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先生 #SS

 年末。ANAホテルにて短歌結社「青桐」の忘年会が開催されていた。晴れやかな場が苦手な奥本誠一であったが、憧れの歌人、新見稔とどうしても話したくて、残り少ない貯金を崩して出席したのであった。
 スピーチが延々と続く。大広間の最後列にいた誠一はそっと会場を出た。と、ロビーで新見稔と花城こんぱすが談笑していた。
 一年前、毎読新聞で読んだ新見の短歌に感動した。短歌にさほど関心のなかった誠一だったが、魂を救われたと思った。歌壇欄で選者を務める新見に短歌を送ってみたところ、ほどなく佳作として掲載された。誠一はすぐさま新見の所属する青桐に入会したのだった。
 新見稔に御挨拶申し上げたいが、話の腰を折るわけにはいかない。目礼し通り過ぎようとすると、
「ああ、奥本くん」
 僕の顔を知ってくださっているのか。有頂天になった。
「新見先生、お声がけ頂き光栄です。青桐でも毎読新聞でもたびたび採用と評を賜り、ありがとうございます! 来年もどうぞよろしくお願い致します」
 興奮し、意気盛んに述べたてた。新見のにこにこ顔の横で、花城こんぱすが無表情に立っている。ネットや雑誌で何度も見た、俳優のように整った顔だ。
「花城先生、先日週刊春潮で拝読した連作は言葉の組み方がすばらしくて、感動しました」
 それはどうも、と花城が軽く会釈し、スピーチの準備があるのでと去っていった。

 新見が誠一に向き直った。
「花城くんは先生と呼ばれるのが苦手なんだ」
「えっ、そうなんですか」
 青桐の先輩にはみな、敬意を表して先生と呼ぶのが誠一の癖になっていた。
「まあ、会員のほとんどが年上だからね。だけど先生と呼ばれるのを嫌がるのは、敬称に、つまり上下にこだわっている証拠なんだよね」
 返答に困り、誠一はぎこちなく笑った。新見の表情がそれまでの柔和な笑顔から、急に厳しい顔つきに変わった。
「僕はね、君の才能は花城くんに引けを取っていない、いや、彼以上だと思っている」
 思いもかけない言葉にかたまった。
「花城くんの歌はどこまでも平明で陽性で、大衆受けするんだな。それが彼の成功に繋がっているわけだけど、僕は、どこか企業のコピー文句のように感じてしまう」
 誠一はビールのCMで平安の公達衣装に身を包み、自作の短歌を朗詠しながら缶ビールをおいしそうに飲んでいる花城こんぱすの破顔を思い浮かべた。

おいしさはァ、低温焙燥花の香のお~~っ、
君と飲みたい花金曜日ィィ~~~っ!
桜ほのかに香る生・〈花金〉誕生!!


「それに引き換え、君の歌には闇がある。誰しもが拭うに拭い得ぬ苦悩がある。どんなに楽しげな内容であってもね。それが僕を惹きつけてやまない。世に広く知られるべきなのは、君の方なんだよ」
 ネットの巨大掲示板で読んだ、新見稔と花城こんぱすが不仲というのは本当なのか。いいや、新見が花城を一方的に嫌っているらしいというのは。芸術選奨文部科学大臣賞をふたりで争い、結果、敗北した新見が花城を恨んでいるという噂は。   
 ついさっき、仲良さげに談笑していたのだが……。
「ときに奥本くん。来月締め切りの短歌探求新人賞の歌稿は進んでいるのかね」
「はっ……、五十首ほどできていまして、いま、どれを残そうか思案中です」
「よければ僕が見てあげようか」
 誠一はうろたえた。短歌探求新人賞三十首。著名歌人への登竜門であるこの賞は、佳作以降の応募作を五名の歌人が選考する。新見稔はその一人である。当然、応募前の歌稿を新見に見せるのはご法度だ。
 しかし。
「なあに、がをはに直すとか、その程度だ。こんなことは皆やっているのだよ。君はこの世界が浅いから知らないかもしれないけど」
 不正はしたくない。でも、新見は僕を花城以上の才能と言ってくれているのだ。同じ二十七歳。歌壇、いや、文壇のエースであり、出す歌集やエッセイが次々話題になる花城こんぱす。かたや、パワハラに遭い失職中の自分。
 どうしても世に出たい。自分を虐げた奴らに復讐したい。それは毎日部屋の隅でつぶやいている呪文ではないか。

 誠一は新見に歌稿を送った。ほどなく手直しされた歌稿が返ってきた。「がをはに」どころか固有名詞や一首ごとまるまる変わっている個所もあったが、見違えるほど良くなっていた。さすが新見稔と思った。
 直された歌稿で応募し、半年後。短歌探求の発売日の朝、誠一は書店に走った。胸を躍らせて結果発表ページを開いた。
 誠一の「慟哭」は佳作止まりだった。新見の票は最終選考に残った二十名のうち、青桐の若手会員二人に入っていた。
 誠一は青桐を辞めた。いまはツイッターで歌を発表している。辛辣なコメントも頂戴するけれど、それも含めて仲間と詠みあい、切磋琢磨するのが生きる糧となっている。
 あまたの歌、雲間から差し込む光、花水木をわたる風。それらがすべて学びの師と、誠一には思える。