹を曲げていた手を止める。
 祭りの夜が近い。師匠の言った期限だ。「夏になっても作りてぇなら、きっちり仕込んでやる」
 積まれた提灯を見る。折りたたまれて煎餅のようだ。では膨れれば違うかと上を見る。絵付けが終わって乾かされている提灯は、ほの暗い天井で雲のように微かに揺れている。雨雲だ。気分は雨に降られた時とよく似ている。情けなく、腹立たしく、無力だ。
 雲の下から抜け出るより、他にはないように思えた。

 祭りの前夜。あっちにこれをそっちにあれを。馬鹿野郎手荒にすんじゃねえ。急げ間に合わないだろうが。へろへろになりながら師匠の指示に従う。いつも泥のようにじっと作業するばかりなのに、師匠はシャカシャカとよく動いた。
 やっと終わったときには風が少し涼しくなっていた。どんどん太陽が逃げていく。
「おう、お疲れ。よく働いたな」
 師匠が笑っていた。
「俺は祭りが好きでね。提灯が一番になる」
 一番最後の夕暮れが消える。師匠が上を向いた。
 ぽぅ、ぽぅ、ぽぅ。
 光の灯された提灯が順繰りに姿を現した。
 光が揺れる。影が濃くなる。明るい。暗い。美しい。

 忘れられない光がある。頬を照らした、忘れようもなく美しい灯り。

 雲が晴れれば、射すのは光だと、その時ようやく気が付いた。



お題写真選出 みそら

お題写真 mochi http://www.photo-ac.com/main/detail/492786?title=%E6%8F%90%E7%81%AF%E3%80%80%E8%8A%B1%E6%9F%84&selected_size=s