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戦前を生きる私たちに必要な自己共感の力

私たちは今『戦前』を生きていると感じることが、最近増えている。

隣の国の弾劾ミサイルのニュースに「またか」と思うようになったのは私だけじゃないはずだ。先日はそのニュースと同じ日に、ミサイルと同じ方向に落下していく火の玉が地上の固定カメラで撮影されていたそう。平和が当たり前の私達の目と鼻の先に実は有事は迫っていて、ある日頭の上に火の玉が降ってきてもおかしくないような気がしている。

そんな時代を生きる私たちに、まず最初に必要なのは、自己共感、自分で言葉にする力、自分と対話する力だと思う。心のモヤっとする感じ、ザワつきをなかったことにしないで、言葉にし、行動に繋げることだと思う。

最近感じたモヤ、ザワつきを思い出す。私は朝、近所の寺のお堂でマインドフルネスさせていただく習慣がある。その日は足止めに足止めが重なっていつもより遅い時間にお堂に入り、マインドフルネスアプリを立ち上げてさあ始めようと思った瞬間、区のJアラート訓練が始まった。

私はお堂の観音様の顔を見ながらJアラートのサイレンを聞くことになった。言葉にできない違和感で、心がザワついた。

もっと大きなモヤ、ザワつきを思い出してみる。それは、2020年コロナ禍初期、医療従事者を応援する目的を掲げ、たくさんのブルーインパルスが空を飛んだときのこと。

テレビやネットニュースでは、飛行機に手を振る医療従事者の姿が映っていた。私はそのときもやっぱり、モニターのこちら側からでは、感じた違和感を言葉にすることができなかった。

テレビ画面の中の医療従事者は笑顔だし、飛行機を見て「勇気をもらった」「元気が出た」等のポジティブなコメントをしていた。私は彼らが嘘をついているとは思わない。だけど、その番組の構成やコメントや表情から、モヤっと、ザワっと心が動いた。

そのとき読んだら最高感度で読める気がして、私は読んだ振りだけしていたジョージ・オーウェルの小説『1984』を読んだ。

『1984』は、核戦争後の世界を描いたSF小説。世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアという3つの大国に分割され、常に緊張した戦争状態にある。作品の舞台であるオセアニアはビッグ・ブラザーと呼ばれる独裁者に支配された全体主義国家で、市民の思想や言動には厳しい規制が加えられ、巨大なテレスクリーンなどで常に監視・管理されている。

主人公のウィンストン・スミスは役所に勤める公務員。オセアニア真理省で歴史を改ざんする仕事をしているけれど、偶然、過去のある新聞記事を見つけたことで、絶対であるはずの国に対する疑問が芽生える。テレスクリーンから見えない場所で日記を書くという「重大な犯罪行為」をすることで、次第に管理される側の市民のリーダーになっていく。
そこには、管理社会やプロパガンダの存在が、管理される側、テレスクリーンのこちら側からの視点で描かれていた。

このとき初めて、私は自分自身ががモニターのこちら側、管理される側にいることに気づいた。主人公のウィンストンに共感し、作者のオーウェルの言葉を借りることで、自分の置かれている立場を理解し、気づくことができた。

もし、ブルーインパルスのニュースを見たときのザワつきをなかったことにして、『1984』を読んでいなかったら、私は自分が管理される側にいることにずっと気づかなかったかもしれない。

そこから先は世界を注意深く見るようになった。

テレビやパソコン画面から無尽蔵に流れてくる情報は一旦置いて、情報は自分で考えて選別するようになり、ニュースや新聞や本にお金を使うようになった。まだまだ完璧とは言わないけれど、情報を得るときは偏りがあるかないか一度考えるようになった。

また、一度は国家神道の神社で、戦争で亡くなった人の声を聴くという霊的な体験をした。以前だったら、霊的な体験というだけでシャットアウトしていたし、今回も一度は自分の中で無かったことにしかけた。だけど今は、自分の感覚を無視はせず、その歴史や成り立ちを調べ、そこにお参りすることの意味を考える機会にすることができた。

私の考えや感じていることが絶対正しいとは断言できないけれど、少なくとも私は今、自分の価値観を理解し、行動にうつすことができている。

私たちは今戦前を生きている。だとしたら遠くない将来、理解できない理不尽や価値観に遭遇するかもしれない。

そのときに自分で言葉にできなければ、避けることも、戦うことも、守ることもできない。

なぜならば、人は言葉にできないものは理解できないし、存在しないことにしてしまうから。『言葉にする』『表象する』ということは『コントロールできる可能性』を残すということだから。

『1984』の世界では、ニュースピークという、言葉の選択肢を最小まで減らした言語をデザインすることで、オセアニア国は市民の思考の幅を縮小し、複雑な思考を困難にしようとする。私たちは『1984』のディストピアを生きるようなことがあってはならない。

言葉にならないモヤっとする感じ、ザワつく違和感をなかったことにしないこと。自分に共感し、言葉にすること。自分と対話すること。

それはきっとこれからの時代に、自分の人生を生きることに繋がると信じている。


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