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人間万事塞翁が馬−16

ペットと人間

 愛犬、バズが教えてくれたこと。

2019年10月28日14時50分、16年間、私たち家族と時間を共にしてくれた愛犬のボストンテリア「バズ」がその生涯を閉じた。

その前年6月1日、ハワイ島での交通事故で私の妻が亡くなり、私自身も負傷してしまった関係で、止む無く愛犬を次女の家に預け、世話してもらっていたのである。

彼が亡くなった10月28日の朝、次女から、「昨夜からバズの状態が悪いので会いに来たほうがいい」という電話があった。

早速、横浜の次女宅を訪問したが、彼は、ベットに横たわり、目を閉じたまま息絶え絶えの状態であった。

私は、彼を抱いて「長い間、ありがとう。お疲れさまでした。」と何度も何度も言い続けたところ、一瞬であったが、彼が目を開けて私をじっと見つめてくれた。

次女が「パパだとわかったのよ」と言ってくれたが、その直後、事切れてしまった。

私も次女も孫も皆で彼の遺体を取り囲み涙した。

今思い出してもとても辛く悲しい時間であった。

しかし、考えてみれば、死に際に立ち会えたことがせめてもの救いであったかもしれない。

分骨した彼の骨壺と遺影は、私の自宅の仏壇に私の妻の骨壺、遺影と共に並んでいる。

朝晩、焼香しながら、16年という時間を一緒に過ごしてくれこと、そして私と家族に幸せを与えてくれたことへのお礼を伝えている。

時折、知り合いに「ペットのことを大事にしてくれる飼い主に飼われたペットは幸せだよ」と言われたが、私は、未だに、その言に「本当にそうだろうか?」と、思ってしまうのである。

それは、ペットを飼っている人間側の論理のように思えてならないのである。

何故なら、ペットであるバズに慕われた我々は、16年間にわたって彼から、それ以上にもっともっと幸せなものを与えてもらっていたからである。

例えば、けなげさ、純粋さ、一途さ等、我々人間が既にどこかに置き忘れてしまったものを日々、教えてもらっていた。

幸せな時間をもらったのは間違いなく、飼い主である我々の方である。

そう考えると、愛犬バズは、「16年間、我々を幸せにするために飼い主である我々と出会ったのかもしれない」と思えてならないのである。

私たち人間は、動物の一種であるが、明らかに他の動物とは違うと言われている。

それは、知能の高さが、傑出している点であるといわれてきた。

しかし、それ故に、人間は、他人を中傷したり、傷つけたり、悲しませたり、裏切ったり等日常茶飯事にある行動が、ペットには一切見受けられない。

動物として、どちらが優れているのかは何とも言えない。

他の動物よりも優れているという考えは、すべからく、我々、人間側の論理でしかないのではないだろうか。

新型コロナウィルスの感染拡大に揺れる今、もし、われわれ人間が新たな価値観をもって生きなければならないとすれば、我々、人間側の論理ではなく、自然環境や動植物等の全てと共生していくためにという前提に立って考える必要があるのではないだろうか。

利便性や効率性等など、すべからく、人間側の論理だけで生きてきたことが、今、この事態を招来しているように思えてならないのだが。


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