見出し画像

朝瞑想とジャーナリングを続けて...


8月11日から
朝瞑想とジャーナリングを始めた。

あともう少しで1か月になるが、
毎朝6時15分からの生配信に合わせて起床し
リアルタイムで参加している。

一度だけ、二度寝してしまい気付いたら6時30分頃だった日があったが、アーカイブで瞑想した。

そして生配信がお休みの日は過去のアーカイブで瞑想しないではいられないほど習慣化している。

何故、瞑想をしないではいられないか

  • 朝の静寂の中、風の音や鳥の鳴き声等だけが聞こえる中で、心を無にする訓練は、気持ちが整う

  • 瞑想の前にまだ緩い太陽光を浴びて
    身体をゆっくり動かすことで自然に心身が覚醒して行くのが気持ちいい

  • 1日の始まりにそれをする事で夜にみた夢やモヤモヤ感がリセットされて幸せな気持ちを感じられる

心を無にする訓練とは

瞑想とは
自分なりの解釈として(by ハタヨガ&アーユルヴェーダ)

今ココ、この瞬間に感じる事に集中する。
過去に起きた事やまだ起きてもいない未来の事に不安や心配をせずに、2秒先には別の感じになる今の事を感じる。

具体的には

呼吸により入ってきた空気は自分の身体のどこに流れていってるか。
またそれを吐き出した時はどこを通って吐き出されたか。
クッションに少しだけ触れるように座っているのだが、その坐骨が今どんな感触か。
窓の外から聞こえて来る音。
肌に触れる空気の感じ。

などなど。。

まだまだ実世界のリアルな気持ちが湧き上がって来るし、それについて思考してしまいがちだが、俯瞰して、太陽のように上から、座っている自分を見ている気持ちになるよう訓練している。

この瞑想を始めてから、
瞑想をしている自分を見ている自分。が、
本当の自分である。。ことを学んだ。

それは衝撃だった。

本当の自分は
リアル体験をして
悩んだり、悲しかったり、辛かったりしている自分ではないのだ。

それを客観的に見ている自分が、
本当の自分だったのだ。。


起きていることは全て自分の内面が作り出したストーリー。

この辺りで、脳と思考と心の関係に興味が湧いた。

脳で考えるのが心なのだから
その脳は自分が興味ある物、見たい物を見る
(RAS=脳の機能)ため、何が見たいかを自分で決めてその言葉を呪文のように呟いて脳を騙す(?)ことで、見たい物をより見れるようになる。

つまり逆説的に言うといつもネガティブな言葉ばかり発していると不快な物ばかり見てしまう事になる。

だから
普段から人に言われて不快だった事や
未来の心配を
あーなったらどーしよう。
こーならないようにはアレをしよう。
等と常に考えることは止めて、
今、心地良い事に目を向けるクセを
付ける事が
いつも安心、安定、穏やかでいられる事だと
私は思う。

瞑想では
その訓練をしている。

幸い仕事をしていないのでジャッジせねばならない場面もほぼ無い生活だし、

ひとり暮らしだから自分の思った通りに生活出来る。

但し、たまに人と接する時に、小さな愚痴を聞かされたり、先の不安を語られその考えを押し付けられたり、、、

と言うのも本当の自分が淡々とそのストーリーに巻き込まれないよう、空を飛ぶ野鳥のように傍観すれば良いだけだ。

こんなことばかり考えていたら
普段の生活の小さな事柄に愚痴ってばかりの人が、まるで別世界の人のように思えてきたこの頃だ。。。

" 天気が良かったからお洗濯を沢山したら、忙しくなっちゃって(^^;;"  
" 腰が痛いし、歩いてると背中が丸くなってるし..."  

と、、、なんでもネガティブに話されるので
" そうね、晴れたから気持ち良かったね。
とりあえず取り込んだら、無理に直ぐに片付け無くても ゆっくり空き時間にやりたい時にやれば良いのよ〜"
と、返してみたが、、

あとから
" やりたい時って言っても、、他に誰もしてくれないから自分がやらなければならないし、、、"
と、、、
自分が心地良くなる事を追求している真っ最中の私とは根本的に思考が違う事を実感!

洗濯物ひとつ....自分のやり方ひとつで、そのストレスは解消される。

まあ、そんな何でもない当たり障りの無い話題で会話しているのが日常でもあるから、ネガティブ思考で終わる話しにはいちいち反応しないようになる事が私の訓練だ。

私にとっては
もっと大きな

とてもコントロール等出来ない出来事に対しての訓練なのだから。


家族の死。

これはどうしようもなく、
客観視等出来る訳も無く、

でもその負の感情に溺れてしまっては
多分、、、立ち直れないだろう。。

以前、グリーフのコミュで、毎日毎日、負の感情を投稿している人がいた。
毎日読んで、共感し
悲しんだ。悲しかったから。
でも
ある時に、、
これは、、、

もしかしたら
今の自分にはそろそろ逆効果かもしれない。

そんな風に気付いた時に、
ハタヨガに出会い、
脳のRAS機能を知った。

そこから
どんどん
悲しみからの回復を歩めている。

でも
やはり
グリーフは難しい。

私自身、
次男を亡くした事は悲しいに決まってるし、
一生悲しい。
悲しみから抜け出す とか言う事は
あり得ない。

悲しみの種類にも色々あるし。

あの子の未来が絶たれた事が悲しいし、
同じ世界にあの子がいないのが、
実は
未だに信じられないような

そんな気持ちなのだ。

それでも
この世界に生かされている限り
心地良く
生きて行きたい。

ただそう思っているだけ。。

辛かったり悲しかったりしながらだと
苦しいから、そんなの嫌だ。
ラクに過ごして行きたい。

ただそれだけ。。

瞑想を続けていったら
何が見えて来るだろうか。

楽しみだ。

最後まで読んで頂いて
ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?