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どこまでいくのかと背中ばかり見ていた_ジョンウィック:コンセクエンス感想

このnoteでは映画のネタバレが途中からあります。
ご注意を。


ジョンウィックを観始めたのは、
何がきっかけだったのか。
たぶんじろうさん(夫)のお姉さんがジョンウィックが好きで、
その話を聞いたことや、
シネマンション(映画系YouTubeチャンネル)であんこさんがキアヌのことを力説していたり、
いつか見ようとは思っていたけれど、
ついに最終章が映画館でかかるよ、と聞いて、
ついに見ようと思ったのでした。

ジョンウィックは、
最愛の人に出会い、
闇社会で最強の殺し屋だったジョンは、
殺し屋としての人生を切り捨てることに。
しかし最愛の人ははやくに亡くなってしまいます。
気持ちが沈むジョンのもとに彼女が生前手続きをしていた子犬が届けられます。
少しずつ心を開いていくジョンだったけれど、
車泥棒の若者にその犬を殺されてしまう。

復讐に燃えたジョンは、
捨ててきたはずの過去を纏い、
再び深い夜に落ちていくのでした。


というはじまりから、
色々あって全ての殺し屋から命を狙われることになってしまった今作。


NYからはじまり、
砂漠、大阪、ベルリン、パリと各地を飛び回っての映像に、
ものすごい規模だ、、、とその距離をぼんやり思い浮かべてしまいました。

最初は怒りに任せての復讐劇だったこの物語が、
一度上げてしまった炎の消し方、
落としどころを探す物語になっていっているな、
と私は思いながらこのシリーズを観てきました。

ジョンの妻が実は殺し屋協会的なものが手を回していた、、、とかだったら、話がぐるぐるして嫌だな、と思いながら見始めたのですが、
そんな小細工はなく、
ひたすらどんどん火力が大きくなる彼の背中を追いかける映画シリーズになっていました。
そのことが嬉しかったです。
たった一人の背中を追いかけてみる風景は、
意外に奥行きが必要なものだと思います。
主人公の必死に走っている場所が張りぼての街では醒めてしまうから。

豪快なアクション。
友情や、子を思う一途さや、妻に捧げるために脱ぎ捨てるものだとか、
生き方の支柱。
この映画で生きている誰もが
「自分たちは真っ当な死に方はできない」
と諦めながら、
それでも
「少しでも光の方に向いて死にたい」
と思っている。
その様がどこまでも滑稽で、哀しく、健気なくらいに見えました。
もちろん敵役のボスのある意味純粋なくらいに野望に満ちている様子も、
気持ちが良かったです。

私はニュースで流れる兵器の映像には嫌悪感をつよく感じるのですが、
展示されている重火器や、
映画の中で登場人物が抱き込む武器にはそれが生まれないことが不思議でしたが、この映画を見ながら、
ああ、私は物語がそこに映りこんだ瞬間それを好ましいと思ってしまうんだなと発見しました。
それが悲劇であっても。
物語りの有無が感情を左右している。
なんて身勝手な基準だ、と自分のことながら呆れてしまいましたが、
自分のある意味ぶれなさに深く納得してしまいました。

撃っている場面よりも、
手入れをしている場面や、
弾を詰め込む瞬間が好きです。
バスが敵との間に走りすぎる数秒の間に、
互いに弾を入れている場面があったのですが、
そこがすごく好きでした。

最後に使われる旧式の銃も、
ずっとこの繰り返しを見て来たんだろうな、
同じ箱に横たえられながら、
勝敗を受け合ってきたんだな、
と銃のほうの物語を感じてみてしまいました。


ここから映画の最後に触れます。



炎が消え去る。
それが意味するものを、
たぶん見ていた人はぼんやりと、またははっきりと思い描いていたのではないかなと思います。
私も一作目を見たとき、
これがシリーズとして続いて、終わりが来るのなら、
その時は主人公が死ぬしか終わり方はないのではないかなと。
それはさみしいから嫌だな、とも思いました。

あれだけ火だるまで走り回り、
それはそれはたくさんの死や悲鳴を噴き上げてきたのに、
本人が解放されてめでたしでは終われないだろう、と
この四作目を見ている最初からずっと考えていました。

作中何度もジョナサンは言われます。
「安らぎが与えられるのは、死の腕の中のみ」

三作目で、
殺し屋連合(勝手に読んでます)のトップに
「何故そんなにも生きていたいのか」
と聞かれた彼は、
「妻が生きていたことを覚えていたいから」
と答えます。
これを聞いたとき、私は驚き、そして物凄くこの人が好きになりました。
死に向かって周りを巻き込みながら爆走しているのではなく、
この人は、
ひたすらに一秒でも長く生きていたくて、
その一心でこんな苦痛を引き連れて走り回っているのか。
それを知って、
彼が火だるまになりながら、少しでも空気を求めて顔を前に出しては走り続ける姿に、まわりが迷惑そうにしかめ面をしながら、哀しそうに目を伏せるのかが分かった気がしました。

最後の決闘で、
彼は殺し屋という名前をもう一度切り離し、
自由のもと、
妻のことを思いながら目を閉じていくのを見つめながら、
私は「よかったね」と胸の内で呟いていました。

主人公が亡くなるラストで、
こんなにやさしい気持ちになったことはないというくらい、
晴れやかに、その背中を見送ることができました。

妻と並んだお墓に、
「妻を愛した男」と記され、
眠れる彼は幸せだろうと思います。
殺し屋のまま死ななくて、よかった。

ウィンストンとコンシェルジュのシャロンの別れまでの場面、
それほど長くはないし、詳しく描かれることはなかったけれど、
彼らの行動のひとつひとつに裏付けがあって、
物語りを内包している影が身にしみていて、
ああ、本当にこの人たちは友情を礎にして関係を築いてきたんだな、
と感じられて、よりシャロンが好きになりました。
彼の墓に刻まれたウィンストンの言葉に愛情がとても詰まっていたなと思います。

まさかこんなに好きシリーズになるとは思いもしませんでした。

もちろん脚本や、設定に無茶があるのは分かっているのですが、
私はそういうことをねじ伏せる力のある物語がとても好きです。
そしてそのひとつにこの映画は確かに当てはまるなと。

最後だけでも映画館で観られて良かったです。




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