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そうでしょ。いいやつなんだよ。

「そうでしょ。そうなんだよ。いいやつなんだよ」

先日の中学校の同窓会で当時の同級生に会えるのは、楽しみだったが、
それに加えて、
中学校ではクラスは違っていたが、地元の高校で2年間、同級生だった「なかっつ」君に卒業以来、50数年ぶりに会えるのを密かに楽しみにしていた。

彼とは高校2年と3年で同級生だった。
顔は浅黒く、背はそれほど高くはないががっしりした体躯で「おとっつあん」と呼びたくなるような、先に大人になってしまったような
落ち着いた男子だった。
そしてユーモアがあり明るくてクラスのリーダー的頼れる存在だった。
当時、彼が、ボーイスカウトで派遣されて東南アジアに(インドネシアだったか)に行ったときはクラスで壮行会を開いて送り出した。

帰ってきたら、「帰国報告会」をしてくれて、アジアの話をしてくれた。
陽に焼けた顔で、楽しそうに面白可笑しく語ってくれた姿は今でも脳裏に焼き付いている。
当時、海外に行くのは夢のようで外国への夢やあこがれを持つきっかけのひとつになったと思う。

卒業式の日、「高校3年生」歌った。

卒業の日、卒業式が終わり教室に戻り、別れの時となった時、
彼がクラスメイトに向かって
「最後にみんなで高校3年生を歌おうぜ」と言った。
彼が指揮をして皆で舟木一夫の「高校3年生」を歌った。
皆で泣いた。

その彼と先日の同窓会で50数年ぶりに会った。
50年という年月は人相風体まで変えてしまうが、
5組の彼が3組まで挨拶に回って来た時思わず、
「なかっつく~ん」
「誰だ~」
「高校で同級の○○。会いたかった~」
「おう・・・俺も会いたかったよ~」
一見しただけですぐにわかった。
歳は重ねていたが、風貌はあの頃よりも重みを増して、頼れる「おとっつあん」そのものだった。
あえてよかった。
高校のクラスメイトは、東京へ出たり結婚したりで散りじりバラバラだよと別れ際に言っていた。


同窓会の夜、「なかっつ」で盛り上がる

同窓会の晩、男女7人で温泉宿に泊まった時ユウスケと、なかっつくんの話で盛り上がった。
ユウスケとは高校は別だったので高校時代の彼の話をしたら、
「そうでしょ。そうなんだよ。いいやつなんだよ」

ユウスケが高校生の時に難しい病気で入院していた時、
以下、ユウスケの語り。
「からだの一部しか動かなくなってね」
「なかっつが学校の帰りに病院に寄ってくれて、励ましてくれた」
「それが毎日のように続くので母親、部活帰りでお腹空かせている彼の為に握り飯作ってくきてね。」
ワタシも友達もユウスケの病気のことは聞いていたが見舞いにはいかず仕舞いだった。
そのあと、治療のためにユウスケは横浜の病院に転院することになる。

「なかっつ」くんの話はこれだけでは終わらなかった。
以下、ユウスケの話
「横浜の病院に移ってから「なかっつ」が会いに来てくれて」
「友達2人車に乗せて・・・」
「父親の車拝借して・・・」
「無免許で・・・」
「真夜中・・・」
「病室の窓の下からクラクション鳴らして・・・」
「手を振っていたんだよ・・・」

当時高校2年か3年生だったはず。
いやはや。無免許で真夜中の国道を突っ走ってきたと。無謀ではある。

そうゆう人なんだよね。「なかっつ」くんて。
無免許は許されるものじゃないけど、だからと言って、北関東の地から新幹線もない時代、高校生の身分で簡単に横浜に行けるもんじゃない。

あらためて
いい人だけでは終わらない魅力的な人だった。

再会できてほんとによかった。














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