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夢を持ちつづけるということ 彫刻家 鎌田俊夫さんの足跡

こんにちは、大潟村協力隊の磯部です。

皆さんは大潟村に対してどのようなイメージを持っていますか?

大潟村に移住する以前の私は、
「桜と菜の花ロード、干拓されてできた新しい市町村、広大な田んぼ、まっすぐに続く道……」などのキーワードを思い浮かべていました。

移住してもうすぐ1年が経とうとしている今も、そのイメージは薄れませんが、実際に暮らしてみてからは、大型農機による大規模なモデル農村での営農や環境省による脱炭素先行地域に採択されるポテンシャルを秘めている点などを見て、「常に先進的な施策を行っている」という実感があります。

今回は、そうした先進的でユニークな取組の一つである「情報発信者入村事業」(鎌田さんの移住時は「文化情報発信者招へい事業」)を通して村に移住した、彫刻家の鎌田俊夫さんにお話を伺いました。

( 情報発信者入村事業とは )
各自の専門性を十分に発揮し、村内外に積極的に情報発信を行う方に定住してもらうことで、地域文化の活性化を図る事業。
これまでに入村した方の職業は、バイオリン製作者、空撮カメラマン、元高校校長、元水上スキー選手、元大学教授、出版・小説家、元報道カメラマンと、多分野にわたっています。

くわしくはこちらをご覧ください。https://www.vill.ogata.akita.jp/administration/sender.html

これまでに制作した作品が置かれているアトリエ
写真右に映るのは『東海林太郎直立不動像』の原型

プロフィール

鎌田 俊夫 Kamada Toshio

1944年、中国山東省生まれ。
1975年に第29回二紀展に初出品し褒賞受賞以降、数々の作品を発表、受賞を重ねる。
2001年、秋田県大潟村へ移住。
近年の活動として、
2014年に『横綱 大鵬像』をロシアに設置
2021年に『東海林太郎直立不動像』を秋田市文化創造館敷地内に設置
などがある。


〇大潟村移住のきっかけ

——以前から作品を拝見しており、鎌田さんにお会いするのをとても楽しみにしていました。まず、なぜ大潟村に移住を決めたのでしょうか。

鎌田さん:今から22年ほど前に、大潟村に文化情報発信者招へい制度(現:情報発信者入村制度)があることを友人に教えてもらい、応募を勧められたんです。
僕の作業っていうのは、大きい作品になるとチェーンソーも使うし、大きい音も出る。ここのスペースは広くて、そういった迷惑をかけなくて済むと思ったんです。

それから、木を彫ったときに出る木っ端は薪ストーブで燃やせるし、あんまり人が通らないところも良いところです。たまにあんたみたいな人が通るけど。だから僕は、ここは制作する環境としては最高の場所だと思ってアトリエを構えました。本当に良かったなあと思ってます。広々としたところ、僕好きだから。

——村の温泉「ポルダー潟の湯」の前にも作品がありますよね。最初に目にしたときは感動し、しばらく見惚れていました。その作品の制作背景を教えていただけますか。

鎌田さん:あれは『大地の家族』。2008年の作品で、ブロンズにしたのは2009年ね。
若い夫婦と、おじいちゃんおばあちゃんと、子どもふたり。それから、お母さんのお腹の中の赤ちゃんを含めた7人の群像ね。

ちょうど僕がアトリエを構えて10年近く経ったとき、私の提案もあって、村に「入植者こそが主人公である、というテーマのモニュメントを作ろう」といった機運が起きたんです。一人ひとりの村民が、広い大地と向き合い、家族や自分のために頑張った結果、大潟村の今がある。村づくりの主人公は村民自身だろうと、村民の皆さんも制作に協力してくれました。

ポルダー潟の湯の前 『大地の家族』

鎌田さん:大きさは、高さが2mちょっと、直径が1mくらいかな。素材は銀杏の木で、家族の絆を強調するために、ひとつの塊として表現しました。
温泉の前にあるのがブロンズ像で、原型が干拓博物館にあります。


〇彫刻家としての道のり

木の柔らかい素材感に親しむため、レリーフも彫っているそうです

——鎌田さんが彫刻家を志したきっかけや学生時代の様子について知りたいです。

鎌田さん:僕は小さいときから絵を描くのが好きでした。小学校1年生くらいのときから。その頃は道路も舗装されていることがなかったから、土に大きな釘でライオンや象、蛇なんかを描いていて、大地が僕のキャンバスでした。たまに近所の家の塀に描いて怒られたりして。何にしても絵を描くのが好きな少年でした。

中学、高校では美術部に入って絵を描きながら、彫刻らしきこともしていたんです。
それから大学進学という話になって、僕は東京藝術大学の彫刻科を受けたんです。学科試験は通って、そして、いよいよ実技試験のデッサンがあって。モチーフは、石膏でできたアポロンのトルソー(胴体)を木炭で描くというもので。

それで大体完成した頃、そろそろやめるかと思って周りを見ると、どこからかスプレーみたいのを取り出して周りの人はシュッシュッてやってるわけです。何やってるかというと、炭で描くから擦れればとれるじゃない。これはフィクサチーフといって、それを定着させるために膜でコーティングするんです。それまで僕は見たこともなかったんだ。

それで「あなたそれどこで……」て聞いたら「うん。下の購買で売ってるよ」って言うから、僕は急いでフィクサチーフを買ってきて。やり方どうすればいいですかって聞けばよかったんだけれど、そういうことも僕の変なプライドが許さなかったわけで。それで、シャッシャッシャッと得意満面に吹きかけた。

ところがその日は東京藝大のキャンパスにも雪が降っているくらい寒くてね。寒いもんだから、普通は気化して蒸発しているはずのフィクサチーフが気化できなくて、液体のまま残って。みるみる僕の作品をバーッて流したんだ。ああ、これで僕の運命決まったなって思った。

それで結局、地元の秋田大学に入学して、そこでも彫刻家の夢は捨てずに制作は続けていました。その後は高校の教員になって、最後は秋田北高校に13年間勤めて教員を定年退職したんだ。

実は、高校現場に出る前に、臨時教員として大潟村に赴任しました。大潟中学校第一期生卒業番号第一号の尾倉さんたちの担任でした。昭和43年のことです。大潟村との出会いに運命を感じます。

村の子どもたちを対象に絵画教室をひらくこともあります

——教員として勤めていながら、同時に彫刻制作も行っていたんですね。

鎌田さん:うん。教員やりながら、一方で彫刻をいつも作ってきた。僕が上野の美術館に作品を持っていくとね、僕のことを高校の教員だって知っている人はあまりいないんだ。秋田の彫刻家ってみんな思ってた。

教員をやらなければね、彫刻の丸太や道具も買えないし、教員としての自分は彫刻家としての自分に対しての言わばパトロン、経済的なスポンサーだったと思います。
退職したら第二の人生って言葉があるけど、私にとっては退職したことで第二のじゃなくて第一の人生がそのまま、今に至ってるというわけです。

水彩画教室の様子


〇今、第一の人生として

——現在制作している作品はありますか。

鎌田さん:まずこの作品。バレリーナの脚のS字型の曲線、トゥシューズで舞台に立つ緊張感を表現してみようと思ってます。

一本の丸太から掘り出して作ります

そして、悩む男。今の自分にも関係があるのかなあと。僕にも人知れず悩むことがあるのです。

——木の風合いを生かし、柔らかくも無骨な雰囲気が活きていて素敵です。作品づくりの際のこだわりはありますか。

鎌田さん:僕はリアリズムの立場に立っているんだけど、単に実際の人間の再現、コピーではないんだ。僕自身の解釈に基づく表現なんです。実際の人間のプロポーションとは変えたりして、他にはない自分だけの表現をしようと心がけています。

あと、リアリズムの彫刻家には、絵画的な描写力も必要です。僕は毎週、人体デッサンをやって形の把握のトレーニングをしています。
例えが大げさだけれど、ミケランジェロ。彼も「優れた彫刻家は優れた絵描きでもある」って言ってる。その逆で「優れた絵描きは優れた彫刻家でもある」とも言えます。

手前が『東海林太郎直立不動像』、
奥が『Ambitious Young Man(邦題:青雲の志)』

——私も学生時代は美術部だったので共感します。鎌田さんが思う、若い頃にしておいたほうがよいことはありますか。

鎌田さん:少し回り道してもいいし、時間がかかってもいいから、自分が一番やりたいことを見つけるっていうことかな。
僕が彫刻を見つけたように、自分の好きな、あるいは得意なものは何かしらあるんです。それを発見、つまり自分自身を発見するということね。これが一番大事なんじゃないかなあ。

様々な道具を使い分け、作品を仕上げます

そして、大事な場面では一人になる。それを恐れない。
あの人のようになりたいとかいろいろあるかもしれないけれど、結局は自分自身を目指すんだ。そのためには、周りの人がどう思うかなんてことが最初にきちゃだめだ。
一人立つという精神の強さというのは、何かをやる人間にとってはすごく大事なことだと思います。

それと、大変なことに取り組むときの心構えね。人は、大変なことを、汗水たらしなぜやるか。
僕の場合は……楽しいから。楽しいっていうのはね、楽するってことじゃない。苦しくて、大変で、つらいけど、楽しいんだよ。それはすごい大事なことで。だから僕は彫刻を続けてこられたんだと思う。


鎌田さんの言葉には含蓄があり、お話の一つひとつに夢中になって聞き入っていました。

お話を伺っているときには、アトリエのしんと静まりかえった空気の中で、時計の針の音だけが心地よく響いていました。


鎌田さんの作品は、大潟村干拓博物館に『大地の家族』、『八郎太郎(Ⅰ)』、『八郎太郎(Ⅱ)』(いずれも木彫原型)、ポルダー潟の湯に『大地の家族』(ブロンズ像)が展示(設置)されています。

〇大潟村干拓博物館
HP:http://museum.vill.ogata.akita.jp/


〇ポルダー潟の湯
HP:https://katanoyu.com/


鎌田さんの作品を見に、是非大潟村へお越しください!


【著:大潟村地域おこし協力隊 磯部春香】
Instagram
https://www.instagram.com/ohgatamura_iso/


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