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「ドライブ・マイ・カー」と「女のいない男たち」


 少し前に「ドライブ・マイ・カー」を見てきました。
でも、ロシアのウクライナ侵攻で、世の中が激しく戦っている中で、映画の感想文など書いていいものかと思い、ずいぶん遅れてしまいました。ですから、遅れついでに、「女のいない男たち」の中の「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタディー」と「シェラザード」を読み直してみました。

 ああこういう作品だったよねと確認して映画を思い出してみると、なるほど濱口監督は、村上作品を充分に研究していると思いました。村上春樹氏の心まで研究し、さらに、自分の思いを入れ込んで、その上で、脚本は筋書きを自分なりに大幅に書き直し、濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」を作ったのでしょう。つまり、この映画は村上作品と濱口監督の合作作品なのだと思いました。

 そもそも、「ドライブ・マイ・カー」という短編が入っている「女のいない男たち」という本は、全編を通して、男たちの純情というか、男たちの孤独というか、、、(こういうことを書くと男女差別を言う人たちの槍玉にあがる気がするけれど)、男たちのしみじみとした哀しさを書き綴っている作品なのだと、私は思うのです。

 余談だけれど、以前、恋に悩んでいた友人に(女性ですが)、この「女のいない男たち」の本を私は貸したのです。その彼女は、本の中の「独立器官」がとても心を捉えたらしく、「私はこの独立器官の渡会さんと同じなの」と言ってきました。私は本を貸してまずかったかなあと後悔したものです。なぜなら、この渡会医師は純情な人なのでしょう。一人の女姓に恋をして、結局は捨てられるのですが、その恋はとても深く、渡会医師にとっては食事もできないほど思いつめた恋煩いで、最後は、ベッドから起き上がることができないほど憔悴し、そのまま死んでしまうのです。

 ともあれ、この「女のいない男たち」という本は、村上春樹自身の純情さを作品としてあらわしたのかと疑うほど心を書いていて、濱口監督は、この本を熟読して、「ドライブ・マイ・カー」の映画を作ろうと思ったわけだから、村上作品の根底に流れる喪失感や葛藤を充分理解したうえで、自分の思いを重ね合わせて、この映画を作ったに違いないから、男と男が共鳴したということかもしれない。

 映画は3時間にもなる長い映画で、ヴァーニャ伯父さんの演劇を中心に、主人公の家福とその妻と、浮気相手の男優と、若い女性の運転手が出てきて、作品は展開する。

 家福は、妻が若い男優とセックスする場面を目撃しながら、それを問い詰めもせず、平静を保ちつつ、心にはモヤモヤを抱えている。妻が、話があると言った日に、家福は用事もないのにわざと遅く帰り、その遅さゆえに妻がクモ膜下で倒れた時間に間に合わず、妻は死んでしまう。それからは、遅れて帰ってきたことを後悔し続け、妻がなぜ不倫したのかという疑問に答えを求め続ける。

映像は形の良い赤い車が、街中を走り回り、全体のトーンをおしゃれに爽やかに染めていて美しい。映画のはあらすじは、公式の説明があるから、下記に載せておくけれど。
私としては、中間はもっと話の速度を進めて貰いたかったのと、韓国クルーが少々出しゃばりすぎという印象を受けたけれど、これを除けば、とてもよく練られた美しい良い作品だと思いました。

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「ドライブ・マイ・カー」製作委員会 あらすじ
舞台俳優であり演出家の家福(西島秀俊)は、愛する妻の音(霧島れいか)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう。二年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさき(三浦透子)と出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻(岡田将生)の姿をオーディションで見つける。喪失感と打ち明けられることのなかった秘密に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
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