見出し画像

何者かになるためだけに生きてる人

高校生くらいのときに違和感を覚えた。

お嫁さん、いわゆる、専業主婦を夢見る人達を見て
こいつら、好きな人と結婚したいんじゃなくて
結婚して"奥さん"という肩書きがつく
自分になりたいんやないかと。

そして"自分が生きていくことの理由"に
"子供"が欲しいだけなんじゃないかと。

曲解してる自覚はある。
子供に関しては、
わしが父の生きる理由にされすぎたあまりに
そうとしか思えなくなってしまった節も
大いにあると思う。

わしは周りを見てそんな違和感を覚えつつも
厨ニ病を最大限にこじらせていたので、
そんなつまらない事に夢見ずに
好きな事で有名になって、
今までの人生を見返してやるんだ〜!と
思っていた。

おつかれ、自分、世間知らずすぎる。

とはいえ、実際に
"何者かになること"に
漠然と縛られて解放されない人って結構いる。

この"何者か"というのは
地位や名誉に付随するものなんだけど、
手に入らない、または、叶いづらい
夢を抱えつつ生き続けるのって
かなりしんどいし、
その為にどんな努力もできるかというと
それはそれで別問題。
"何者"が"何なのか"は
明確に決まってない事も多いし、
その割に"何者にもなれない自分"への
自己嫌悪は終わらない。

とりあえず、この概念に縛られ続けるのは
楽しいことも楽しめなくなったりと
弊害がありすぎる。

過去のわしもそうだった。

"何者か"になれる近道になりそうであれば
自分の感情はフル無視で何でもしたし、
どこにでも行く。
そうやって動けば動くほど
何者にもなれない自分が浮き彫りになって
だんだんと、私って何がしたかったんだっけ?と
なってくる。

かといって何者にもなれない自分を
受け入れて生きていくことはできない
中途半端な状態。

わしは過去の辛かったことや
ちょっと変わってて生きづらい自分の事を
"何者かになるために生まれてきた人間"と
思い込む事で生き延びようとしてた。

けど、結局根拠というか気持ちがないことって
やっぱり続かなくて、
自分の人生、自分の為に何がしたいかを
シンプルに考えた時に
"何者か"という漠然で大きい夢は
一瞬で意味のないものになった。

この呪縛を解くのに
かなり時間はかかったけど、

・毎日毎日小さな事から
 自分の感情や意思を優先して決める
・気持ちが向かないことは
 出来たとしてもやらない
・何もしなかった自分を不必要に責めない
・目標は見つかってから動けばいい

とにかくこれらを自分に言い聞かせながら、
何者かになる為に頑張ろうと行動しそうになる度に
一旦待ったをかけて
自分の感情と向き合うというのを
繰り返ししていたら、

わたし、これでいいんだ〜!と
思えるようになった。

これでいいと思えるようになってからの方が
小さな目標を見つけれるようになったし
心からやりたいと思ったことに
手をつけてるから
漠然としんどくなることが減った。
楽しいと思えることも増えた。

成功体験は確かに良いものだけど
そこに自分の意思がないと
心の底からは喜べないし、
空っぽの状態で
何かを目指したり
地位や名誉を得たとしても、
"何者かになる"という呪縛からは解放されない。

なんでもかんでも自分を肯定して
人に迷惑かけてる部分まで
私は私だからー!!!!というのは
ただのわがままだと思うけど、

ありのままの自分を
まずは自分で受け入れるっていうのは
生きやすくなる為に
必要不可欠なことだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?