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「大東亜戦争終結の詔書」を読みました。

私が参加している、月一の集まりは、
色々の人が、その人自身が関心のあることを発表するのですけれど、
先月は「終戦の詔書」の説明がありました。
「終戦の詔書」は、
文語体ですが、今は、現代語訳があるので、
とても分かりやすく、全文を読むのは大切なことなので、
皆さま、ご存じかもしれませんが、改めて紹介したいと思います。

今回、説明のレジメは持ち帰ったのですけれど、
NOTEに載せるのに、
写真を撮ったものか、あるいは、書き写すべきかと考えていたところ、
口語体で全文載っている「愛国通信」さんの記事を発見しました。
これ幸いと、そのまま引用させていただくことにしました。

「愛国通信」さん、引用させていただきます。

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  • 2020.08.29 愛国通信 さんの記事を引用したいと思います。

終戦の詔書(現代文)

私は、世界の大勢と我が国の現状とを深く考え合せ、非常の方法をもって現在の状況を収拾したいと思い、ここに忠義心に厚く善良なあなたがた国民に対して、これから私の考えを伝える。
私は、わが帝国政府に米国、英国、中華民国、ソ連の四ヶ国に対して、彼らの共同宣言(
ポツダム宣言)を受諾する旨を通告せよと命じた。
そもそもわが国民の安らかな生活を思い、あらゆる国と繁栄の楽しみを共にするということは、皇室の祖先が神代の昔から代々伝えてきた定めであり、私が大切にしてきたことである。
先に米英二国に宣戦した理由もまた、わが国の自存と東亜の安定を請い願ったからであり、他国の主権を排除したり、領土を侵略したりすることは、もとより私の志ではない。
しかし交戦はすでに四年に及び、わが陸海軍の将兵の勇戦、我が多くの諸官庁に勤務する多くの役人達の精励、全ての国民の奉公、それぞれが最善を尽くしてくれているにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していない。
世界の大勢も見ると、これもまたわが国に利がない。
これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、何の罪もない国民をしきりに殺傷し、いったいどれだけ被害が生じたのかわからないほどである。
(このような状況で)なおも交戦を継続することは、わが民族が滅亡するだけではなく、ひいては人類の文明をも破壊させることになるであろう。
このようになってしまったら、私はどのようにして愛するわが国民を保持し、我が祖先の神々に謝罪することができようか。
これが私が帝国政府に命じ(四ヶ国が求めた)共同宣言(
ポツダム宣言)を受諾させた理由である。
私は、帝国と共に終始東亜の解放に協力してくれた同じ志をもつ諸国に対し、(東亜の開放という願いが達成できず)残念だという気持ちを伝えねばならない。
帝国国民で戦場に倒れ、仕事のために命を犠牲にし、心ならずも死んでいった者、およびその遺族のことを考えると、我が五臓は張り裂けそうだ。
さらに戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失った者にどのように豊かな生活を取り戻させることができるかということに至っては、私は深く心を痛めている。
思うに、今後わが国の受ける苦難は、もとより尋常なものではない。
あなた方国民が真実どんな思いであるかも私はよくわかる。
しかし私は、時の運命の赴くところにより、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍んで、永き将来のために平和をもたらしたいと思う。
私は、今ここに国体を護持し得て、忠義心厚く、善良なあなたがた国民の皇室に対する真心に信頼し、常にあなた方と共に存在するのである。
もし感情にまかせてさまざまな事件を起こし、あるいは日本人同士いがみ合い、混乱が生じ、そのため人としての道から外れ、世に信義を失うようなことは、私の最も戒めるところである。
国を挙げて、一つの家族の様にこの思いを子孫に伝えて、神国日本の不滅を強く信じ、これからの責任重く、先の長い復興の道を思い、総力を将来のわが国の建設に傾注して、強固な道義心と、不動の信念をもって、わが国が古来伝えてきた国体の精華を発揮して、世界の進歩・向上に遅れない様にしなければならない。
あなたがた国民は、天皇である私が今述べた思いを、どうかしっかりと受け止めて、行動してもらいたい。

 御 名 御 璽(ぎょめいぎょじ=天皇陛下のお名前とその印章のこと)
  昭和二十年八月十四日

解説のようなものを書いてみる

「開戦の詔書」の原文は徳富蘇峰が書いたと言われているが、では「終戦の詔書」はと言うと、8月9日の御前会議での天皇陛下のお言葉をベースに、当時の鈴木内閣で書記官長を務めていた迫水久常が草案を作成した、ということのようだ。

かくして内閣は終戦の詔勅を起草することになりましたが、実は終戦の詔勅は内閣に於て起草すべき性質のものでありましたから、私はその責任者として既に十日の夜から、十三日の夜まで夜半その起草に着手して居りました。原稿用紙は涙のあとで一杯でした。即ち九日夜の御前会議の陛下のお言菓をそのまま文語体に改めたものであります。私の乏しい漢文の知識でまとめたものでありますので、通常の詔勅よりもやさしいのであります。唯文法の誤りがあってはと思い、安岡正篤、竹田瑞穂先生に見て頂きました。有名な「万世の為めに太平を開く」という文句は、安岡さんが支那の古典の中の成句を教え下さったのでした。このものに十四日御前会議の陛下のお言葉によって、修正したものを議題として審議致したのであります。
午後八時審議を終了しそのまま陛下のお手許に差し出し、御嘉納がありまして一切の詔書公布の手続を終了しましたのは、十四日午後十一時でありました。即ち
大東亜戦争の公式終了の時間は昭和二十年八月十四日午後十一時であります。

出展:「終戦の真相」元鈴木内閣書記官長 迫水久常(月刊『正論』平成15年9月号)


つまり、長崎へ原爆が投下された8月9日夜の御前会議では、ポツダム宣言を受諾する「聖断」が下っていたことになる。そこから詔書を起草し、チェックと修正をして昭和天皇がレコードに録音し、15日正午にラジオで放送するまで、あまりに日がない。
陸軍の一部には徹底抗戦を唱える勢力があり、日本各地に上陸する米軍を迎え撃つために、兵士を配置する動きがあったようだ(私の父も、実はそのような任務で召集されていたようだ)。
よって、戦争を終結する「終戦の詔書」は極秘裡に準備せねばならないし、極秘に進めて完遂させるには時間をかけられない。時間の経過と秘密が漏洩する危険性は比例するものだからだ。しかし、詔書の内容は最後の最後まで修正されたようで、修正箇所は40以上にも及んだと言われている。
引用した
迫水久常の文章には、「原稿用紙は涙のあとで一杯でした。即ち九日夜の御前会議の陛下のお言菓をそのまま文語体に改めたものであります」とある。私も今回、終戦の詔勅を現代文に直していて、目から汗が流れ続けるので、非常に困った。・・・・

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愛国通信さんからの引用はここまでです。

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今回の発表者の Iさんの解説も一段落ごとに説明がされて、
実に心のこもったものでした。

戦後78年経て、日本を巡る国際情勢は過去になく厳しいものとなり、国内も1年ほどで特に日本の劣化は激しい。安倍元首相は戦後レジュームの精算、日本を取り戻すという事を繰り返し主張していた。
日本を取り戻すとは、何を取り戻すのか、取り戻してどのような日本を目指すのかをいつも探す必要がある。

昭和20年8月15日、これが戦前と戦後をつなぐ接点であり、ゆえに、大東亜戦争終結の詔書を読んでみたい。ここに、新日本建設のガイドラインが示されている。日本の伝統が示されている。
長谷川三千子氏が言っているように「神やぶれたまわず」昭和20年8月15日は、「全人類の歴史」を通じて、ためしのないような一瞬であった。

世界の戦争は底なしの悪行の深淵だったけれど、陛下はこの人類の底なしの罪悪を一身に受けられ、自らを犠牲にしてでも、止めようと決心した。

戦後、昭和天皇とマッカーサーとの最初の対談で、マッカーサーの天皇に対する姿勢が30分ほどで180度変わったという逸話は有名である。
陛下は自分の身を犠牲にしても民を救おうとした。
そして、日本国民は、決して天皇を裏切らなかった。

世界を見渡しても、歴史上至高の瞬間であると言われるゆえんもここにある。命をかけて結ばれた君民一体の国体の精華に満ちた国であった。
敗戦という最も困難な現実を受け入れなければならない時に、世界史上でも、最も貴い君民の姿が現れた一日だった。

さて、78年経って、日本は崩壊の一途に進んでいるかのようである。
私達は、終戦の詔勅で示された宿題を持っている。
それを思い出して、考えてみようではないか・・。


※ 深く考えるきっかけとなる一日でした。



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