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蜃気楼の見る夢

最近の世の中は色々と立ち止まらないといけない日々が続く。それでも自分にはどこか縁のない話だと思っていた。音楽ライブは今まで一度も行ったことがないし、映画館はテレビやDVDで済ませてしまうし、カラオケやゲームセンターはあまり好きじゃないし。

エンタメが規制されても自分にはさほど変化がなくて、元々、ネット上で完結する言葉のお仕事を続けてきたから、なおさら外界との隔たりが大きくなっていたのもある。けれど、最近とても心に波風が立つことが起こった。

1週間前、本当は高校の演劇発表会があった。あるはずだった。そこでは自分の脚本を使って上演する予定だった。数ヶ月前から演劇部の生徒さん達と何度も、何度も、何度も何度も何度も話し合って、柄にもなくリモートで演出家もどきをやらせてもらう。

自分の脚本の中でも感情表現が難しいお話だったから最初はとても苦労していたし、実際、高校生には苦労させてやろうという気持ちで書いた意地悪な脚本だ。何人かで集まって練習するのも厳しい状況で、よくここまで。と最後には思えるくらい素敵な表現力になった。

なったって言い方はよくないのかもしれない。生徒さん達が最初から持っていた感性を、ようやく自分達「観客側」が受け取れるようになっただけの話だ。いざ、幕が上がる。そんなときに演劇発表会中止のお知らせ。延期ではなく、中止。中止中止中止。

顧問の人の話だと泣いた子も怒った子も演劇部を辞めてしまった子もいるらしい。3年生にとっては最後の上演だったから余計に、余計にというかもう当たり前の感情なのかも。ごめんなって気持ちでいっぱいで、いや、別に誰が悪いとかの話ではなくて、誰も悪くないし、まぁ、悪いと言ったらコロナのバカヤローって話になるんだけど。

自分には関係ないと思っていたエンタメの崩壊が、こんな形で自分に襲い掛かってくる。脚本使用料で得ていた雀の涙の収益も今はない。感情的にも、勘定的にも右ストレートでぶっとばされた気分。

演劇は蜃気楼の見る夢だ。役者と役の乖離が大きいほど、観客と役者の熱量差が激しいほど、現実と夢の落差が高いほど、舞台は蜃気楼のように不確かなものになっていく。不確かなものほど人は興味を持つ。不透明なものほど人はのめり込む。不鮮明なものほど人は夢を見る。

そういったぼやぼやとした蜃気楼が見る、もっとぼやぼやとした夢が演劇だ。現実と非現実の境目を壊してくれるエンタメ。今はこれまでの日常と比べるとみんな「非現実」の方に住んでいる。いつか、演劇をもっと楽しめる世の中になったら、現実と非現実の境目を壊して、変わらない日々も変わってしまった生活も、どっちも楽しめる夢を見たい。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652