「いじめ」の構造

「友達だから言うんだけど」とか言いながらわざわざ私を傷つけるような言葉を投げつけてくる人がいる。
非常に不愉快だがしかし、その彼女は私に対してなんらかのコンプレックスを抱いているのだと理解している。
わざわざバカにしたり貶めたりしてマウントを取る事によって、ほんの一瞬でも私に勝った気になれるからだ。
そんなに私が気に入らないなら、友達をやめて距離を置けば良いだけなのに、そうしないのはなぜか。

もちろん、彼女「が」私を必要としているからだ。
これが「いじめ」の構造だ。

おそらく彼女はコンプレックスの塊なのだ。
己の中にあるどす黒いコンプレックスから目をそらそうとするあまり、自分でもそのことを忘れているのだ。己のコンプレックスが私の存在によって発動し、自分でもそうと知らずに攻撃性となって現れるのだ。

「トラウマ」というのは、「過去の嫌な思い出」ではない。
トラウマとは「辛すぎる経験ゆえに忘れようとして、実際に意識下では忘れてしまっている出来事ながら、無意識化では忘れることができず、その人の行動原理に深く影響を与えている事柄」を意味する。
「実は昔こんな嫌な出来事があって…」なんて語れる時点で、それはトラウマとは呼ばれない。

彼女のコンプレックスがどんなトラウマによるものかは知らない。
ただ、彼女が小学生の頃にいじめたりいじめられたりした経験があるというのは聞いたことがあるから、そもそも「いじめる&いじめられる」のループ(いじめらるープと命名)にハマるタイプの人間なのだろう。

いじめらるープにハマるタイプの人間というのは何かというと、根底にあるのはやはり、孤独感だと思う。

いじめっこがいじめをするのは、いじめっこにとってそれが必要だからだ。誰かを支配することで周囲に畏敬の念をいだかせ、ボスザルとして君臨し、それによって孤独から解放される(と信じている)。
本当はひとりぼっちのボスザル。支配しなければ愛されないと思っている、可哀想なサル。

そしてターゲットとなるのは、いじめっこのコンプレックスを(無自覚にも)刺激してしまう人間なのだと思う。

くだんの彼女とは20年来の友人であるが、私は彼女にマウントをとられても「負けた」と思ったことは一度もない。
もとより他人にあまり興味がないせいか、いじめとは無縁の人生を送ってきた私は、彼女がたびたび投げつけてくるウンコに対しても、菩薩のような心で笑顔でやり過ごすことができた。それがまた彼女のコンプレックスを刺激するのかもしれない。

が、先日とうとうブチ切れた。菩薩だってキレる時もある。
ちなみに彼女がウンコを投げつける相手は私だけではなく、おそらく最も頻繁にやられているのは、彼女の夫だ。
その夫氏曰く、彼女の実の母親も標的になっているらしいから、相当根の深いものがあると感じる。己の価値観を押し付けて、「だからアンタはダメなんだ」と一方的にダメ出しをするというウンコ投げ…。
親子の立場が逆ではあるが、やっていることは毒親だ。彼女に子供がいなくて良かった。
(ちなみに夫氏も、妻にどれだけウンコを投げつけられてもノーダメージでヘラヘラ笑っているような人物であるが、間違いなく共依存関係にあると見ている)

この際だから、彼女には自分の問題と向き合って欲しい。
カウンセリングを受けるなりして、これまで目をそらし続けてきた「傷ついたインナーチャイルド」を癒して欲しい。その強烈な孤独感がどこから来るのか、自ら精神分析して欲しい。
同じことを繰り返せば、なお孤独な末路がやってくるだろうから。それこそ彼女が最も恐れていることであろうから。

…ということを本人に伝えたけれど、どうだろうな。ずっと見ないようにしてきたものと対峙するだけの強さが、今の彼女にあればと思う。

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