だんじりまで #SS
松田建設の社長が会長に退き、社長に就くために息子が和歌山から大阪に戻ってくる。そう聞いた時から立川裕司の胸は晴れない。
息子の松田孝之は松田建設の和歌山支部の営業部長で、裕司と同い年だ。右足が悪く杖が手放せない体だが、豪放磊落で面倒見のよい性格ゆえ、多くの社員から慕われている。そう、店に来る客から何度か聞いた。
そうやろうな。僕にとっても孝ちゃんは、そんな子やったもの。
あの日までは。
毎年初夏に行われる町のだんじり祭り。松田建設は長年ボランティアで祭りの設営を受け持っている。町長選に打って出るつもりやから社長はそうやって恩を売ってるのや。そう陰口を叩く者がいるが、そうではない。社長の松田行彦は純粋に、町民の楽しみの手助けをするのが嬉しいのである。
小学校入学時に同じクラスになってから、裕司は孝之とうまが合った。孝之の家でファミコンをして遊んだり、立川弁当店のおかずを二人でつまみ食いして叱られたり。大人しい裕司が担任に長時間叱られているのを、孝之が食ってかかり助けたこともある。
小学五年の五月。裕司と孝之は連れ立って祭り会場まで走った。朝から子供だんじりを曳く練習が始まる。屋根に乗り、団扇を使って進行の指示を出す大工方は通常は複数人だが、子供だんじりは小型なので一人。そして今年は孝之が務めるのだ。
「そーりゃ、そーりゃ!」
孝之の威勢のよい掛け声が響く。かけっこに自信がなく、いつもは見ているだけの裕司だが、今年は孝之が乗っているからと綱元に加わった。だんじりの手前の曳き手である。最初は張り切って曳いていた裕司だったが、次第に周りから遅れてゆく。息が切れる。しんどい……。
だんじりが猛スピードでたばこ屋の角を曲がった。裕司がよろけたはずみでだんじりが大きく傾いた。孝之が落下し、置き石に右足を強く打ちつけた。
彼の足は元に戻らなかった。松田行彦の前で裕司と両親は土下座し、床に頭をすりつけて詫びた。
「立川さん、頭上げてくれなはれ。あんばい監督してなかった大人の責任や」
事故は示談となった。治療費用の申し出を松田は断り、これまでと変わりなく社員の弁当を立川弁当店に発注してくれた。裕司の両親は、松田建設宛の弁当は赤字になるのも構わず豪華なおかずを入れた。
孝之の容態が落ち着いた頃、級友と共に裕司は見舞いに行った。本当はもっと早く一人で行き、謝りたかったのだが、孝之の精神状態が安定していないとのことで面会が許されなかったのだ。
「孝ちゃん、ごめんなさい……」
級友と楽しそうに話す孝之に近づき、震える声でそう告げるが、孝之はこちらを見ない。面会中、一度も裕司を見なかった。明らかに彼を避けていた。
孝ちゃんは僕を許していない。
半年後、退院した孝之は車椅子で通学した。
教室の一番前の席に孝之がいる。事故前と変わらず明るい彼の周りには常に級友が集まり、花が咲いたようだ。しかし裕司は近づけない。廊下ですれちがう時も、孝之は裕司には一瞥もくれない。
卒業後、孝之は中高一貫の私立に進んだ。遠いため親戚の家から通うとのことで、町を去っていった。だが孝之の姿はいつまでも裕司の胸から消えなかった。リトルリーグで投げていた姿。甲子園に出て野球選手になるねん、と言っていた孝之。
あれから四十一年が過ぎた。裕司は結婚し、二人の子供を持った。亡くなった父親の後を継ぎ、立川弁当店を切り盛りしている。だがコンビニやスーパーの弁当に押され、年々売り上げは下がる一方だ。店を閉めて近所のスーパーの調理場で働こうかと、最近考えている。
夕方、裕司が唐揚げの下味の汁を作っていると、引き戸ががらがらと開いた。
「立川さん。来月のだんじりのスタッフ用の弁当を二百食、お願いできますか」
手に持った杖。眉の濃い、きかん気の強そうな面立ち。
「孝ちゃん……」
裕司から目を逸らしたまま孝之が続けた。
「お前を許したわけやないで。親父の代からお前のとこの弁当使わせてもらってるから。それだけや」
「うん、うん……」
裕司はあふれる涙を隠しもせず、孝之に笑いかけた。その顔をみて孝之も言葉に詰まり、その場に突っ立った。だまったまま、見つめ合った。二人の間に四十一年の月日が一瞬で流れ、去っていった。
柱時計が五時を告げた。傾いた夕日が壁の古ぼけたポスターを照らした。じゃあ弁当たのんだで、と言い残し、杖をつきながらよろよろと孝之は店を出ていった。